電車について【思索1】

 

きみの書く小説はいつも電車に乗っているね、といわれた。

ぜんぜん意識したことがなかった。思い返してみて、驚いた。たしかに多くの習作で電車が走っていた。いま書いている話も、中央本線甲府に行くシーンから始まっている。

ぼくはべつに乗り鉄でもなければ、撮り鉄でも時刻表マニアでもなかった。けれどぼくの主人公は、いつも電車に乗っていた。加えて、最近熱心に読んでいるタブッキの小説でもそれは同じだった。

無意識のうちに走り出す電車は、自分にとってどのような意味を持つのか。

思索はここから出発する。

 

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電車。列車 (ぼくはこの呼び名のほうが好きだ)。それは何よりもまず移動手段であり、ひとやものを運ぶ。

都市においては、それはいちばん主要な移動手段である。通学のため、通勤のために、ひとはつり革を握る。もちろん、レジャーのためにも。向かう先はさまざまだが、共通していえるのは、電車に乗るとき、誰しも目的地を持っているということだ。どこに行くか決まっていないのに、ふらりと電車に乗るということは考えづらい。これは、徒歩や自転車での移動と大きく異なる。あのいかついメルセデスでさえ、もっと小回りがきく。電車は「そぞろ歩き」に適さない。

しかし一方で、車室に揺られる人物の意識はそぞろになりがちである。車窓が流れるとき、ひとの思考もまた流れる。景色と同じようにあいまいに。車窓、あのどこか不透明なガラスを通して見ると、景色は抒情を醸す。それからノスタルジー。脈絡もなく昔の記憶が立ち上る。

抒情とノスタルジー。これは電車よりもむしろ列車に近い。ひとが旅先で抒情を感じるのは、ひとつにはあの車窓のながめ、それから枕木をたたく一定のリズムがある。このリズムは容易にねむりと結びつき、ひとをやすやすと運び去る。しかし、ここではもう少しだけ我慢しよう。

電車に乗るとき、ぼくはある考えにとらわれる。ほとんど強迫観念といってもいい。「いま出かけている分だけ、もどらなければいけない」。電車に揺られることは、自分の「いまここ」を遠くへ追いやり続けることだ。住み慣れた「いまここ」にもどるには、まったく同じだけの時間と体力、それも往路と比べて疲れ気味ーーを費やさなければならない。いっそのこと、行きっぱなしにしてしまおうかと考えるときもある。しかしそれはそれで、大きな決断を要する。少し大げさにいえば、電車に乗るとはひとつの賭けであり、ホームとの微妙な隙間を跨いだ瞬間、彼はいちばん安全な牌を捨てている。つまり、「いまここ」に留まるという選択を。駅を出てすぐの加速がその罪悪感をいや増し、同じだけ背徳感を与える。電車に運ばれる人物がどこか物語の登場人物じみて見えるのは、そうした可能性の贅沢な廃棄、それから劇的な未来の可能性、このまま、帰らないかもしれないーーを秘めているからだ。

 

 

華氏451度の世界で本を読んだ?

 

「先生、この期間に小説書けるんじゃないですか」

 

新学期の開始がGW明けに決まったとき、職場のひとにいわれた。

実際にはそれからも分散登校があったりオンライン授業の実施が決まったりと、なんだかんだでやることはあり出勤もしていたわけだが、それでも通常時と比べればはるかに楽で、週二、三回しか出勤日もなかった。小説を書くなら今だった。そしてお察しのとおり、小説は書いていない。

 

就職してから、めっきり文章を書かなくなってしまった。

小説どころか読書メーターに上げていた本の感想もめったに書かなくなったし、およそ何かを考えてものを書くという行為から遠ざかっている。

実家にいたころ、よく母に「書きたいひとは何もいわれんでも書くやろ。あんたみたいに強制されな書かれへんのはそもそも向いてないんちゃう?」といわれていたが、当時は認められなかったこの意見も、たしかに……と頷かざるをえない。

 

読書は依然つづけていて、本を読むのは心から好きなんだなと思う。働き出して冊数こそ減ったものの、コンスタントに読み続けている。

しかし。もし読書が社会的に〝悪〟とみなされていたら、ぼくは本を読んだだろうか。

「読書」は一般的に、「教養を深める」「心を豊かにする」ものというふうに捉えられている、と思う。これは国語の教科書なんかを見てもそうで、社会に根深いイメージだろう。たとえば「趣味はゲームです」とは就活では言いづらいが、「趣味は読書です」と言うことにためらいはない。だれかに聞かれたときも、とりあえず「読書です」と言っておけば間違いはない。

