IKEAがわるい

 

  久々に帰宅した一人住まいのアパート。照明をつけると、部屋の奥には見るも無残に砕け散ったベッド。いや、砕け散ったといっても、さすがに枠の部分は残っている。が、マットレスを置く底板のすのこがばらばらに床に広がり、無用の長物と化している。心情的には、砕け散ったというほかない有様なのだ。しかたがないからベッドの手前にマットレスと毛布を敷いている。かつてベッドだったものと万年床で、6畳の部屋のほとんどは埋まってしまう。邪魔でしかたがないのだが、ひとりではどうすることもできない。業者に頼んで解体、撤去するしかないのだが、おっくうでやっていない。

  一人暮らしを始めるときに、IKEAで買ったのだった。組み立てを頼むとけっこうな額を取られるので、父に手伝ってもらってなんとか自分たちで組み立てた。それもよくなかったのかもしれない。が、心情的にはこう言いたくもなる。IKEAがわるい。

  ベッドは早い段階で壊れる前兆を見せた。上に乗るたびに、何度もすのこが外れる。そのたびに嵌め直すのだが、すのこの長さが微妙に足りない。すぐに外れてしまう。その場しのぎを何度も繰り返しているうちに、ある日、致命的な一撃がきた。彼女が遊びにきたとき、アッシャー家が崩壊するような音を立てて、それは砕け散ったのだ。後には〈かつてベッドだったもの〉が残った。

  ベッドが完全に修復不可能になってから、僕の部屋はみるみる荒廃していった。もともと、彼女の家で過ごすことが多く、我が家は散らかりがちだったのだが、それでも一ヶ月に一度くらい大掃除を敢行して、なんとか過ごせていた。しかし、ダムは決壊した。いくら上辺を取り繕おうが、部屋の奥には2m弱の残骸が鎮座しているのだ。その存在感は大きく、僕から生活を維持しようというやる気を根こそぎ持っていった。まず流しが詰まり、風呂場にコバエが湧いた。洗濯をめったにしなくなった。掃除機をかけなくなった。カーテンを開けなくなった。モーツァルトを流さなくなった。食前の祈りを唱えなくなった。眠る前、「明日はもっと楽しくなるよね、ハム太郎へけっ!」と言わなくなった。

  きょう、久々に自分の家に帰ってきて、もちろん風呂場を使用する気にもならず、銭湯に向かった。幸いにもアパートから歩いていける場所に銭湯があり、自分の家に泊まるとき (というのも妙な言い草だが)、僕は欠かさずそこに向かった。銭湯は、勤めだしてから覚えた快楽の一つだった。たっぷりの湯と広い浴槽は身も心もほぐしてくれた。もわもわの湯気は我々サラリーマンの疲労と悲哀を優しく癒してくれる。銭湯に向かう僕はるんるんだったといってもいい。鼻歌さえ歌いかねない気分だった。銭湯の向かいにあるセブンイレブンでタオルを買う。そしていざ、我らがエル・ドラドへ。

 

 

《都合により23日 (水) までお休みさせて頂きます。ご迷惑をおかけしますが宜しくお願いしま。      鷹の湯。》

 

 

何が《お願いしま。》だ。「す」はどこいったんだ「す」は。僕はがっくりと肩を落とした。そして思った。ぜんぶ、IKEAがわるい。