今夜はスマホを置いて寝よう

 

 

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鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』を読んだ。

少し肩の力を抜きたいなと思っていたときに、図書館で見かけたのだ。

鴻上さんは、孤独には「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」があるという。

 この本は、「孤独の価値と素晴らしさ」を語った本です。その内容を、「本当だろうか? 本当に、孤独は価値があって素晴らしいんだろうか?」と、本を閉じた後、一人で考えられるのが、「本当の孤独」です。

「ニセモノの孤独」は、本を閉じた後、たとえば、すぐに誰かに電話やメールをします。一人であること、孤独であることが、みじめで、淋しくて、耐えられないと思っている孤独です。孤独は、つらくて、みじめで、カッコわるくて、恥ずかしい、と思い込んでいるのが「ニセモノの孤独」です。(「はじめに」より)

ぼくは、「一人であること、孤独であることが、みじめで、淋しくて、耐えられない」とは思っていない。けれど、寝る前はいつも、スマホを手に取る。意味もなくブログやユーチューブを立ち上げ、もう何度も見た動画を再生したり、過去の記事を読んだりする。これは、「ニセモノの孤独」だろう。

とはいっても、照明を落とした部屋で、じっと眠りを待っているのはつらい。ついいろいろなことを考えてしまうし、夜は不安が育つ。考えてもしかたのないことばかり考えて、押しつぶされそうになる。これは、「後ろ向きの不安」だ。鴻上さんは、「前向きの不安」は生きるエネルギーをくれるが、「後ろ向きの不安」は生きるエネルギーを奪う、と書いている。

では、それが「ニセモノの孤独」であっても、「後ろ向きの不安」に潰されるくらいならネットワークの網に逃げたほうがいいのか、というと、やっぱりそんなことはなくて、ぼくらがユーチューブを再生しているあいだも、じつは「後ろ向きの不安」は刻々と膨らんでいるのだ。後回しにした分、不安はさらに肥大化してのしかかってくる。やはりどこかで「本当の孤独」と向き合い、自分の身体や心と対話する必要があるのだ。

とはいっても、とやはりぼくは思う。頭では理解できても、それを実行に移すのは大変だ。現に、ぼくはこの本を読み終えてからも、暗い部屋でスマホを手に取ってしまった。

少しずつで良い、と鴻上さんは云う。いきなり1時間は走れない。10分、15分、20分と続けて、徐々に身体を慣らしていけば良いのだ。

 

——だから、今夜はスマホを置いて寝よう。

眠れなくても良い。目をつぶって、夜の静けさを聴いていよう。

 

 

 

切り捨てがプラスになることはほとんどない

 

昨夕、先生からぼくの歌が歌会でいちばん票を集めたとメールがきた。歌会というのは参加者が持ち寄った歌を無記名で印刷し、どれが誰の歌か判らない状態で気に入った歌に投票するという催しだ。

既に何度も書いているように、ぼくは昨年の九月末から胃潰瘍逆流性食道炎に悩まされ、ぜんぜん授業に出席できていなかった。この日も最後の授業でありながら、けっきょく、ぼくは歌だけ提出して出席することができなかった。

 

自分は数え切れないものを切り捨ててきた、と思う。もともと同じ集団に属しているのが苦手で、中学生の頃に入ったバスケ部も、大学で入った文芸サークルも一年で辞めてしまった。キャパシティが小さいのだ。最初どんなに楽しく思えたものでも、余裕がなくなるとすぐに切り捨てた。返事を返さなくなり、人付き合いは途絶えた。

肉体の不調はすべてのキャパシティを低下させる。今期、ぼくはほとんど大学に行かなかった。あれだけ親しくしていた同期とも、たまに顔を合わせただけだった。それどころか、ぼくは時間が有限であることに取り憑かれ、短詩型まで捨てようとしていた。

そうなのだ。病身になってから、修士の一年目が終わりかけてから、自分の進む道を絞ったほうがいいのではないかと考え始めた。ぼくは詩を読むのも短歌を読むのも好きだったが、根は散文的な人間で、ロジックがあるもののほうが好きだった。小説や批評のほうが読んでいて理解できたし、自分に向いていると今でも思っている。

ぼくが詩を読み始めたのは、学部生の頃、詩人の蜂飼耳さんの授業を聴いたからだった。ぼくは『春と修羅』に出会い、『日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく』を知った。短歌を読み始めたのは、大学院に入って、短歌がじょうずな同期と出会い、現代歌壇の第一線に立つ先生と出会ったからだった。どちらもぼくに新しい世界を見せてくれた。それを、ぼくは切り捨てようとしていた。