実際には一週間前に読んだ本の内容を忘れていることもざらだし、読んだからといって知識が身につくというわけでもないのだが、読書は自分を高めるもの、というあまりに茫洋としたイメージがぼくたちの社会に根づいているために、寝転がってだらだらぺーじをめくる行為が許されているのである。

もしこれが、一昔前の漫画やゲームのように、子どもの遊び、何か良くないものというイメージで捉えられていたら。世の読書家は、ぼくは、本を読んだだろうか。

あの名作を読んだ、カラマーゾフを読破した、という肩書きを求めて本を読んでいる側面も、ないとは言えない。世の名作をひとつひとつ収めていくコレクター的側面も、たしかにある。

そういう意味では、ぼくは本当の読書好きではないのかもしれない。なんて思いつつ、最近読んでおもしろかった本は以下。

 

おむすびの転がる町 (楽園コミックス)

おむすびの転がる町 (楽園コミックス)

 
バーナード嬢曰く。 (5) (REXコミックス)

バーナード嬢曰く。 (5) (REXコミックス)

 
言葉の流星群 (角川文庫)

言葉の流星群 (角川文庫)

  • 作者:池澤 夏樹
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 文庫
 
氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 

『おむすびの転がる町』は現在進行形で読んでいる。少し前にpanpanyaに出会い、とりこになった。読む前は不気味な絵柄からつげ義春のような作風かと思ったが、ゆるい動物たちに癒やされる。どこか懐かしい感じのする視点や町の描写、くだらない思いつきをくだらないに留めない思考の粘着、飛躍力に脱帽。いまいちばん好きな作者。

『バーナード壌曰く。』は待望の第5巻。これまででいちばんおもしろかった。遠藤のめんどうくささに拍車がかかる。

『言葉の流星群』コロナの脅威に病みかけていた時期に読んだ。なんとなく、癒やされる気がして。宮澤賢治の詩や童話をいっしょに読みながら、作者が彼の文学や自然観、宗教観に迫っていくという内容で、あらためて宮澤賢治の言葉の奥行き、唯一の世界観に気づかされる。また花巻に行きたくなった。

『氷』少し前に読んだ『草地は緑に輝いて』がとてもよかったので。始終妄想とも幻覚ともつかぬ不穏なイメージが跋扈する内容でしんどくなるときもあったが、終盤でぐいとひっつかまれた。氷が迫り、滅亡を前にしても共闘できない人間の姿にいまの時勢を思ったりもする。一週間前に読んだ本の内容を忘れるぼくも、ラストシーンの鮮烈さは覚えている。

ほか、『波よ聞いてくれ』や『スキップとローファー』、『ブルーピリオド』も読んでいた。どれも既刊はすべて読み終えてしまったので、続刊が待たれる。続刊が待たれるといえば、『水は海に向かって流れる』も。『よつばと!』は……いや、気長に待とう。

スキップとローファー(3) (アフタヌーンKC)

スキップとローファー(3) (アフタヌーンKC)

  • 作者:高松 美咲
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: コミック
 

多摩川:祈るように見つめた光

 

 東京の川と聞いて真っ先に思い浮かぶのは隅田川だろうが、規模からいえば埼玉との境にもなっている荒川や南部を流れる多摩川のほうに分がある。小学五年に上がる春に東京に越してきて二十五で実家を出るまでの十四年間、ぼくが暮らした町には多摩川が流れていた。

 多摩川は市の北部を横断し、自宅からは自転車で二十分ほどの場所にあった。時おりサイクリングをするほかは行くことはなく、むしろよく歩いたのは近所の三沢川という小さな川だったが、この川も多摩川の支流で、一時間も歩けば本流に合流する。

 大学院生のある期間、多摩川はぼくにとってシェルターであり、将来の希望の象徴でもあった。夏の夜、ひとりで訪れた川べりの風景を、今も忘れることはない。

 

 大学院一年の十一月から約一年間は、ぼくのもっとも苦しんだ時期だった。ある晩、友人と酒を呑んだ帰りに駅で気を失い、悪酔いかと思ったがその後酒を呑んでなくても過呼吸になることが続いた。医者にあたっても原因はわからず、外に出るだけで吐きそうになる症状に襲われた。大学院に進んでいちど先延ばしにした就職への不安や、両親の過去に類を見ない不仲に精神的に不安定になっていたのだと思う。一ヶ月以上にわたって準備に追われた学会発表が終わった直後のことで、疲労も溜まっていたのだろう。

