秋の夜長の吐き気

 

現在、午前四時十分。眠れないのでブログを書いている。なぜ眠れないのかといえば、お腹がもたれている感じで気持ち悪く、吐き気も催してしんどいから。この「実際には吐かないんだけどすごく吐きそう」な気持ち悪さは九月末くらいから断続的に続いていて、一時は収まっていたのだけど、最近また再発した。ネットで検索した感じ、たぶん逆流性食道炎だと思う。でも食べた直後に気持ち悪くなるときばかりでなく、何も食べてないときや食べてしばらく経ってから気持ち悪くなるときもあり、しかも考えてみると緊張したときや集中力が切れたときに症状が出始めるような気もして、となると心因的要素も絡んでるってことだから、自律神経失調症か? と思ったりもする。病院も行かなきゃと思いつつ行けてない。収まってたからもういいやと思ってたけど、現にいま寝れないくらいしんどいし、何より食べる楽しみが奪われているのが辛すぎるのでちゃんと病院行って検査してもらわなきゃな。。もともとやせ型だけど、いまは自分でもひくくらい痩せている。172cmの成人男子が48kgってどうよ。症状が悪化するので一ヶ月以上酒も飲んでないし、きょう、煙草もやめようと決心した。味気ねえ。。。

そんなわけで気分が悪く、読みかけの本も集中できないので、読者になってるわけじゃないけどなんとなく定期的にのぞいているブログや、たまたま思い出した、以前よく見ていたブログなんかを巡っていた。で、見終わったのでいまブログを書いている。

長らくブログを書いていなかった。ブログを書くよりも先に書かなきゃいけないものがごまんとあったし、それはいまもなんだけど思考する元気がないのでいまはブログを垂れ流す。あとは単純に忙しかった。相変わらずすぐに楽な方へ流れようとする「水は低きへ流れる」「怠惰な者は引きこもる」ぼくだけど、それでも無為な一日を送ってしまった日は反省して、というか環境が無為な一日を許さないので (〆切とか)、わりとがんばっていた。とりわけこの一ヶ月は非常に忙しく、というのはつい先日大学院の学会発表があったからで、ぼくはそこで発表をやることになっていたからだ。こんなにちゃんと準備をしたことも初めてなら、ほぼ毎日のようにスタバが閉まるまで文章を書いていたのも初めてだった。月並みな感想だが、大変だったけど、やってよかったと思う。おかげで思考癖がついたし、とにかく外に出れば何かしら進むということがわかった。これからは課題に限らず趣味の小説を書くときなんかでもスタバに行こうと思う。きょうもコメダに閉店までいて青木淳悟ベケットを読んでいた。恥ずかしながらやっと『ゴドーを待ちながら』を読んだが、めちゃくちゃおもしろかった。「遊んでると、時間はたつもんだ!」というヴラジーミルのせりふがミソかなと勝手に思う。ラーメンズは『ゴドーを待ちながら』をやっていたんだなと思った。いろいろな変奏を重ねて。

吐き気がしんどさを増してきた。でも書くのをやめたところで眠れそうにないのでなんか書く。

そもそも、初めて発症したのは九月の二十六だった (たぶん)。親友のKくんとラーメンを食べたあとに一杯だけひっかけて、わかれた。乗り換えのために電車を降りた途端、急激な吐き気と動悸が襲い、(このまま電車に乗ったらダメだ) と直感したぼくは這々の体で階を上がり、トイレへ向かった。が、トイレに入る角を曲がったところで視界が真っ白になり (モザイクタイルみたいに)、何も見えなくなってぼくは膝をついた。壁に手を這わせながら倒れ、しばらくうなっていた。少しずつ視界はもどってきたが、立てそうになかった。女性がぼくを見て声をかけるかかけまいか逡巡した後、気まずそうに去っていった。ぼくは壁にもたれたまま男子トイレに入り、僥倖にも空いていた個室に入って腰を下ろした。いま思えば、そのときも物凄い吐き気にもかかわらず吐かなかった。五分か十分か個室にいて、それからまた這うようにホームへ降り、何本か電車をやり過ごしてからえいやっと飛び込んだ。電車に乗っていたのはたった十分足らずだが、吐くか吐かないかの瀬戸際で、全身から冷や汗が迸り、動悸も吐き気もひどく、地獄だった。最寄り駅について改札を出ると、(もうこれでどこにでも吐くことができる) と思って一気に気が楽になった。しばらく休んでからシャワーを浴びて死んだように眠った。