歌会は授業を受講している十人足らずの院生の中で行われる小規模なもので、そこでたったいちど評価されたからって、とりたてて騒ぐことではない。たまたま、今回、好意的に受け取ってもらえただけだ。でも、ぼくはうれしかった。夕焼けがいつもよりきれいに見えたくらいには、うれしかった。

思えば、ここのところ体調のことばかり気にしていて、創作をしていなかった。

 

別の話になるが、きょう、ゼミが最後ということで、某大物作家の先生と受講者四人で飲み会を開いた。夜がいちばんしんどくなるぼくは正直気が重かったが、同期と先生が終始気をつかってくれたおかげで楽しく会は終わった。終電間際に別れるときには、これから春まで会えないのかと思い、いっちょまえにさびしい気持ちになった。

ほんとうをいえば、ぼくはきょうの飲み会でさえ、ギリギリまで行くかどうか迷っていた。病身になって以来、外で晩ご飯を食べたことはなかったし、そもそもが、電車で一時間近くかかる大学に行くのさえ、ぼくには大きなハードルだった。身体を壊してから、電車に乗るとやたら酔うようになり、目が回るようになった。きょうも、大学に着くまでにいちど電車を降りてしばらく休まなければならなかった。

ぼくにとって一時間の距離は、がんばれば乗り越えられるが、逆にいうとがんばらなければ乗り越えられない壁だった。だから、きっとがんばれば行けたはずの授業を、今期、ぼくは休み続けた。

どれだけの可能性を切り捨ててきたのだろう、と思った。授業に出れば、いつも思いがけない発見がある。同期と話せば、自然とやる気が湧いてくる。負けてられない、と思う。親交も深まる。それに、認知行動療法というのもあった。元凶である (はずの) ピロリ菌が (おそらく) いなくなったいま、ぼくが電車を極端に怖れるのは、逃げられない閉鎖的な空間、しかも大勢のひとがいる——という心理的要素も少なからず絡んでいるはずだ。でも、だからといっていつまでも避けていては、事態はいっこうに変わらない。思えば、かなりの無理を承知で出かけた正月の旅行のときだって、肉体的にはきついはずなのに、ふだん家に引きこもっているときよりも活力が湧いていたではないか。あの旅行を境に、ぼくは少しずつ外に出られるようになっていったのではなかったか。

こんなことを書くのは、ぼくはきょう、ひさしぶりに自分が身体を壊していなかったときの、快活な感じ、精力的に大学に通っていたときの感覚——を思い出したからだ。もちろんお腹の重さ、酸がせり上がってくるような気持ち悪さはなくならない。飲み会でも、ほとんどものを口にすることができなかった。でも、夜更けの街を歩きながら「何かを書きたい」と思うこの感覚は、ぼくが踏ん張って大学に行き、飲み会に参加したから得られたものだった。

だからいま、ぼくはあまりに切り捨て過ぎてしまった今期の自分を反省している。もちろん、現に身体を壊しているのだから、前期と同じように出席するのは無理だ。すべてが精神的な問題ではなく、実際にぼくの身体は不調を訴えている。しかし、切り捨ててもよいという意識がなければ、もう少しは授業に出られたのではないか。新たな出会いがあったのではないか。昨日だって、どうやっても行けないというほど不調ではなかったのだから、出席すればよかった。自分の歌に対するコメントを聞けば、さらに何かが思いついたかもしれない。同期とおもしろい話ができたかもしれない。欠席したぼくは、けっきょく、家でYouTubeを見ていただけだった。

 

切り捨てることで時間を得ようという考えは、(ぼくの場合) たいていマイナスになる。切り捨てるのではなく、少しでも自分のキャパを広げていくこと。切り捨てるのは自分ではなく、時間だ。そのうちきっと、否が応でも切り捨てなければいけないときがくる。だがそれまでは、自分の可能性を模索することが許されている、と思う。

きょう、修士一年の最後の授業が終わった。同期と会える回数も、先生と会える回数も限られている。ぼくはもっと、今ある可能性を大切にしなければならない。

 

 

フォトジェニックの午後

 

 

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 出かけよう、出かけようと気持ちだけは焦りながら、だらだら過ごしてしまう日が続いた。トートバッグの中身をリュックサックに移し、思いきって電車に乗った。

 夏への扉で珈琲を飲んだ後、青梅丘陵を少し歩いた。足を止めた東屋から、うっすらと筑波山の輪郭が見えた。煙草も吸わず、本も読まず、ただ風に吹かれてぼーっとしていた。

 

 思いついて途中の駅で降り、多摩川へ向かった。羽村取水堰は、ずっと行ってみたいと思っていた場所だった。

 

