父に似てきた

 

自分でも話を聞いているつもりで右耳から左耳に抜けているときがあるし、疲れているにもかかわらず帰宅と同時に料理を始めて手の込んだごはんを作りがちだし、彼女に何かいわれたらとりあえず「へけっ」とハム太郎になってやり過ごしたりしている。へけへけ。

 

不動産屋に行っても話しながら自分でうわあと思うことがある。初対面のひとと話すときのこの感じ、丁寧なのかそうじゃないのかようわからん感じも似ている。これでえせ大阪弁を繰り出すようになったらかんぺきだ。父は値切るときだけインチキな大阪弁を話すのである。

 

実家にいたころは、ぼくはだいたいのケースにおいて母の味方についていて、それは一人暮らしをしているいまも変わらないが、昔より父の行動原理がわかるようになった、気がする。

 

たとえば料理も、なんで疲れて帰ってきてわざわざ手の込んだ料理を作るのだろう。なんでいらいらしながら具材切ってるんだろうと思っていたが、あれは父なりのストレス発散法やったんやな。ぼくも、たまに無性に野菜を切ったり肉を焼きたくなって、たんまり食材を買い込んでわーっと調理することがある。仕事のストレスが発散できるのだ。

 

父はハム太郎のまねはしていなかったが、ぼくや母から何か注意をされると、よく「ふぁっ」と気の抜けた声を出してごまかしていた。それを聞くと怒る気が失われ、ただあきれるしかなくなるのだ。しかしぼくもいまや似たようなことをやっている。あれは父なりの甘えであり、そして追及をかわすテクニックやったんやな。まあだからといってゆるさんけどな。さすがにぼくのほうがまだずっと話を聞いていると思うし。

 

血のつながりを感じるというのはふしぎなもので、あれだけいらだっていた父に少し似てきたと思っても、嫌悪感どころか、なんかちょっとくすぐったいような感じもする。まあ大半は自分にあきれる気持ちやけど。そして距離が離れたから、というのも大きいんだろう。これが実家暮らしやったら受け入れられへんかったかもしれん。家族ともある程度ディスタンスがあったほうがええんやな。きっと。

 

今年度はいろいろな変化があった年やったな。まだ三ヶ月あるけど。自分が大人になった、というか、若者ではなくなってきた、としみじみ感じた年でもあった。たぶんこれはいまの時世が関係している。死を恐れないのは、若さの特権だ。ってこれ、だれの文章やったっけ?

 

内面だけでなく、明確に変わることもあって、いやあ、今年度はすごいな。めっちゃいろいろあったな。というかあるな。

 

まあとにかく、父に似てきた、と感じる機会が増えた。彼女に本気でうざがられんようにせなな。少なくとも、平日の朝に「オキロォ! オキロォ! ショクバヘムカエェェ!」って炭治郎のカラスの真似するんだけは、ほんまにいやそうやったから、やめといたほうがええな。へけへけ