翌日は女の子と酒を飲み、一緒に電車に乗っていたときに気持ち悪くなり、思わず途中の駅で降りたが、やはりしばらく電車に乗れなかった。で、やはり乗った後は地獄だった。

ということがあって、そのときのぼくは (酒がいけないんだ) (煙草とあわせたのも悪かったにちがいない) と思い、それからは禁酒禁煙の日々を送った。禁煙は五日で断念したが、禁酒は今でも続いていて、なんだかんだ飲まないなら飲まないで過ごせるものだな、と思っている。

でまあ、節制の甲斐あってかしばらくの間は症状も収まっていたのだけど、またここにきて再発し始めているのはどういうことか。収まっている期間もたまにはしんどくなることもあったのだろうけど、はっきり (あ、またきた) と思ったのはつい先日、学会の日だ。その日、学会終了後に打ち上げがあったので、ぼくは一ヶ月ぶりにビールを注文した。「禁酒は今でも続いていて」って書いてたのにどういうことやねんと思われるかもしれないが、じつはその日一日だけ、飲んだ。が、ジョッキ半分も飲まないうちに例の吐き気、動悸、冷や汗が始まり、それからはずっとハンカチで口を押さえていた。ちなみに、久々の酒に警戒して煙草は吸っていなかった。……そのとき以来、どうも再発してしまったらしい (「再発」ってヤな言葉だ。すげえ病気っぽい。ほかの表現はないものか)。そしていま考えると、その徴候はその日の午後、つまり学会中にもあった。

学会開始直後、どういうわけかぼくは非常な緊張を覚えた。ふだん、人前で話すことには慣れていて、それどころか人よりうまくできるとの自負さえあり、得意としていることなのにめちゃくちゃ緊張し、吐き気を催したのだ。思い出せば、症状はまるっきり一緒。吐き気、動悸、冷や汗。ついでにいってしまえば、ぼくがとった行動まで一緒だ。ハンカチで口を押さえる。

自分の発表が始まってしまえばそれらの症状は緊張とともにすーっと引いていき、学会は無事終了したが、あのときの吐き気を伴う異常な緊張って、そのときは (柄にもなく緊張している。やっぱ学会レベルになると俺でも緊張するのか) って思ってたけど、病的なもの、つまりぼくがいま抱えている逆流性食道炎あるいはほかの何かしらの症状に起因していたのではないか。

父親は熱を出して家でうなされているし、たったいま母親が悪夢でも見たのか悲鳴を上げるし、なんか冴えてない。ぱーっとおいしいもんでも食べに行きたいけど (母は学会終了祝いで焼肉に行こうと言ってくれている)、いまのままではろくに食えないし。下手したら吐くし。いやほんま、ちゃんと病院行こう。。

……ここまででだいたい書くことはなくなったのだけど、まだ寝たくないので続けます。果たしてここまで読んでくれている方はいるのか。こんな辛気くさい話。

 

しばらく前から武田百合子の『富士日記』をほかの本を読む合間合間に読んでいて、ですがまだ上巻も読み終わりません。我ながら読むのが遅い。いま思いついたけど、『たべるのがおそい』じゃなくて『よむのがおそい』って文芸誌つくったら売れるんじゃないですかね。古井由吉とか古井由吉とか載せてさ。ぼくだったらたぶん読まないけど。

でも、これは前に「進まない読書」ってエントリで書いたけど、なかなか読み終わらない=つまらないってわけでは決してなくて、『富士日記』はいいよ。言葉の羅列が力を持つのか事実の羅列が力を持つのかはわからないけど、描かれる山麓の冷たい空気もあいまって、とても清く澄んだ文章。気取ったところがないのもいい。そこに描かれる夫武田泰淳がどこかとぼけているのもいいし、それを見つめる百合子の視線もいい。いま思ったけど、武田百合子の一人称って大島弓子の主人公に似てるかも。描かれる世界も無垢で白、というか透明っぽいところが似てる。

(……とここまで書いて、部屋に猫侵入。うちには猫が二匹いて、一匹が雄、一匹が雌。雌のほうが騒がしい。侵入猫は雌。なけなしの集中力、途切れる)