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 自分の立っている場所が、とてもしっくりくる瞬間がある。パズルのピースが合うみたいに、自分がその場の構成分子になって収まっているような感覚。一つのピースに過ぎないが、欠かすことのできない存在。いまこの文章を書いていて、「スティル・ライフ」のある場面を思い出した。三月の初め、「ぼく」は雨崎という地名の海辺に出かけ、「岩になるために」身じろぎせず、じっと坐りこんで、雪が海に吸い込まれて行くさまを見ている。

 音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。(…) 雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。(池澤夏樹スティル・ライフ」)

 

 けれど実際に河川敷を歩きながら考えていたのは、ペーター・ツムトアの「空気感 (アトモスフェア)」だった。きっと彼の云う空気感とはこんな感覚ではないか、と思った。

 その場の風と光、「空気感」に自分が合一しているのを感じたとき、ぼくは非常な幸福を感じ、きまって小説を書きたくなった。今日、ぼくは久しぶりにそうした感覚に包まれ、光と影に縁取られたシーンが幻燈のように幾つも脳裡に浮かんだ。それをそっと携えて、帰路についた。冬休み最後の日に、ずっとほしかった天体望遠鏡をもらったような、そんな気分だ。

 

 

 

 

 

空気感(アトモスフェア)

空気感(アトモスフェア)

 

 


Gilbert O'Sullivan - Alone Again (Naturally)

 

 

 たしかぼくの敬愛するショーペンハウアー先生も健康の維持が大切だ (幸福の第一条件である人柄が傷つけられないために) といっていたと思いますが、2017年はそれを身をもって思い知らされた一年でした。もう何度も書いてますが、9月末から体調を崩し、今なお腹部の不快感、膨満感に苦しんでいるからです。先日、とうとう胃カメラを受けました。まだ詳細な説明は受けてませんが、逆流性食道炎だといわれました。食道と胃腸がめちゃくちゃ荒れていたそうです。ピロリ菌もいるかもしれないといわれました。

 いや、ほんとにまいった一年、というかラスト三ヶ月だった。「だった」って過去形で書いてるけど来年もしばらく悩まされるんだろうな。早く気にせず外出して、お腹いっぱい好きなものを食べられるようになりたい。2017年は厄年で、「んなのかんけーねぇよハハ」と笑っていたけど、最後に盛大なパンチを食らった。

 そんな中、ブログにはだいぶ助けられました。お腹が気持ち悪くて何もする気になれなかったとき、どうしようもないくらい落ちこんでしまったときも、文章を書くことで、そして何よりも読んでいただけることで、救われた。いつも読んでくださっている方、ほんとうにありがとうございます。拙いブログですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 最後に、今年読んでおもしろかった本。

 

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 見えづらくてすみません。3位はリシャルト・カプシチンスキ『黒檀』、7位は佐々木中『切りとれ、あの祈る手を——〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』、10位はミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』、16位はオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』(大森望訳) です。ちなみに、この前のブログで「めちゃくちゃおもしろかった」と書いたのは1位の『ゲームの王国』。参考までに、読書メーターに書いた感想を載せておきます。

凄い。凄すぎて感想が書けない。シハヌークによる恐怖政治からポル・ポトによる輪をかけた恐怖政治、ついには近未来へ。この小説にはすべてが詰まっている。テロル、虐殺、不条理、物語、革命、想像力、脳科学、家族、愛情、運命、抵抗……つまり、人生が書かれている。上巻の悪夢を超えた壮絶さ、寂寥と諦念が滲む下巻。脳科学を利用したムイタックの最期の試みは『虐殺器官』を想起させて胸熱。もし世界が「ゲームの王国」だったなら。この小説は、僕等に世界の存在を教えてくれる。子どもの頃に忘れてしまった問いを、希求を、突きつけてくれる。

  あんま参考にならなくてすみません……。凄い小説だったので、記憶が古くならないうちにちゃんと書評書かねば。

 

 それでは、よいお年を。

 

 

ほんの少しでも立ち止まっていればよかったのに日記

 

12月25日。世間はクリスマスだけど、ぼくにとっては学会論文の〆切でした。

本当は昨日のうちに脱稿する予定だったけど、お腹が気持ち悪かったので、先送りにしました。

論文自体は書き上げており、あとは細かい点の修正や脚注の見直しだけすればよかったので、当日にやっても十分間に合う予定でした。

13時半頃。カフェでパソコンを開き、念のためメールを確認したぼくは、息が止まりました。

論文の〆切は今日までではなく、今日の正午まででした。

慌てて校正を済ませ、14時頃、完成度には目をつぶって、とにかく送りました。

さっき確認したメールには、すぐ査読に回すから〆切は厳守せよ、と書かれていました。

謝罪の文面とともに原稿を添付したメールを送り終えると、すぐに自分の元にメールが届きました。たったいま、自分が送信したはずのメールでした。

背筋が凍りました。

なんと、ぼくは慌てた結果、助手宛ではなく、学科全体にメールを送っていたのでした。ぼくは顔が青ざめていくのを感じました。頭を抱えました。わけのわからない呻り声をあげて、隣の人から奇妙な目で見られました。パンをかじりました。頭を抱えました。コーヒーを飲みました。呻り声をあげました。文庫を開いて、頭を抱えて、閉じました。挙げ句の果て、読書メーターでこの事件をつぶやき、それでも楽にならなかったので、ブログを書き始めました。ネタにしなければ立ち直れない、そう思いました。