 その頃のぼくが外出先として選べたのは人口密度が小さく万が一吐いてしまっても人目につかない場所だけで、多摩川の河川敷はその条件を満たしていた。日中、ぼくは読みかけの本と飲み物を持って出かけ、川面からすぐの場所に腰を下ろして二時間も三時間も過ごした。未だに読書時の没入を忘れられない松浦寿輝『幽・花腐し』を読んだのも、テッド・チャンあなたの人生の物語』を読んだのもその場所だった。そのうち両親の関係がいよいよ険悪なものになってくると夜も来るようになり、コンビニで買ったサンドイッチをいつもの場所で食べた。対岸の一車線道路を照らす街灯の光が川面に映って揺れ、時おり魚の跳ねる音がした。土手の上はランナーやサイクリストたちで九時くらいまでは賑わっていたが、川面に面した斜面に座るぼくからは遠く隔たっていた。そこに来ると、いかに普段物音に囲まれて過ごしているかがわかるのだった。

 一人暮らしをしようーー。険悪な自宅の雰囲気にまいっていたぼくは、たびたび思ったものだった。そしてそのときは、多摩川の近くに住もう。

 多摩川のそばで一人暮らしをする。その考えは暗くなりがちなぼくの心境を明るくしてくれた。なんとか就職し、一人暮らしをして、毎朝川のほとりを歩く。不動産アプリで多摩川のそばの物件を検索し、住むならどの辺だろうかとあたりをつけた。そうして、心機一転した自分の暮らしを想像した。それは自分にとって唯一の素晴らしい未来図に思えた。

 

 けっきょく、就職が決まって三月から住み始めたのは多摩川どころか小川さえない街で、あれだけ拠り所としていた多摩川に行くこともなくなってしまった。しかし今でもふと、切実な思いで部屋を探していたときの光景が甦ることがある。両親の関係は元通り回復したし、彼女に話すときなど、半分笑い話として話すくらいなのだが。それでもあの頃、すがるような思いで部屋を探し、そこでの人生を夢想した切実さはたしかに本物で、多大な不安に押しつぶされそうになるぼくをぎりぎりのところで支えていた。

 今住んでいる街には多摩川の代わりに甲州街道があって、絶え間なく光の川が流れている。水の音に耳を澄ますことや対岸の淡い光に将来を浮かべることはなくなったが、今でもぼくは甲州街道やその真上を走る首都高を見て、そのずっと先に続く光景を想像してみることがある。ぼくは、この光の上を歩いていく。けれどもこの流れは、あの頃の多摩川の流れからずっと続いているものなのだ。よく晴れた気持ちのいい日に、彼女とあの川べりを歩く。そんなささやかな願いも、今のぼくは持っている。

 

 

 

少年ジャンプみたいな結論

 

昨日から、無関係なひとにストレスを与えられる出来事が続いて萎えている。

 

いきなり不穏な書き出しですが、なぜか知らないけどこういうことが続くときがあって、まあどれも取るに足らない出来事なんですが、修論その他諸々でまいっているときはけっこう身体に (文字通り) くる。

はじまりはコメダ珈琲だった。昨朝、大学がなかった僕はコメダに陣取って修論と闘っていると、となりにきた老夫婦の、婦人の方がずっとぐちぐち店員に対する文句を言っていた。オーダーを取りに来たとき、何度も聞き返していたのが頭にきたらしい。僕はとなりで聞いていたが、いたってふつうの対応で、注文を聞き返すのはマニュアルだし、そこに文句言ってもなあ、と思いながら修論を書いていた。

ところが、店員が料理を運んでくると、婦人が声をあらげた。コメダには三通りのモーニングメニューがあるのだが、婦人が注文したのとは別のメニューが運ばれてきたらしい。店員はすぐに謝り、料理を取り替えるために席を離れかけた。すると婦人はおいうちをかけるように彼女を呼びとめ、不満をこぼし続けた。

……

そしておいうちをかけるように、深夜のコンビニ前でいきなりおばさんに話しかけられる。

僕はどうしても煙草が吸いたくなって出てきていたのだった。煙草を吸った後、コンビニでガムを買って家に帰ろうとすると笑顔のおばさんに話しかけられ、延々と親の大切さについて説かれた。

最後まで聞いてはじめてわかったのだが、彼女は来月近くで催される講演会の勧誘員だったらしい。用件もわからずaとbのたとえ話まで出して親の大切さについて語られていた僕は、さすがにいらいらし始めていた。せめて用件を言ってくれ。こうこうこういう団体のこういう講演会がいついつどこどこであるから、ぜひと。そう言ってもらえれば「はい」って言ってすぐ帰れるのに、何をこのひとはいきなりわけのわからないことを話しているんだ。親が大切? じゅうぶん知ってるわい。いやまあたしかに二十五になって学生で実家住まいであることは親不孝かもしれないけど、え、もしかして見破られてる?