大島弓子からの連想ですが、そういえばつい最近、萩尾望都イグアナの娘』を読みました。表題作は終わりの一文 (?) がすごいです。ぎゅっと一滴に凝縮されたような言葉。読んだとき、詩だと思いました。ちなみにぼくがいちばん好きな漫画家、大島弓子作品を読んだときも詩だと感じるのですが、大島作品が余白の作品、どこかふわふわして隙間が空いているのに対し、萩尾作品はぎっしり詰まっている、隙間なくレンガを積み重ねていっている感じで、ちょっとドイツ文学っぽいです。古井由吉っぽいともいえる (?) 同短篇集に収められている「午後の日射し」という話はウエルベックと通ずるところがあるなと思いました。ウエルベックほど破滅的ではないけど。独身者ではなく家庭があるけど。

ウエルベックといえばデビュー小説『闘争領域の拡大』も夏休みのときに読んで、ウエルベックは最初からウエルベックだったんだと安心もしたしふつうにおもしろかったんだけど、『素粒子』や『ある島の可能性』ほどのインパクトはなかったなあ。中篇という長さもそうだし、やはりデビュー作だからかあくまで要素に留まっていて、ウエルベックのテーマが爆発してない。まだ種が蒔かれただけって感じ。でもあの次にいきなり『素粒子』がくるわけだから、そう考えれば蒔かれた種、急成長したなあとも思う。ちなみに大学の先生にウエルベックが好きだといったら「あんなんはダメだ。あんなやつがフランス文壇の第一線にいるんだから嘆かわしい」みたいなことをいわれました。まあ、俗っぽい過激さを持つ作家だし、そういうひとがいるのもわかる。でも好きなんだよなあ。良くも悪くも人生観変えられたし。『素粒子』以降、そういう劇的な出会いは体験していない。

あと二ヶ月したら年末。2017年が終わるまでにどれだけの本が読めるか。どれだけの文章が書け、どれだけの作品が出来上がるか。来年は進路も決めなきゃで忙しいだろうし、今のうちにがんばらないと。

 

寝ます。——午前五時二十三分

 