ちなみに、『言わなければよかったのに日記』は読んでいません。僕が学部生だった頃、詩人の蜂飼耳さんが紹介していたのを覚えています。『楢山節考』は時間のむごさと切なさに胸が苦しくなった記憶があります。

話をもどすと、申し訳なさと恥ずかしさで消えてしまいたいです。いえ、嘘をつきました。恥ずかしくていてもたってもいられないです。自分、なんで学科全体にメール送ってんねん。なに学科の皆様に自分の謝罪文クリスマス・プレゼントしてんねん。ちなみに、メールには所属も名前もきっちりかっちり書かれています。学科全体といってもおそらく大学院の学科のみであるはずなので (そうであってくれ)、届いたのがおおよそ知っているひとたちであることが唯一の救いです。恥ずかしいことにかわりはないけれど。

 

 

昨日の深夜、読み終わった本がめちゃくちゃおもしろかったので、年内に感想なり書評なりを書きたいなあと思っています。あるいは、2017年で印象に残った本など。

よろしくお願いします (頭を抱えてのたうち回りながら)。

 

 

紅葉の森の満開の下



 隆起した岩畳にかこまれて、目の前を青緑の川水が流れていた。
 抜けるような青空から降り注ぐ日射しは、もう秋の光。向こう岸には黄、橙、赤と色づいた梢が腕を広げ、深緑のままの梢も、そっと佇む。
 そこだけ突きだした岩畳の崖に立ち、水飴のような川水を見下ろした。風が吹き、水面に浮かんだ落葉が小魚のように流れ去る。僕は身震いをした。雪の下に冷やされていたような、硬くて冷たい風だった。強く吹きつけるのでも鋭く肌を刺すのでもないが、からだの奥深くまで澄みわたっていく。山間部と都市部では、風の質感がこんなにもちがう。
 ピッ、と電子音が響き、すぐにシャッターが切られる音がつづいた。振り向くと、デジタルカメラを手にした川井がわらっている。
 僕は川井からカメラを受け取り、つい今しがたまで僕がいた場所に立った川井を、たっぷりとたゆたう青緑の川水を、ところどころ色づいた梢を、薄く透きとおった青空、遠景の山、そこから吹いてくる風、あたりを満たす秋の光を——ぜんぶ、ぜんぶ切り取ってしまいたいと思った。
「……まだ?」
「あ、ごめん」
 後ろ髪を引かれるように、シャッターを切った。川井は照れたようにわらい、僕のとなりにならぶ。
「あっちのほう行ってみようか」
 うなずいて、僕はもういちどレンズの中をのぞきこんだ。上流へ向けると、川上の高い位置に光の球体が浮かび、翳りを帯びた暈が広がっている。しばらく迷ってからシャッターを切り、割れ目のある岩畳の上を慎重に歩いている川井のあとを追った。二〇一七年十一月二十一日火曜日、僕は二十四歳で、風と光にかこまれていた。
 

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 九月の末、僕は強烈な吐き気と眩暈に襲われ、意識を失った。
 最初は食べ合わせが悪かったのだと思った。だがそれからというもの体調はいっこうに良くならず、それどころか悪化の一途を辿っている。
 腹部の不快感、吐き気はもちろんだが、何よりしんどかったのは外出ができないということだった。からだの不調が長引くにつれ、情けなさと不安は増幅し、精神もやつれてくる。せっかく克服したはずの、アパシーがまたやってくる。こういうとき、今までならば山に登ったり好きな喫茶店に行くなどしてストレスを解消することができた。一昨年から昨年にかけてほとんど鬱ともいえる症状に落ちこんだ僕は、深みにはまる前に自発的にデトックスすることの大切さを痛いほど知っていた。しかし今回は、そのデトックスすらままならない。なぜならからだの不調が外出を阻むからで、しかも僕は吐き気への不安から電車を避けるようになっていた。もちろん喫茶店に行くこともできず、いちど無理して行ったときは注文してすぐに気分が悪くなり、ろくにコーヒーも飲まずに席を立った。こうして日々は無為に過ぎ、腹部の不快感と吐き気だけが存在感を増していった。
 そんな最悪な日々のなかで、僕がゆいいつ会うことができたのが川井だった。東京に転校してきて以来、十年以上の付き合いになる川井の前では僕は猜疑心を脱ぎ捨て、弱い自分を見せることができた。川井はただひとり、僕にとってストレスフリーな存在だった。
 だから、他愛もない話をしていたとき、ぽんと「山に行こう」という言葉が出てきた。
 川井は乗り気そうな顔をしたが、すぐに心配顔になった。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ」
 ほんとうはぜんぜん大丈夫じゃなかった。けれど川井が一緒ならば、吐いてもきっとどうにかなると思った。吐き気に対する不安よりも、山に行きたい、山の空気を吸って、体内の空気を入れ換えたい、という思いのほうが強かった。

