アーキテクチャ断想

 

10/30 (火) 午前、某区荒川土手

河川敷を見下ろすベンチに座り、煙草を吸う。

空は青く澄んでいて、対岸にはビルが見える。

靄が晴れた……いや、幕が上がった。ステージに立たされた僕は丸腰で、急に開けた視界にどう振る舞えばいいかわからない。

だから、何も考えず、煙草を吸っている。

 

11/18 (日) 昼、羽村市の喫茶店

ナポリタンが運ばれてきたので修論を書くのをやめて、食べ終えてからも再開せずにブログを書く。

「最近、僕にはfがない」という書き出しから始めたが、途中で行き詰まり、コーヒーを注文する。

漱石は悪名高い『文学論』の中で「文学」を「F +f」と定義している。Fは対象で、fはFによって生まれる感興だ。たとえば花Fを見る。すると美しいという感興fが生じる。「文学」はF +fで成り立っている。

よって、「fがない」とは、感興が生まれないことを意味する。まあそれは大袈裟だが、少なくともfをfictionに限っていえばそう誇張でもない。最近、小説が読めない。読みたいのに読めないのではなく、そもそも読む気にならない。街を歩いていても妄想が捗らない。なべて現実が味気ない。

 

10/30 (火) 午前、某区

「ありがとうございます。これから、どうぞよろしくお願い致します」

判子を取り出し、内定書に捺印する。

唐突に、就活が終わる。

降って湧いたような内定に、実感が湧かない。

勝手に好感を抱いていたので、雇っていただけることはとてもうれしいのだけど。

ふわふわした足取りのまま、目についた鳥居をくぐる。

5限まではだいぶ時間がある。久々に荒川でも行こうかなあと、グーグル・マップを開く。

 

11/18 (日) 午後、羽村市

最近のf不足を解消すべく、喫茶店を出てかめのこ児童公園に向かう。

CLANNAD』でたびたび登場する公園のモデルとなった場所で、作中ではメインヒロインの古河渚の自宅の目の前にあるため、最も印象的な場所の一つだ。

公園では中高生の女の子たちが遊具の上で写真を撮り合っている。インスタ映え……なのだろうか。幼い男の子と父親がゴムボールを蹴って遊び、乳母車を押した母親同士が会話する。ひとけのない端っこのベンチに腰かけ、煙草を吸う。

親指ほどの長さまで吸ってもfは立ち上がらず、『CLANNAD』の何の情景も浮かんでこない。早々に公園を後にする。シャッフルで曲をかけたらSING LIKE TALKINGの「One Day」が流れて、なんとなくいまの気分にしっくりくる。しかしfは立ちあがらない。

 

11/27 (火) 午前、地元のスタバ

まぎれもない今、という言い方は妙だが、一連の文章を書いているいま・ここ。

修論に疲れたのでこの文章を書いている。

相変わらずf不足で小説が読めない。その代わり批評がおもしろい。最近は「アーキテクチャ」ということばに凝っている。

アーキテクチャ」とは建築、社会設計、コンピュータ・システムの三つの意味があることばで*1、批評の文脈では社会設計の意味で使われることが多い。僕はここでは「場」くらいの意味で使っている。

たとえば、僕は文章を書くときはいつも外に出る。家だとなまけてしまうからだが、これも家というアーキテクチャが文章を書くのに適さないからだ、と言い直すことができる。あるいは、喫茶店アーキテクチャは文章を書くのに適している。

僕が長年ことばにしたくてもできなかった感覚、その大半はこのアーキテクチャということばで説明できるような気がする。たとえば今年の夏、僕は多摩川の川べりで本を読んでいた。うまくことばにできないのだが、なんだかそこだと読書が捗るのだ。しかもえもいわれぬ気持ち良さがあるのである。思えばこの「えもいわれぬ」気持ち良さは、川べりというアーキテクチャが生み出していたのかもしれない。川べりで読むのと家で読むの、本の内容は同じでも、読書感は大きく異なる。同じ本Fであってもそこで生まれる感興fが変化するのだ。「文学」がF +fならば、読書という行為はそれに読む場所、時間等のアーキテクチャxを加えたものなのかもしれない。

でも何が何でも川べりで読めばいいというわけではなくて、たとえば2018年ベスト1となりそうな松浦寿輝『幽・花腐し』は川べりと相性が良かったが、テッド・チャンあなたの人生の物語』は川べりよりもスタバで読んだほうが捗った。同じことは文章を書く場合でもいえるだろう。まあ、川べりで文章を書いたことはないけど。

 

10月某日  午前、自宅

もうダメだ。

詰んだ。

何にもする気になれなくて、一日中ソファに寝転んでいた。

例によって嫌なことを後回しにしていたら、あっというまに今年も残すところあと3ヶ月になった。

未だに就職先が決まっていない。意欲もない。明るい展望もない。

おれってクズだなあ、と考える。トーマス・マンが何かの短篇で「自蔑と悪徳は相養う」みたいなことを書いていたと記憶しているけど、だからって何もせずに自蔑をなくすことはできない。

じゃあ何かしろよという話だが、動くことができない。

寝転んだまま床に落ちているスマホを手に取る。

と、ちょうどそのとき、ラインがくる。

僕は仕方なしに目を通し……身体を起こし、返事を出す。

1時間後には、身だしなみを整えて電車に乗り、新宿に向かっている。

なんとなく、ここが頑張りどころだぞ、と思いながら。

 

11/27 (火) 昼、地元のスタバ(更新されたいま・ここ)

fがないので小説が読めない。当然書くこともできないのだが、あれ、手なりで書いたわりに、「10月某日」のとこ、ちょっとf感ある文章書けてね?

種明かしをすればラインは大学院の後輩からで、僕はその子にいまの内定先を紹介してもらったのだ。僕はすぐさま検索にかけ、ホームページを見てふしぎと「ここで働きたいな」と思った。といっても最初は非常勤採用だったから、もし内定をいただくことができても最終的にそこで働くことになるかどうかは分からなかったが、試験や面接を受けていく過程で、詳細は不明だが常勤採用をしていただけることになった。なんていうか、決まるときはすっと決まるというか、こういうときの最初の予感は外れないのだなと思った。「ここで働きたい」なんて思ったの初めてだったし。

しかし就職が決まって気分爽快になったかというとそうでもなくて、楽観的に見積もっても悩みの種の半分がなくなったに過ぎない。では残り半分は何かといえば、あと4単位取らなければいけない教職課程だったり、そもそも卒業が厳しいという現実がある。体調を崩して1年間も大学にろくに通えない日々が続いたため、必修科目が全然取れていない。卒業できなかったときの覚悟をしなければならない。

最悪、卒業できなくとも教育免許さえ取れれば就職はどうにかなる(保証はないが)と思いたいが、そもそも教職課程すら乗り越えられるかどうかわからない。もちろん全力を尽くしている。死ぬ気で勉強してテストを乗り越えなければならない。万が一落としたら僕は就職できず、何より内定先に多大な迷惑をかけることになってしまう。

修士論文も不安だ。期限に間に合うかどうかも不安だし、良いものに仕上げられるかどうかも不安。僕は社会人になっても何かしら文章を書いていきたいと考えている。だからこそ修論には全力を注ぎ、ひとまずの集大成であると同時に、これからも文章を書いていく上での立脚点にしたい。

相変わらず不安に押しつぶされそうでとてもケ・セラ・セラなんて嘯くことすらできない日々だけど、なんていうか、やってくしかない。

 

 

 

19年4月  教壇

に、立っていますように。

 

 

 

*1:東浩紀『「特集・アーキテクチャ」に寄せて』 (『思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ』所収 ) より