五分くらい延々話を聞かされたあと、さすがに相槌もうたない僕の態度に諦めたのか、ようやく講演会の日にちと開催場所を言っておばさんは解放してくれた。家に帰ると、「よっぽどおまえが親不孝者に見えたんちゃう?」と父からいわれた。金が無いなか、誕生日プレゼントをあげたばかりなんですけどねえ! 眠っていた母からは「あんたの声で目が覚めた」と非難された。散々だ。

……

きょうはゼミの発表だった。発表は思いのほか時間がかかり、授業が終わったのは次の授業が始まる直前だった。しかし僕たちはそれに気づいていなかった。一月から一人暮らしをするSさんの部屋の写真を見てみんなで盛り上がっていると、既に教室にきていた学生から「もう授業はじまるんで早く出てってもらえます!」とキレられた。あれは完全にキレていた。「すみません」といってすばやく教室を出たが、同期が出るときにはかなり強めの舌打ちをされたらしい。まあこれは次の授業の時間になっていたことに気づかなかった僕らが悪いのだけど……。苦笑いをして、「キレてたな」「キレてたね〜」と意味のない言葉を交わしながら、僕らは校舎を出た。Kさんはめちゃくちゃ笑っていた。

……

我ながら書いていてあまりのくだらなさにあきれてくるのだが、精神的にまいってるとこういうつまらないことでも後にひく。現在胃弱に悩む僕は、殊にわかりやすく体調にでる。

でももちろんそういうヤな出来事だけじゃなくて、たとえばおととい、プラットフォームへの階段を上っていたら、後ろから「すみません、すみませーん」と男の子 (たぶん大学生) が走ってきて僕が落としていた定期入れを渡してくれたし、なによりも同期のひとたちがほんとにみんな楽しくていいひとたちで、なんで僕みたいなやつのまわりにこんないいひとたちがいるんだろう……とも思うので、ひととの巡りあわせでは恵まれているよなぁ……と思う。

僕はどうしても、わるい出来事ばかり思い出して勝手に萎える傾向があるのだけど、プラス思考にはなれないにしても、せめて客観的にみて、自分が恵まれている面にも目を向けるようにしたいと思う。最近、先行きが不安で病んでたので……。

……

話し足りないね、とKさんはいって、自分の降りる駅を見過ごして途中まできてくれた。各停に乗り換えるために僕らはホームに降り、修論への不安なり展望なりを話し合った。「修論書いてると、ひとと話さなくなるよね」「そう! だからおれ、最近ひと恋しくなって、大学行ったら必ず院生室寄ってるもん」やっぱ、一人で悩んでてもどうしようもないというか、愚痴りあえる仲間がいるって素敵なことだなあと思った。なんだこの少年ジャンプみたいな結論。やがて滑りこんできた各停に乗ると、ホームからKさんが手を振っていた。扉が閉まり、互いが見えなくなるまで。なんだこのシンデレラ・エクスプレス。なお、Kさんには付き合って七年?目の彼氏がいた。というか自分で書いていてあまりにキモいんで弁明しておくと、マジで同期はいいよねって話です。きのうから抱えていたもやもやが同期たちと話したおかげで霧散して、ちょっとハイになっていたので書きました。おしまい。(修論にもどる)

 

 

 

今はおれ25 ハマショーにはまる

 

 

ハマショーええわあ。

心酔してるandymoriは別として、サニーデイ・サービスLampなど、一般に渋谷系とかシティ・ポップといわれている音楽が好きなのですが、25になって突如ハマショーにはまりました。我ながらよくわからん。

「ラストショー」がいちばん好きなんですが、YouTubeには上がってなかった。

 

ほかに、最近はvivid undressと空気公団にはまってます。空気公団は『春愁秋思』*1というアルバムがめちゃくちゃ好きで、聴くたびに惹きこまれる。

 

 

味気ない日常でも、すてきな音楽があればそうわるくないものに思えてくるので、音楽は偉大だなあと思う。

 

 

*1:最近、唯一僕にfをもたらしてくれた。何の話やねんという方は、拙文「アーキテクチャ断想」を。

アーキテクチャ断想

 

10/30 (火) 午前、某区荒川土手

河川敷を見下ろすベンチに座り、煙草を吸う。

空は青く澄んでいて、対岸にはビルが見える。

靄が晴れた……いや、幕が上がった。ステージに立たされた僕は丸腰で、急に開けた視界にどう振る舞えばいいかわからない。

だから、何も考えず、煙草を吸っている。

 