 現実は甘くなかった。
 待ち合わせ場所である新秋津駅に到着するまでの車内で僕は猛烈な酔いと吐き気に襲われ、混雑した車内でほとんど膝をつかんばかりになっていた。くらくらしながらどうにか改札を出て川井と合流すると、挨拶も早々に僕は謝った。
「ごめん、三峯むりだ」
 本来なら、僕たちは秩父鉄道三峰口駅まで行き、そこからバスと徒歩で三峯神社へ行く予定だった。徒歩を組み入れたのは僕が長時間のバスに耐えられそうになかったからだが、途中で降りるにしてもバスに乗ることにかわりはなく、おまけに下車した後コースタイム二時間半の道のりを歩かねばならない。もともと理想の高い計画だったが、ここまでの電車で早くも心が折れてしまった。
 急遽予定を変更して、三峯ではなく長瀞へ行くことにした。いちおう、こうなったときのために幾つか代替案は考えていた。三峯に行ければそれにこしたことはなかったが。

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 所沢から特急レッドアロー号に乗り、八時五十九分に西武秩父駅到着。歩いて御花畑駅に向かい、秩父鉄道に乗り換える。
『頭ん中御花畑にしてきます』
 行き先を伝えていない家族に写真を送る。こんな茶目っ気のきいたラインを送ったのは、今日の目的、嫌なことをぜんぶ忘れて、脳内を幸福物質でいっぱいにする——を自分に確認するのに、こんなに適した駅名もないだろうと思ったから。
 長瀞駅に着いた僕たちはまず岩畳に向かい、しばらく周辺を散策したのち、寒かったので川下りはしないことにして (僕の体調の不安もあった)、宝登山へ向かうことにした。観光案内所でもらったパンフレットによれば、宝登山にはロープウェイが通っており、それならばいまの僕でも山頂に行くことができる。登山口まで歩いていくことができるのもありがたかった。 

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 道中で土産物屋に寄り、川井は醤油煎餅を買った。焼き上がるまでの間、香ばしい匂いを嗅ぎつつ、お店の女性と話をする。彼女は僕たちのことを大学生だと思ったらしい。平日に遊びにきていて、しかも見た目も幼かったら、そう思うのも自然だろう。いつものことなので、僕も川井も訂正しなかった。……が、「これからテスト期間?」と聞かれ、適当に受け流すことがへたな僕は自分が大学院生であることを説明した。川井は苦笑いしていた。 

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 山頂に向かう前に、山麓宝登山神社へ立ち寄った。こぢんまりとした、でも立派な社殿だった。お守りの揃え具合を見た感じ、どうも金運で有名な神社らしい。僕は病気平癒のお守りを買った。お守りを買うことで、ぜったいに健康になるという自分の決意をかたちにしようと思った。その間に川井はおみくじを引き、広げられたみくじには「末吉」と書かれていた。ひととおりふたりで流し読みしたのち、僕等は来た道をもどった。
 立ち寄った団子屋のおばさんに、「若いんだから歩いて登らなきゃ」といわれた。いつまでも大人になれない僕は、ついむっとして「病気なんです」と返してしまった。おばさんは少し気まずそうな顔になり、「なら仕方ないね」と下を向いた。
 川井がトイレに行っているあいだ、僕はスマートフォン宝登山登山のコースタイムを調べた。二時間三十分。とても無理だ。溜息をつき、ポケットにしまう。川井がもどってきた。
「いま、宝登山のコースタイムを調べてたんだけどさ」
「うん」
「二時間半だって。悪いけど、やっぱロープウェイじゃないと無理そうやわ」
「けっこうかかるんだね。まあ、予定どおり乗ってこう」
 二時間半。健康なときなら、なんてことない、むしろ楽な部類に入る登山だ。それなのに、いまの僕にはその二時間半が遠い——いや、重い。途中で気分が悪くなったり吐き気に襲われたりすることを思っただけで、足が竦んでしまう。
 悔しかった。さっきのおばさんの言葉も、川井に迷惑をかけてしまうことも、何より大好きな登山もろくにできないことが……。僕はもういちどスマホを取り出し、宝登山のコースタイムを調べた。
 意外な数字が目に入った。
「登るのにかかった時間、五十分?」
「どうした?」
「いや……」
 個人のブログで、ちょうどいま僕たちのいる麓から登ったひとが、山頂までにかかった時間は五十分だと書いている。おかしい。さっき見たページでは二時間三十分と書かれていた。僕はほかのひとのブログも見た。一時間弱と書いてあった。
「……さっき、二時間半っていったけど、勘違いだったみたい。いま見直したら、そのひとのはいろいろ縦走する複雑なコースだった。こっから登るだけなら、一時間弱で行けるみたい」
「おっ、じゃあ登ろうぜ」
 返事をするのに、少しだけ時間がかかった。けれどこたえはもちろん、
「よっしゃ」

