治療としての垂れ流し

 

 最悪だ。寝ても覚めても胃がむかつくというのはほんとうに気が滅入る。

 前回のブログを書いた翌日、消化器内科に行った。そこでお腹にゼリーみたいなのを塗られて超音波がどうたらこうたらいう機械でお腹のなかを検査してもらった結果、とりあえず真っ先に疑われた胆石はなく、ポリープはあるががんの可能性もきわめて低いとのことだった。ひとまず安心したが、病名はわからずじまい。とにかく胃酸が出すぎてるんだろうといわれ、胃酸を抑える内服薬を処方された。

 もらった薬を飲むとてきめんに効果があらわれ、だいぶ楽になった。だから日曜日に約束していた高校の友人たちとの飲み会に (まあウーロン茶いっぱい分だけ顔出すか) と思って行ったのだが、友人の顔を見た途端に例の吐き気、冷や汗が襲い、どうにもならなくなった。もともとウーロン茶いっぱいで帰ると予告していたので彼等もぼくの体調が芳しくないことは知っていて、「どうした」と聞かれるたびにぼくは「逆流性食道炎」とこたえていた。ほんとうはまだそうときまったわけじゃないのだが、「胃酸が出すぎてるらしい」というのはいかにもあいまいで、具体的な病名をいわないと相手にわかってもらえないだろうし、細々と説明を重ねるのは面倒だからという理由で「逆流性食道炎」とこたえていたのだが、何度もそう説明しているうちに自分がほんとうに「逆流性食道炎」になったみたいに思えてきて、やっぱり気が滅入った。ぼくはわりと言霊という概念にとらわれているのかもしれない。

 おまけにその日の朝から風邪を引いた。起きたときから喉が痛く、声が出なかった。今朝からは少しましになったが、それでもまだ声はでない。きょうは午前・午後と大学のティーチング・アシスタントのバイトがあったが、午後の分は休ませてもらった。当日の朝になってお願いしたのに助手の方は快く許可してくださり、しかも体調を気遣う言葉までかけてもらって申し訳ない気持ちになった。

 電車に乗ったり、人通りが多い場所に出たりするとあの吐き気、冷や汗、動悸が襲う。ネットで検索すると逆流性食道炎と不安神経症を併発したひとの文章に行き当たり、症状があまりに似ているのに驚いた。マジか。ぼくは自分はそんなにメンタル弱くないと思っていたのだが、いまの症状は明らかにこれだ。不安神経症。そういえば、消化器内科の医者も「胃のむかつきや吐き気はわかるんだけど、冷や汗とか動悸は説明できないんだよなあ」とこぼしていた。胃酸過剰によって吐き気を催す一方で、「吐いたらどうしよう」という不安が冷や汗や動悸を呼んでいるのかもしれない。とそこまで考えて、さらにがくっときた。こんな調子では、将来社会人になっても、すぐにストレスで潰れるんじゃないか。やっていくことができないんじゃないか、と思ったのだ。

 でも悪いことばかりではない。助手からぼくのことを聞いたという大学院の同期が、さっきラインをくれた。その子はぼくが日頃からしみじみいいなあと思っている子で、なんというか、ひじょうに健全な感じのする、ちょっと今までには会ったことのない感じの女の子だ。吐き気がひどいと伝えると、「煙草は控えんとね。というか禁煙ね」と返ってきた。そうだよなあと思いつつ、ラインを返しながらファミマの喫煙所で煙草に火をつけたぼくは掛け値なしのクズだと思った。2017年最後の一本にします。

 

 読書と映画の話。

 いま、フォークナー『響きと怒り』を読んでいる。もうそろそろ上巻が読み終わりそうだ。「いま/ここ」の語りが突如として挿まれるゴシック体 (原文ではイタリック) によって過去へと飛び、過去から現在へ、現在から過去へというふうにスリップを繰り返す。そうした時制の跳躍は語り手の知覚の連想に依っていて、たとえば「木のようなにおいがした」という一文からゴシック体の「木のようなにおいがした」に引き継がれて時制がジャンプしたりするのだが、これが読み始めは一家の事情もよくわからないし、また最初の章の語り手はまわりから「キチガイ野郎め」といわれている人物なので、知覚のあり方が独特で、よって文章も独特なので、ぜんぶ理解してついていこうとするとたいへん。でも大陸南部の肥沃な自然の繊細な描写、夜の闇もそこに響く虫の声もすべて「聞くことができた」と語る文章がうっとりしてしまうほどよくて、するする読み進んでしまう。岩波文庫版で読んでいるのだが、脚注も詳細で参考になる (が、たまに詳細すぎてうっとうしくなる)。下巻まで読み終わったら、また読み返したいなあ。