11/18 (日) 昼、羽村市の喫茶店

ナポリタンが運ばれてきたので修論を書くのをやめて、食べ終えてからも再開せずにブログを書く。

「最近、僕にはfがない」という書き出しから始めたが、途中で行き詰まり、コーヒーを注文する。

漱石は悪名高い『文学論』の中で「文学」を「F +f」と定義している。Fは対象で、fはFによって生まれる感興だ。たとえば花Fを見る。すると美しいという感興fが生じる。「文学」はF +fで成り立っている。

よって、「fがない」とは、感興が生まれないことを意味する。まあそれは大袈裟だが、少なくともfをfictionに限っていえばそう誇張でもない。最近、小説が読めない。読みたいのに読めないのではなく、そもそも読む気にならない。街を歩いていても妄想が捗らない。なべて現実が味気ない。

 

10/30 (火) 午前、某区

「ありがとうございます。これから、どうぞよろしくお願い致します」

判子を取り出し、内定書に捺印する。

唐突に、就活が終わる。

降って湧いたような内定に、実感が湧かない。

勝手に好感を抱いていたので、雇っていただけることはとてもうれしいのだけど。

ふわふわした足取りのまま、目についた鳥居をくぐる。

5限まではだいぶ時間がある。久々に荒川でも行こうかなあと、グーグル・マップを開く。

 

11/18 (日) 午後、羽村市

最近のf不足を解消すべく、喫茶店を出てかめのこ児童公園に向かう。

CLANNAD』でたびたび登場する公園のモデルとなった場所で、作中ではメインヒロインの古河渚の自宅の目の前にあるため、最も印象的な場所の一つだ。

公園では中高生の女の子たちが遊具の上で写真を撮り合っている。インスタ映え……なのだろうか。幼い男の子と父親がゴムボールを蹴って遊び、乳母車を押した母親同士が会話する。ひとけのない端っこのベンチに腰かけ、煙草を吸う。

親指ほどの長さまで吸ってもfは立ち上がらず、『CLANNAD』の何の情景も浮かんでこない。早々に公園を後にする。シャッフルで曲をかけたらSING LIKE TALKINGの「One Day」が流れて、なんとなくいまの気分にしっくりくる。しかしfは立ちあがらない。

 

11/27 (火) 午前、地元のスタバ

まぎれもない今、という言い方は妙だが、一連の文章を書いているいま・ここ。

修論に疲れたのでこの文章を書いている。

相変わらずf不足で小説が読めない。その代わり批評がおもしろい。最近は「アーキテクチャ」ということばに凝っている。

アーキテクチャ」とは建築、社会設計、コンピュータ・システムの三つの意味があることばで*1、批評の文脈では社会設計の意味で使われることが多い。僕はここでは「場」くらいの意味で使っている。

たとえば、僕は文章を書くときはいつも外に出る。家だとなまけてしまうからだが、これも家というアーキテクチャが文章を書くのに適さないからだ、と言い直すことができる。あるいは、喫茶店アーキテクチャは文章を書くのに適している。

僕が長年ことばにしたくてもできなかった感覚、その大半はこのアーキテクチャということばで説明できるような気がする。たとえば今年の夏、僕は多摩川の川べりで本を読んでいた。うまくことばにできないのだが、なんだかそこだと読書が捗るのだ。しかもえもいわれぬ気持ち良さがあるのである。思えばこの「えもいわれぬ」気持ち良さは、川べりというアーキテクチャが生み出していたのかもしれない。川べりで読むのと家で読むの、本の内容は同じでも、読書感は大きく異なる。同じ本Fであってもそこで生まれる感興fが変化するのだ。「文学」がF +fならば、読書という行為はそれに読む場所、時間等のアーキテクチャxを加えたものなのかもしれない。

でも何が何でも川べりで読めばいいというわけではなくて、たとえば2018年ベスト1となりそうな松浦寿輝『幽・花腐し』は川べりと相性が良かったが、テッド・チャンあなたの人生の物語』は川べりよりもスタバで読んだほうが捗った。同じことは文章を書く場合でもいえるだろう。まあ、川べりで文章を書いたことはないけど。

 

10月某日  午前、自宅

もうダメだ。

詰んだ。

何にもする気になれなくて、一日中ソファに寝転んでいた。

例によって嫌なことを後回しにしていたら、あっというまに今年も残すところあと3ヶ月になった。

未だに就職先が決まっていない。意欲もない。明るい展望もない。

おれってクズだなあ、と考える。トーマス・マンが何かの短篇で「自蔑と悪徳は相養う」みたいなことを書いていたと記憶しているけど、だからって何もせずに自蔑をなくすことはできない。

じゃあ何かしろよという話だが、動くことができない。

寝転んだまま床に落ちているスマホを手に取る。

と、ちょうどそのとき、ラインがくる。

僕は仕方なしに目を通し……身体を起こし、返事を出す。

1時間後には、身だしなみを整えて電車に乗り、新宿に向かっている。

なんとなく、ここが頑張りどころだぞ、と思いながら。

 

11/27 (火) 昼、地元のスタバ(更新されたいま・ここ)

fがないので小説が読めない。当然書くこともできないのだが、あれ、手なりで書いたわりに、「10月某日」のとこ、ちょっとf感ある文章書けてね?