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 体調を崩してからはほとんど外出しておらず、著しく体力が低下していたため休み休み登った。途中、吐き気に見舞われもしたが、なんとか五十分ほどで登りきった。

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 低山ながら、山頂からは山々の襞、荒川まで見わたせ、かなり気持ちが良かった。秋冬は空気が澄んでいるから遠くまで見通せるし、何よりもこの光の屈折、少し翳りを帯びた日射しに透かされた景色が僕はたまらなく好きだ。
 そう、僕はたまらなく幸福感を感じていた——ドーパミンが脳内で弾けているのがわかる。清澄な光と空気にさらされ、自分が深奥から浄化されていくのが感じられる。そして自力で山頂に立てたことの達成感……。久々に山の喜びを味わい、僕は体内に溜まったガスが、毒が、蒸気となって抜けていくのを感じた。
「いい眺め」
「うん」
 色づいた山の頂で、僕たちはほとんど何も喋らずに立ちつくしていた。そうしてどれくらいの時間が経っただろう。急に目が覚めたみたいにはっとすると、お互いの姿を写真に収め、ロープウェイ乗り場に向かった。汚れた窓ガラスの向こうに、今までいた場所が遠ざかっていく。ロープウェイは僕等が五十分かけて登った道を、たった五分で下り終えた。……

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 麓に降りた僕等は坂を下り、岩畳の近くの食事処で蕎麦を食べた。食後、胃酸を抑える薬、胃腸を広げる漢方、咳止め……と数々の薬を飲んでいると落ちこみそうになったが、これからの予定を考えることでどうにか頭を切り換える。
 パンフレットに載っていた紅葉山公園が気になると川井がいうので、僕等は線路伝いに道を進み、公園まで歩いていくことにした。

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 紅葉の森の満開の下。木漏れ日までが紅に染まり、散り敷いた地面もほんのり発光する。頭がぼーっとなるような光景で、僕等は息をつき、ただぼんやりと佇んでいた。
 紅葉は、冬の訪れに伴う日照時間の減少と気温の低下が光合成の効率を低下させ、落葉樹が休眠のために養分の往き来を遮断することによって生じる。養分が供給されなくなっても蓄えられていたクロロフィルによって葉っぱは光合成をしグルコースを生産するが、幹とのあいだは遮断されているのだから、当然それを送ることもできない。そこで行き場を失ったグルコースが葉っぱを紅葉させる。たとえば桜の開花が気温の上昇と日光による向日性の現象だとするなら、紅葉は背日性の現象なのだ。そこに僕はシンパシーを感じる。桜の季節は僕を後ろめたくさせるが、くっきりと、あるいはほのかに色づいた秋の梢は、これ以上ない安らぎを僕に与える。

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 公園から川のほとりに降りていくことができた。岩畳周辺のゆったりした流れとは異なり、浅瀬に勢いを得た波が白く頭をもたげている。僕等はできるだけ平らな石を見つけ、水切りをした。川井の投げた石が、トトト、と水面を跳ねていった。……


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 西武秩父駅前に新設された「祭の湯」に浸かり、予約していた十六時二十五分発のレッドアロー号で帰途についた。
 心地良い眠気に揺られながら、自分を包んだ風と光と、満開の紅葉とを思い返していた。そして、となりで目をつぶる川井を見た。
 往きの電車、登山中、食後、温泉で——たびたび腹部の不快感は高まり、吐き気の予感がかすめた。しかし僕のとなりには気の置けない友人がいて、目の前にはただ時間とともに流れる自然があった。だれの顔色をうかがうこともなく、傾斜に沿って流れるだけの川があり、季節とともに腐食する葉っぱがあった。僕は槍ヶ岳に登ったときのことを思い出した。
 あのときも——自然はそこにあって、僕はその肩を借りているだけだった。屹立する穂先を前にあらゆる言葉は失われ、僕等はただ息を飲むことしかできなかった。池澤夏樹は書いている。「(…) 百万の言葉を組合せても、一本の木も作れない。だからぼくは、さっき書いたとおり、夕焼けを見ても言葉をもてあそばず、ただ精一杯の感激をこめてため息をつけばそれでいいのだ。」(『夏の朝の成層圏』)
 自然の圧倒さの前では、僕は言葉の殻を脱ぎ、全身で外気に触れることができた。もつれあった日々の糸を撚りなおし、ピンと背筋を張ることができた。そして改めて張り直さないといけないほど、僕はがんじがらめで、自分でもわからぬうちに息ができなくなっていた。