 映画ではこの前『エコール』を観た。TSUTAYAでこれとパク・チャヌクの『お嬢さん』を借りたのだが、そういう気分だったんです。『エコール』は映像的に美しい映画だと聞いていて、確かに期待に背かない美しさだったのですが、映像よりも音響がよりいっそう美しいと感じました。せせらぎや葉ずれ、少女の乗るブランコが軋む音が耳朶を心地良く打って、とろんとした気持ちになりました。

 『エコール』、また観たいと思うほどおもしろい映画だったけど、けっこう怖い内容だと思う。けっきょく、エコールはどんな場所なのか最後までわからなかった。孤児院的な場所なのか、それとも少女は誘拐されてくるのか……。主要人物がふたりいて、ひとりはイリスって名前なんだけど、顔立ちがアジア人ぽかったのが気になった。そしてもうひとりの主要人物、ビアンカがすごく美人で見ているだけでうっとりした。映画が収録されたときの実年齢は知らないが、少なくともまだ幼く見えるのに、深い知性と憂愁を漂わせていて……。よかった。

 朝の四時半くらいからリビングのテレビで観ていたのだが、六時すぎくらいに母親が起きてきて、なんとなく気まずかった。たぶん母はろくすっぽ画面を観ていないはずだが、少女の無垢と官能美を撮った映画だけにね……。かといって昼間は肺炎の父親が海外ドラマを観ているし、まあPCで観てもいいんだけど、せっかくなら大きい (というほどでもないが) モニタで観たいしなあ……。

 そう。書くのを忘れていたが、いま我が家には病人が二人いる。ぼくと、父。ぼくがすっかりまいってしまう前にいち早く父が高熱でダウンし、会社を休んだ。土曜日、ぼくといっしょに内科にかかると、軽い肺炎だと診断されたらしい。というわけでかれこれ一週間近く父は家にいる。病人二人で家に閉じこもっていても気が滅入るので外に出掛けたいのだが、いまは吐き気の不安もあって迂闊に出掛けられない。胃酸が出すぎるのもストレスが一因だといわれているし、ましてや不安神経症の疑いもあるのだからぼくはきっとストレスを解消する必要があるのだが、ぼくにとってストレス解消とは遠くの自然、つまり山とか湖に出掛けることで、でもいまは出掛けられない。そんな悪循環のなかで身動きならず、おまけに父からは悪徳商法のひとみたいに「がんじゃないか。内視鏡やれ。がんじゃないか。胃カメラ飲め」と繰り返されるし、それに対してぼくが「確かに二十四になってまだ一回も胃カメラ飲んだことないからやったほうがいいとは思うし近日中にやるのもやぶさかではないがあなたのその悪徳商法的な、医者もがんじゃないっていってるのにそれどころか「胃がんを心配してきたんですけど」とこぼしたぼくを鼻で笑いさえしたのに勝手にがんだがんだと騒いで胃カメラを売りつけるのはやめてくれ」と怒ったら逆ギレされるし*1。はぁ〜もうやだやだやだ。山に行きてえ、でも行けねえ。八方ふ・さ・が・り!

 ということでひとまず出掛けずに済むストレス解消法を考えた結果、ぼくはamazonで1円の「ポケットモンスター ルビー (GBA)」をポチったのだった。この前からなぜかやたらとやりたくて、でもソフトは昔捨ててしまっていたので。届いても実際にやるかどうかはわからないけど、まあ1円だったし、とりあえず買ってみました。

 

 以上、治療としての垂れ流し。

 

エコール [DVD]

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*1:確かに内視鏡胃カメラをしたほうがいいというのはわかるんです。でも、それはあくまで「二十四にもなるのに一度もやったことがないから」であって、父みたいに無理矢理がんの不安を煽ってやらせようとする手口にぼくはへきえきしています。もっとも、心配性の父が本気で心配してそういってくれているのもわかるのですが。