秋/深夜の道路/音楽/如雨露

 明大前で飲むときはいつも終電を逃した。逃す、というか、ほんとはぎりぎりまで気づかないふりをしているだけなのだけど、気づいているのかそうでないのか、ヨモギさんはいつももう終電がないと知らされると、「じゃあ歩けばいいね」と言って歩き出すのだった。
 去年留年をしているヨモギさんは同じ四年生でもぼくの一歳年上で、サークルでは常に話の中心にいるひとだった。飲み会の間じゅう一度も席を動かずまわりにひとがいなくなるとスマホをいじっているぼくとは違う世界の住人だった。それでもサークルの飲み会が終わるとヨモギさんはいつも「あと一杯だけ飲んでこうよ」とぼくを誘った。住んでいるアパートが近いせいだった。明大前で飲むと、終電を逃しても二人とも歩いて帰れる。ヨモギさんは何杯飲んでも顔色の変わらない酒豪だった。
 ぼくもヨモギさんも明大前から二駅の桜上水に住んでいた。二次会まで出ると、桜上水に帰って飲み直すには微妙な時間になる。というか面倒なのだった。電車に乗ってしまえば、そのまま帰ってしまいたくなった。それに酒を飲んだあとの夜の散歩が好きだった。ヨモギさんはきょうもコンビニでビールを買った。この寒いのによくやるなあと思う。コーヒーがドリップされるのを待っているぼくに、カフェイン飲んで酔わないの? とヨモギさんは頓狂なことを言う。
 甲州街道に出て道なりに歩く。日付が変わっても車通りが多い。首都高が真上を走る甲州街道を歩いていると車の走る音がぐわんぐわんと反響して足下が揺れているような気持ちになった。吹き抜ける風が肌寒い。もう秋なのだった。遠くの信号が青から赤に変わって減速した車のテールランプが灯る。少し先をゆくヨモギさんが鼻唄を歌っていた。
「なんで『あじさい』なんですか」
「なんでだろうねえ」
 ヨモギさんの鼻唄には脈絡がなかった。夜だろうと『Morning Glory』を歌ったし、とっくに夏が終わっていても『君は天然色』を歌った。少し古い曲が好きなのかと思えば昨年解散したばかりのバンドの曲を歌ったりもする。一つ言えることは、ぼくとは絶妙に音楽の趣味が重なっているということだった。
「こうやってお酒飲みながら歩いてると、永遠に歩ける気がしてくるね」
「いや酔ってるだけでしょ。というかもう酒ないじゃないですか」
「お酒は飲んでるとなくなるからかなしいねえ」ヨモギさんは飲み終えた缶を自販機横のゴミ箱に捨てた。なんとなく見なかったふりをして、ぼくは煙草に火をつける。
 ガードレールを挟んですぐ横を走り抜けていく車がどれもすばらしく自由であるような気がした。夜の道路を駆け抜けていくのは気持ちいいだろうな、とぼくは思った。首都高の灯にも照らされて、甲州街道は煌々と光っている。
 ヨモギさんがまたいつのまにか鼻唄を歌っていて、それが藤井風の『さよならべいべ』であることに気づいてぼくは不意に胸を衝かれた。理屈の通らないかなしさが一気に襲ってくる。ぼくはゆっくりと煙を吐いた。
ヨモギさんは、卒業まで何やって過ごすんですか」
「私も煙草吸いたい」
 ぼくの質問を無視し、ヨモギさんは手を差し出した。箱ごと渡し、ライターで火をつけてやる。傍目にも慣れていないとわかるやり方で煙を吐くと、もういいや、といって路上に捨てた。ぼくは見なかったことにした。
「とりあえず、植物を育てる」
「え? ああ、さっきの……」
「いまね、私の家のベランダ、かるく熱帯状態で」
「はあ」
「今度引っ越すところがね、ベランダがないから、いまのうちに大きな鉢植えを育てようと思って、花屋さんで見かけるたびに買ったの。そしたら、外が見えなくなるくらいみんな生長しちゃって。植物の生命力ってすごいんだねえ」