 無理を押して出かけてよかった。きょうのことを、いつまでも忘れないでいよう。
 車窓の景色は流れ、巻き戻しみたいに流れ……朝に来た道を帰っていく。シートにもたれ、目を閉じた。明日から、また終わりなき日常が始まる。それも、不快で吐き気を伴った日常が……。けれど何もかもゼロになるわけではない。たとえばそう、これからの日々、まなうらにはいつだって——満開の、紅葉の森。




 






治療としての垂れ流し

 

 最悪だ。寝ても覚めても胃がむかつくというのはほんとうに気が滅入る。

 前回のブログを書いた翌日、消化器内科に行った。そこでお腹にゼリーみたいなのを塗られて超音波がどうたらこうたらいう機械でお腹のなかを検査してもらった結果、とりあえず真っ先に疑われた胆石はなく、ポリープはあるががんの可能性もきわめて低いとのことだった。ひとまず安心したが、病名はわからずじまい。とにかく胃酸が出すぎてるんだろうといわれ、胃酸を抑える内服薬を処方された。

 もらった薬を飲むとてきめんに効果があらわれ、だいぶ楽になった。だから日曜日に約束していた高校の友人たちとの飲み会に (まあウーロン茶いっぱい分だけ顔出すか) と思って行ったのだが、友人の顔を見た途端に例の吐き気、冷や汗が襲い、どうにもならなくなった。もともとウーロン茶いっぱいで帰ると予告していたので彼等もぼくの体調が芳しくないことは知っていて、「どうした」と聞かれるたびにぼくは「逆流性食道炎」とこたえていた。ほんとうはまだそうときまったわけじゃないのだが、「胃酸が出すぎてるらしい」というのはいかにもあいまいで、具体的な病名をいわないと相手にわかってもらえないだろうし、細々と説明を重ねるのは面倒だからという理由で「逆流性食道炎」とこたえていたのだが、何度もそう説明しているうちに自分がほんとうに「逆流性食道炎」になったみたいに思えてきて、やっぱり気が滅入った。ぼくはわりと言霊という概念にとらわれているのかもしれない。

 おまけにその日の朝から風邪を引いた。起きたときから喉が痛く、声が出なかった。今朝からは少しましになったが、それでもまだ声はでない。きょうは午前・午後と大学のティーチング・アシスタントのバイトがあったが、午後の分は休ませてもらった。当日の朝になってお願いしたのに助手の方は快く許可してくださり、しかも体調を気遣う言葉までかけてもらって申し訳ない気持ちになった。

 電車に乗ったり、人通りが多い場所に出たりするとあの吐き気、冷や汗、動悸が襲う。ネットで検索すると逆流性食道炎と不安神経症を併発したひとの文章に行き当たり、症状があまりに似ているのに驚いた。マジか。ぼくは自分はそんなにメンタル弱くないと思っていたのだが、いまの症状は明らかにこれだ。不安神経症。そういえば、消化器内科の医者も「胃のむかつきや吐き気はわかるんだけど、冷や汗とか動悸は説明できないんだよなあ」とこぼしていた。胃酸過剰によって吐き気を催す一方で、「吐いたらどうしよう」という不安が冷や汗や動悸を呼んでいるのかもしれない。とそこまで考えて、さらにがくっときた。こんな調子では、将来社会人になっても、すぐにストレスで潰れるんじゃないか。やっていくことができないんじゃないか、と思ったのだ。

 でも悪いことばかりではない。助手からぼくのことを聞いたという大学院の同期が、さっきラインをくれた。その子はぼくが日頃からしみじみいいなあと思っている子で、なんというか、ひじょうに健全な感じのする、ちょっと今までには会ったことのない感じの女の子だ。吐き気がひどいと伝えると、「煙草は控えんとね。というか禁煙ね」と返ってきた。そうだよなあと思いつつ、ラインを返しながらファミマの喫煙所で煙草に火をつけたぼくは掛け値なしのクズだと思った。2017年最後の一本にします。

 