種明かしをすればラインは大学院の後輩からで、僕はその子にいまの内定先を紹介してもらったのだ。僕はすぐさま検索にかけ、ホームページを見てふしぎと「ここで働きたいな」と思った。といっても最初は非常勤採用だったから、もし内定をいただくことができても最終的にそこで働くことになるかどうかは分からなかったが、試験や面接を受けていく過程で、詳細は不明だが常勤採用をしていただけることになった。なんていうか、決まるときはすっと決まるというか、こういうときの最初の予感は外れないのだなと思った。「ここで働きたい」なんて思ったの初めてだったし。

しかし就職が決まって気分爽快になったかというとそうでもなくて、楽観的に見積もっても悩みの種の半分がなくなったに過ぎない。では残り半分は何かといえば、あと4単位取らなければいけない教職課程だったり、そもそも卒業が厳しいという現実がある。体調を崩して1年間も大学にろくに通えない日々が続いたため、必修科目が全然取れていない。卒業できなかったときの覚悟をしなければならない。

最悪、卒業できなくとも教育免許さえ取れれば就職はどうにかなる(保証はないが)と思いたいが、そもそも教職課程すら乗り越えられるかどうかわからない。もちろん全力を尽くしている。死ぬ気で勉強してテストを乗り越えなければならない。万が一落としたら僕は就職できず、何より内定先に多大な迷惑をかけることになってしまう。

修士論文も不安だ。期限に間に合うかどうかも不安だし、良いものに仕上げられるかどうかも不安。僕は社会人になっても何かしら文章を書いていきたいと考えている。だからこそ修論には全力を注ぎ、ひとまずの集大成であると同時に、これからも文章を書いていく上での立脚点にしたい。

相変わらず不安に押しつぶされそうでとてもケ・セラ・セラなんて嘯くことすらできない日々だけど、なんていうか、やってくしかない。

 

 

 

19年4月  教壇

に、立っていますように。

 

 

 

*1:東浩紀『「特集・アーキテクチャ」に寄せて』 (『思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ』所収 ) より

デクレシェンド

 

 駅のトイレで倒れてからあと少しで一年が経つ。昨九月末、友人のKとバーで一杯だけ飲んで別れた僕は下り電車が来るのを待っていたのだがアナウンスが響き電車が滑りこんできたとたん、急に具合が悪くなりぐらぐら揺れる視界でトイレに向かうも途中の廊下でホワイトアウト、タイルで埋まっていくように戦えるポケモンがいなくなったように真っ白になり、数瞬のあいだ意識を失った。激しい嘔気と個室で戦い死ぬ気で電車に乗り這々の体で帰宅したその日はまだ、悪酔いしたのだと思っていた。しかし同じことが何度か続くうちひとえにアルコールのせいとも言えなくなりそれどころか酒を入れてなくとも嘔気や眩暈に襲われるようになり家から出られなくなって内視鏡を受けたのが十二月。既に病院には行っていて逆流性食道炎胃潰瘍が疑われていたが内視鏡で分かったのはやはり食道や胃腸がぼろぼろになっているということでおまけにピロリ菌が大量発生していることも判明した。

 投薬治療により胃酸が迫り上がってくるような感じは収まりようやく嘔気と気鬱から解放されるかと思われたがいっこうに良くならず、電車や飲食店、人の多い場所に行くととたんに倒れそうになる。ふりだしにもどるとはこのことだと僕は思い、これで治ると思っていたから失望は尚更だった。あらためて自分のこの嘔気は何なのか。眩暈は何なのかと考え、エコーでもレントゲンでも内視鏡でも、新宿駅で二進も三進もいかなくなって救急車で運ばれたときの諸検査でも原因は見つからなかったし、となると残りは神経、自律神経じゃないかという考えに至った。

 それからは必ず朝八時に起き、日光を浴びるために三十分ほどの散歩、必ず三食の食事、と夜型だった生活リズムを徹底的に見直した。症状はある程度改善したが、ある程度止まりだった。七月末、もういちど市立病院に行き、父が以前お世話になった先生の診察を受けた。機能性胃腸不全だと思います、といわれた。