「すごいんだねえじゃねえよ。というかそれ、引っ越すときどうするんですか」
「室内で育てられそうなのは持っていくけど、そうじゃないのは植えるしかないかな」
「どこに?」と聞いてすぐに問題はそこじゃねえよと思ったが、もう面倒くさくなったので黙っていることにした。陸橋が近づいてきて、もう下高井戸まで来たんだなと思う。この次の陸橋を渡ればアパートはすぐだった。ヨモギさんは植樹の候補地について話し続けている。やっぱりおおぞら公園かなあ、とつぶやいて、
「じょうろで水をやったことってある?」
 とだしぬけに聞いた。
「たぶん、小学生のころとか、いや、幼稚園のころか……。きいろいゾウのじょうろがあったような……」
「ああ、あったあった。あとさ、ペットボトルで作ったりしなかった? 錐でたくさん穴をあけて」
「ああ、やりましたね。で、じょうろがどうしたんですか」
「植物を育てるときめたとき、モチベを上げようと思って、すてきなじょうろを買ったの。陶製の、カーキ色のポットみたいなやつ」
 それでね、とヨモギさんは高い声で話し続ける。いま、彼女の目は日ざしを浴びた水滴のように輝いているんだろうな、とぼくは思う。ヨモギさんは自分の好きなことについて話すとき、とても楽しそうに話す。それはとてもすてきなことだった。煙草はポイ捨てするけれど。
「そのじょうろで水をやると、ほんとうに雨が降っているみたいに見えるの。じょうろって、漢字だと雨露の如くって書くけど、ほんとうにそうなんだなあって思って。ほんとにね、お天気雨みたいに見えるんだ。そしたら私、もう雨を降らせられるんだって思って」
 何度も「ほんとうに」を連発するヨモギさんの話を聞きながら、その声もきらきら光る滴のようだとぼくは思った。ヨモギさんと話していると、植物が水をもらったように明るい気持ちになる。ぼくはこの時間が好きなんだなと思う。あと何回、こうして歩けるだろうか。
 片側四車線の甲州街道を渡る陸橋の途中で立ち止まって車の流れを見下ろす。それは光の川だった。一台が通過すると絶えずもう一台がやってきてそれがいつまでも続く。都市の川は淀むことなく一定のリズムで光りながら流れていた。やっぱり免許を取ろうかなとぼくは思った。隣を見ると、手すりの外に出したヨモギさんの手が何かを握っている。じょうろだ、とぼくは思った。ヨモギさんの持つじょうろから、光る滴が雨の如く注がれている。ヨモギさん、と思わず大きな声が出た。ヨモギさんはぼくを見て目を丸くする。「どうしたの?」
 ヨモギさんの手は何も持っていなかった。なんでもなかったと謝ると、「やっぱりカフェイン飲んだから酔ってるんだ」と理屈の合わないことを言う。ぼくたちはしばらくそこで車がやってきては去っていくのを眺めていた。隣から鼻唄が聞こえてくる。ぼくは苦笑した。それはランタンパレードの『甲州街道はもう夏なのさ』という曲だった。
「もう、秋ですよ」
 そうだね、とヨモギさんは笑った。冷たい風が吹いてくる。ぼくたちは陸橋を渡ったところで別れた。新しい煙草に火をつけながら、ヨモギさんは今夜もベランダの植物に水をやるのだろうかと考えた。陶製のポットのようなじょうろを手にしたヨモギさんが慈雨のように光そのもののように水を注ぐ。それはとてもすてきな光景だった。ぼくの内にも、まだ雨の余韻が残っている。それは一定のリズムで鳴る音楽だった。夜はもう少しだけ残っていた。

 

 

 

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ヨモギさんが歌った曲