熊の目



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 熊がいたよ、と佐伯さんはいったのだった。お盆も終わるころ、ぼくと川井は重いザックを背負って奥多摩湖畔のバス停に降り立った。南側から樹林帯を登る、鴨沢ルートと呼ばれる道程で、ぼくたちは雲取山に登り、山頂の近くの山小屋で一泊する予定だった。実際、ぼくらはほぼコースタイム通りに山頂に到達し、午後三時半に山荘に入った。六時の夕食のとき、隣に居合わせたのが佐伯さんだった。
「若いのに山の楽しさを知っていて羨ましい」
 佐伯さんは友人と来ていて、見たところ同学年のそのひとは缶ビール一本で酔っ払い、専らそのひとが話すことを佐伯さんが説明した。鴨沢とは反対側の三峯から登ってきたというふたりは関東近郊の山々を登っているらしい。山を始めたのは退職してからで、若いぼくと川井が羨ましいと何度もこぼした。その佐伯さんが翌日、下山して向かった温泉の脱衣場に立っていたのだ。熊がでたのは、ぼくたちも通った七ツ石山の巻き道だという。佐伯さんは六時に下山を開始している。バス停に降りた時間を考えても、熊に出くわしたのはぼくらがその道を通った三十分より前ということはないだろう。
 七ツ石山は雲取山に登る途中にある標高一七五七メートルの山だが、ぼくと川井は初日、ここで昼食をとろうとしてスズメバチの襲来に遭った。湯を沸かすためにバーナーに点火したところで偵察が現れ、いや、偵察というにはあまりに攻撃的だったから、この言い方は不適切かもしれない。執拗に攻撃を仕掛けてくるそいつを追い払っているうちに数が増え、最終的には五、六匹に襲われて這々の体で逃げ出した。そうした記憶も新しく、また雨だったので寄り道する気にならなくて、ぼくたちは下山では巻き道を選択した。その分岐点の少し行った先、そこに熊が出没したというのだ。佐伯さんの話によると、体長は少なくとも一メートル五十はあったらしい。最初に佐伯さんが気づき、あっと声をあげた。同行者は気づかないで足を進めかけたが、佐伯さんの静止に立ち止まり、前を向いた。そのとき人間と熊の目はあったのかどうか。熊の小さな瞳に、あっと口を開けた佐伯さんとその同行者の姿は映ったのだろうか。
 湯船に浸かりながら、ぼくと川井は「惜しいことをした」と話し合った。ぼくは山を登り始めて二年が経つ。熊がでるといわれる山にも随分登ったが、まだ見たことはない。ぼくとしか山に登ったことのない川井も、もちろん熊に会ったことがなかった。それが、たった三十分早ければ見られたかもしれないのだ。
 あるいは、下山はずっと雨だったから、俯きがちに歩いていたぼくたちが気づかなかっただけなのかもしれない。足元に集中しつつ歩くぼくらの傍らには、じっと息を止める獣が潜んでいたかもしれない。……そう考えてみるのだが、気休めにしかならない。
 もっとも、こんなふうに思えるのも当人ではないからで、ぼくらの立場は喉元過ぎればというやつに似ている。当然、佐伯さんは怖かっただろう。ツキノワグマはさほど攻撃的でないとはいえ、仮に敵と判断されれば、その強靱な脚力と腕力にかなう人間はいない。一昔前は死んだふりをすれば逃れられるといわれていたが、最近では逆に危険が高まるといわれるようになった。最善策は、相手から目を離さず、じりじりと後ろ歩きで後退していくことだ。もし相手が襲ってくるようであれば、ザックを囮に逃げるのも効果がある (とされている)。だがそれが現実となったとき、果たしてどれだけの人間がこれを実践できるか。
 話は一昨年に遡るが、初めて川井と山に登ったとき、あれは秩父武甲山だったが、登山口で会った地元の登山客がこんな冗談を言った。もし熊と遭遇したとき、どうすればよいか。それは複数人いた場合、ひとりが囮になることである。だから秩父の山に登るときは、あらかじめ囮役を決めておけばよい。
 川井は格闘漫画を読んできたからだいじょうぶだと言ったが、もちろんだいじょうぶではない。だからといってぼくが囮になっても生き残ることはできなさそうで、けっきょく、遭遇しないことを祈るしかないのだった。熊鈴にどれほどの効果があるか。それもさっきの場合と同じで、はなはだ頼りないと言うほかない。
 そんなぼくなのに、佐伯さんから熊がいたと教えられたとき、「惜しいことをした」と思ったのはなぜだろう。既にそこが安全な下界であったからか。あるいは。
 あるいは、今回の登山がスズメバチに襲われたぐらいで鎖場もなく、安全だったせいかもしれない。山に登るのはなぜか。いろいろな答えがあると思うが、ぼくの場合、けっきょくのところ生命力の昂進を感じたいからということになりそうだ。鬱状態に陥っていた去年の夏、表銀座縦走を企てて槍ヶ岳まで行き着いたとき、そして槍の穂先を登ったとき、あれほど生きたいと感じたことはなかった。槍ヶ岳登頂を機に、ぼくの鬱はぱったりと消えた。ぼくはこのために、山に登っているのではないか。
 湯上がり、同じ脱衣場で、今度は見知らぬおじさんに話しかけられた。ぼくの着ているシャツを見て、「涸沢に行ったんですか」と聞く。まさしくぼくは涸沢に登ったばかりだった。おじさんは何度も涸沢に行ったことがあると言い、この盆休みは三日間、多摩川の河原でテント泊をしていたのだと語った。昨晩、雨が強まり川水が茶色の濁流となって際まで押し寄せてきたので、夜中にあわててテントを畳んだらしい。なにか温かいものが食べたかったが、奥多摩のコンビニは深夜はやっておらず、自販機もすべて「つめた〜い」だったため、カイロで缶コーヒーを温めて飲んだ。「サバイバルですね」とぼくは感心しながら、佐伯さんが見たはずの、熊の目のことを思った。山に生きる獣の瞳には常に死と隣合わせの静けさが、目があったものを一瞬で引き込んでしまう世界が映っていたかどうか。もっともこんなことを考えるのもぼくが当事者ではないからで、単に佐伯さんは怖いと思っただけかもしれない。あるいは怖いと思う間もなく、ただ総毛だっただけかもしれない。そのとき、熊の毛は逆立っていたかどうか。ぼくと川井が沈黙のうちに過ぎた雨の樹林帯に、その獣は息を潜めていたかどうか。そんなことを考えながら、ぼくは建物を出た。細い雨が柳のように降っている。北の空で稲妻が光った。