 自律神経じゃないか、という自分の考えはやはり遠からず当たっていたわけで、いまは若い人もかなり多いのだという。「まずは一ヶ月これを飲んでみてください」逆流性疑惑のときも飲んでいた胃腸系の薬と漢方を処方された。漢方は自律神経に働きかける薬で、はっきりといわれたわけではないが穏やかな抗不安薬と自分では理解している。漢方ゆえ即効性はないが、副作用も少ない (もしくはない)。

 薬は今まででいちばん効果があった。食べ始めや食後に必ず襲った嘔気、眩暈が徐々に弱くなり、今では自宅だとふつうに食事がとれるようになった。外食のときのしんどさもマシになってきている。

 電車やバスにも乗れるようになった。ひどいときにはホームに入ってくる電車を見ただけで目が回って吐きそうになっていたのだからすごい進歩だ。ただもう完璧にだいじょうぶというわけにはいかなくて、朝起きたときから今日は電車乗んのキツいな……という日もあるし、乗ってから気分が悪くなるときもある。むしろ大きな進歩は、気分が悪くなったときにどうにかその状態で耐えられるようになってきたということだ。以前はそうした気分に襲われるたびにこの世の終わりみたいな絶望感がのしかかりただでさえ生気のない顔を更に青ざめさせていたのだが今は、「畜生また来やがった、あーキツいなどうしよう、次の駅で降りようかな、いや、もうひと駅だけ様子見るか……」というふうに調子が悪いなりに心拍数を維持していることができる。これは電車に限らず飲食店や街に出たときも同じで、もちろん「もう無理っす」となって電車を降りたり店を出たりするときもあるのだが、嘔気が膨張して鼓動が早まって倒れそうになる……という事態はなくなった。一ヶ月の投薬が終わり、新たに二ヶ月分の薬を貰いに行ったとき先生は、「波はあると思うけどその波もだんだん穏やかになって少しずつ耐えられるようになってくるから」といった。その波の満ち引きを僕は今、比較的静かな気持ちで聞いている。

 

 

 一年に近い時間をこうした状態で過ごすと、どういったときに快調になりやすくまた不調になりやすいかが分かってくる。まず前提も前提だが、安心できる空間か否か、というのが快不快の針を左右する最も重大な要素である。たとえば家族の他だれもいない自宅は最も安心できる空間だ。この安心は「仮に気分が悪くなっても誰にも見られない」という意味だと自分では解釈している。なので人が多い空間、たとえば駅、交差点、ショッピングセンター、電車……などは今でこそへいきなものの以前は本当にしんどかった。特に電車やバスといった乗り物は最悪だ。これは「逃げられない密閉空間」だから。同じ理由でエレベーター、テスト会場などもしんどかった。

 一緒にいる人の存在も重要だ。気の置けない人物か、僕の体調が安定しないことを知っていて仮に不調になってもフォローしてくれる人物か、不興がらない人物か。一緒にいる人が自分にとって安心できる人物であればあるほど不調になりにくく、そうでないほど不調になりやすい。

 逆に、快調に導く要素はあるのか。ある。ひとつに、適度な緊張感。緊張感とは不安やストレスのことだから矛盾するようだが、まったく緊張感のない場面よりも、ある程度それが感じられる場面の方が実体験として体調が良い。たとえば登山やバイト。このブログにも書いたが僕は今月盆、友人のKと北アルプス涸沢に登った。体調が安定しない中での山荘泊は不安で一時は無理じゃないかとも思ったが行ってみると、むしろふだんよりも快活で下山した後も山に行く前より体調が良かった。バイトも同じで、山から下りた翌々日から始まった夏期講習、初日は思わず塾の扉の前でへたりこんでしまったが教室に入り、生徒二十数名を相手に話しているうちに嘔気は遠のいて朝から夕方まで授業、終わってからは教員採用試験の二次に向けた準備ととにかくハードな日々だったが、今まででいちばん調子が良かったように思う。塾には僕が唯一好感を抱いている正社員のN先生がいて、そのNさんもまた学生のころ自律神経を崩したという人だった。長らく体調を崩しているとこぼすと「自律神経?」と聞かれ驚いた僕はつい自分の症状を話してしまったのだが、Nさんはうなずいて、「電車とか、密閉して逃げられない空間つらいよね」。「そうそう!」思わず興奮してしまった。全身の凝りがほぐれるような思いだった。そのとき初めてぼくは、どうやったって言葉じゃ伝えられないということが苦しかったんだと理解した。Nさんの場合は自律神経を崩した明確な理由があった。それはここでは書かないが、時が経ってそのしこりがだんだんほぐれ、向き合えるようになったのが回復につながったという。またある程度の緊張感、やらなければいけないタスクがあったほうがかえって楽で、何かに打ちこんで自信を取り戻していくのが回復に至る道のりじゃないかなといわれた。