 読書と映画の話。

 いま、フォークナー『響きと怒り』を読んでいる。もうそろそろ上巻が読み終わりそうだ。「いま/ここ」の語りが突如として挿まれるゴシック体 (原文ではイタリック) によって過去へと飛び、過去から現在へ、現在から過去へというふうにスリップを繰り返す。そうした時制の跳躍は語り手の知覚の連想に依っていて、たとえば「木のようなにおいがした」という一文からゴシック体の「木のようなにおいがした」に引き継がれて時制がジャンプしたりするのだが、これが読み始めは一家の事情もよくわからないし、また最初の章の語り手はまわりから「キチガイ野郎め」といわれている人物なので、知覚のあり方が独特で、よって文章も独特なので、ぜんぶ理解してついていこうとするとたいへん。でも大陸南部の肥沃な自然の繊細な描写、夜の闇もそこに響く虫の声もすべて「聞くことができた」と語る文章がうっとりしてしまうほどよくて、するする読み進んでしまう。岩波文庫版で読んでいるのだが、脚注も詳細で参考になる (が、たまに詳細すぎてうっとうしくなる)。下巻まで読み終わったら、また読み返したいなあ。

 映画ではこの前『エコール』を観た。TSUTAYAでこれとパク・チャヌクの『お嬢さん』を借りたのだが、そういう気分だったんです。『エコール』は映像的に美しい映画だと聞いていて、確かに期待に背かない美しさだったのですが、映像よりも音響がよりいっそう美しいと感じました。せせらぎや葉ずれ、少女の乗るブランコが軋む音が耳朶を心地良く打って、とろんとした気持ちになりました。

 『エコール』、また観たいと思うほどおもしろい映画だったけど、けっこう怖い内容だと思う。けっきょく、エコールはどんな場所なのか最後までわからなかった。孤児院的な場所なのか、それとも少女は誘拐されてくるのか……。主要人物がふたりいて、ひとりはイリスって名前なんだけど、顔立ちがアジア人ぽかったのが気になった。そしてもうひとりの主要人物、ビアンカがすごく美人で見ているだけでうっとりした。映画が収録されたときの実年齢は知らないが、少なくともまだ幼く見えるのに、深い知性と憂愁を漂わせていて……。よかった。

 朝の四時半くらいからリビングのテレビで観ていたのだが、六時すぎくらいに母親が起きてきて、なんとなく気まずかった。たぶん母はろくすっぽ画面を観ていないはずだが、少女の無垢と官能美を撮った映画だけにね……。かといって昼間は肺炎の父親が海外ドラマを観ているし、まあPCで観てもいいんだけど、せっかくなら大きい (というほどでもないが) モニタで観たいしなあ……。

 そう。書くのを忘れていたが、いま我が家には病人が二人いる。ぼくと、父。ぼくがすっかりまいってしまう前にいち早く父が高熱でダウンし、会社を休んだ。土曜日、ぼくといっしょに内科にかかると、軽い肺炎だと診断されたらしい。というわけでかれこれ一週間近く父は家にいる。病人二人で家に閉じこもっていても気が滅入るので外に出掛けたいのだが、いまは吐き気の不安もあって迂闊に出掛けられない。胃酸が出すぎるのもストレスが一因だといわれているし、ましてや不安神経症の疑いもあるのだからぼくはきっとストレスを解消する必要があるのだが、ぼくにとってストレス解消とは遠くの自然、つまり山とか湖に出掛けることで、でもいまは出掛けられない。そんな悪循環のなかで身動きならず、おまけに父からは悪徳商法のひとみたいに「がんじゃないか。内視鏡やれ。がんじゃないか。胃カメラ飲め」と繰り返されるし、それに対してぼくが「確かに二十四になってまだ一回も胃カメラ飲んだことないからやったほうがいいとは思うし近日中にやるのもやぶさかではないがあなたのその悪徳商法的な、医者もがんじゃないっていってるのにそれどころか「胃がんを心配してきたんですけど」とこぼしたぼくを鼻で笑いさえしたのに勝手にがんだがんだと騒いで胃カメラを売りつけるのはやめてくれ」と怒ったら逆ギレされるし*1。はぁ〜もうやだやだやだ。山に行きてえ、でも行けねえ。八方ふ・さ・が・り!

 ということでひとまず出掛けずに済むストレス解消法を考えた結果、ぼくはamazonで1円の「ポケットモンスター ルビー (GBA)」をポチったのだった。この前からなぜかやたらとやりたくて、でもソフトは昔捨ててしまっていたので。届いても実際にやるかどうかはわからないけど、まあ1円だったし、とりあえず買ってみました。

 

 以上、治療としての垂れ流し。

 

エコール [DVD]

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*1:確かに内視鏡胃カメラをしたほうがいいというのはわかるんです。でも、それはあくまで「二十四にもなるのに一度もやったことがないから」であって、父みたいに無理矢理がんの不安を煽ってやらせようとする手口にぼくはへきえきしています。もっとも、心配性の父が本気で心配してそういってくれているのもわかるのですが。