 Nさんにはバランスを崩す明確な出来事があった。では、僕にとっての原因は何なのだろう。漠然と思い当たるのは三つ。

 まず、将来への不安。就活もせず無為に過ごした大学四年生に、いよいよ選択を迫られた大学五年目。大学院に進学することを決断し無事合格すると不安もなりを潜め修士一年の昨年は環境の劇的な変化、目まぐるしい日々に不安も消えたかと思われたが春学期が終わりすなわち一年目の半分が過ぎ徐々に進路のことも考えなくてはいけないとなって再び不安が昂じ、それが今の症状につながっているのではないか。

 二つ目。最初に倒れるときまでの不摂生。ひどいときには三日に一度くらいのペースで終電だったし朝帰りすることも多かった。終電を逃してカラオケでオールしたその足で友人と合流し伊豆旅行に出かけたこともあった。毎日酒を飲み煙草を吸いまくっていた。あれが祟ったんじゃないか。

 最後……は、割愛。いずれにしろ大きいのは上記二つと思われる。

 

 

 今日は朝から隣の町に出かけた。本屋と図書館に行ったあとカフェに入って読みかけのテッド・チャンあなたの人生の物語』を進めようとしたが喉の異物感が消えず、それでもせめて一篇は読み終えようとしたがそんな状態ではどのみち集中できないので諦めて店を出た。バランスを崩して何がつらいか。春くらいまでは「何が」もくそもなく常時吐きそうだった。だからこれは贅沢な問いだ。つまり、快調になってきたからこそつらいことが何か選別できる。いちばんしんどいときはそもそも家から出られないしもちろん登山もバイトもできない。

 今つらいのはやはり、喫茶店に居づらくなったことだろう。なんだそんなことかと思われるかもしれないが、要は屈託なく外出できなくなったということだ。僕は喫茶店巡りが趣味で日々ネットや本で気になる店を見つけては訪れていた。コーヒーも大好きだしそこで本を読む時間も好きだ。煙草が吸えたら至福といっていい。だがかなり良くなってきている今でもノンストレスで喫茶店にいることはできない。今日のようにコーヒーを残して席を立ってしまうときもある。外出するハードル自体上がっているので遠方の喫茶店はもちろん近場の慣れ親しんだ店に行くのにも体力気力がいる。まだ何の気負いもなくコーヒー・ブレイクを楽しむというわけにはいかない。

 でも、以前の僕は本当に何のストレスもなく外出していたのだろうか。最近思うのだが、完全に何のストレスもない状態というのはあり得るのだろうか。自宅で静養する。それは限りなくストレスがゼロに近い状態かもしれないが、既に書いたようにある程度の緊張感があった方がかえって調子が良くなるし、だからこそそうした状態に身を置いていないことのストレスが存在する。では登山やバイトなどの適度な緊張感がある場面が最善かと聞かれれば、確かに具合は良くても不安感はつきまとうし、些細なキッカケで快不快のメーターは反対側に振り切れるかもしれない。じつは人には完全にノンストレスの状態なんかなくて、徹夜明けの二日酔いでも吉野家に入れたのにと「健康だった自分」として思い出される僕も、ともすれば脳裡に掠める嘔気、眩暈を抱えながら、ただそれを必要以上に意識していなかっただけではないのか。倒れる前と後とで違うのは身体の不調どうこうというより、頭痛を抱えながら吉野家に入る図々しさ、鈍感さの有無じゃないか。気分の悪さに対する耐性の幅ではないか。あるいはこの鈍感さ、耐性の喪失こそこの場合の不調といえるのかもしれない。

 

 

 以上、好不調の波とにらめっこしつつ考えていたことを文章にしてみた。書くのを忘れていたが、この好不調の波は文章の理解度と正比例する。よく鬱病になると本が読めなくなるというが、おそらくメカニズムは同じだろう。具合が悪いときはぜんぜん本が読めない。内容が頭に入らず、何度も同じ行を苛々と読むはめになる。逆に具合が良いとき、落ち着いているときはすらすら入ってくる。この一年では圧倒的に不調のときが多くてろくに本が読めず自分のあまりの理解力のなさに絶望しかけていたが、最近、また少しずつ読む速度が上がってきていて、はじめのうちはそのあまりの順調さに驚いたのだが、よくよく考えてみればそれはかつての自分の読書スピードなのだった。僕は元から決して本を読むのが速くはなくむしろ遅読だが、それでもかなりの速度感があった。この先、少しずつ頁をめくるスピードが速くなっていくのだと思うと、それだけで空が開けてくるような、明るい気持ちになる。