08/19 Sat.山行から3日が経って

雪野原【創作小説】

 

 ある日、授業を受けるために大学へ行くと、一面の雪野原になっていた。
 つい昨日まで大学棟があったはずの場所が真白に染められ、初冬の清澄な日射しを受けた雪が眩しく照り映えている。高高と突き立っていた三十三号棟が無くなったためか、空がやたらと広い。見上げると雲一つなく、抜けるような青空が広がっている。
 しばらく茫然と立ち尽くしていると、不意に肩を叩かれた。
「こんなところでなに突っ立ってるんだ。早く行くぞ」
 先輩はそう云って私の手を取ると、何の躊躇いもなく雪野原の中へ足を踏み入れた。ザク、ザク、と足を落とす度に新雪の爽やかな音が鳴る。見た目よりずっと深く積もっていた雪に私は何度も足を取られそうになったが、先輩はそんなことにはお構いなしにずんずんと前へ進んで行った。手を引かれているので、仕方なく私もずんずんと雪野原を奥へ進んで行く。
「どこへ行くんですか」
 先輩は私の言葉には答えず、どことなく先を急ぐそわそわした様子でひたすらに足を運び続ける。仕舞いに私はなんだか眠くなってきたような気がしだした。一定の間隔で鳴る雪のザクザクという音が心地良く耳朶を打ち、段段足が重くなる。
「着いたぞ」
 そう云われてハッと顔を上げると、一面の雪野原には違わないが、四囲に十二、三の人人が集まる場所に来ていた。何となく皆どこかで見たような気がするが、どこで見たのかは思い出せない。彼等はゆったりした歩調で私と先輩を取り囲むように円を縮め、とうとう顔と顔が触れんばかりにまで近づいた。
「あの、いったい何を、」
 云い終わらぬ内に誰かが私の足を掴み、私の軀がぐらりと傾いて視界が空に覆われた。どうやら私は皆に軀を持ち上げられているようだった。
 先輩のかけ声とともに私の軀が宙に浮き、幾許かの手に受け止められると再び虚空に持ち上げられた。玻璃のように透き通った青空が近づいたかと思うと遠ざかり、それからまた手繰り寄せられそうなほど近づく。何故かはわからないが、私は胴上げされているようだった。
 皆は何を云うでもなくただ黙黙と私を宙に舞い上がらせた。それが繰り返される内に私はまた段段と眠たくなってきて、足元から沈んで行きそうな心地がした。そうしてついに眸を閉じてしまうと、私は唐突に地面に叩きつけられ、目を開けると先輩が立っていた。
「こんなところでなに突っ立ってるんだ。早く行くぞ」
 先輩はそう云って私の手を取ると、何の躊躇いもなくキャンパスの中へ足を踏み入れた。先程まで一面の雪野原だった場所に元通り大学棟が建ち並び、三十三号棟が高高と空に突き刺さっている。
「私達、つい今まで雪野原にいませんでしたか」
 私の言葉に、先輩はチラとこちらを振り向いて妙な顔をした。踏み出した足が落葉を砕き、ザク、と乾いた音を立てた。


『騎士団長殺し』を読んでいない男

 

ぼくです。

読んどきたいんですけどね、金が無いんです。

 

ところで、本好きのあいだでは村上春樹はけっこうデリケートな話題で、というのはうっかり「春樹最高!」っていったらガチ勢から鼻で笑われる可能性があるし、だからといって「春樹ね……はいはい」みたいな冷笑スタンスでいくとせっかく仲良くなりかけた女の子に嫌われてしまう可能性があるからです。このへんの「村上春樹にどう接すればいいか問題」は『バーナード嬢曰く』でバーナード嬢こと町田さわ子も取り上げていますね。

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バーナード嬢曰く。: 2 (REXコミックス)

 

で、この前大学院の演習でたまたま春樹の話になって、初回だったこともあり、自己紹介がてら自分がいちばん好きな春樹作品を挙げていこうってことになったんですよ。そのとき学生はぼくを含めてたしか七人いて、残念ながら(?) ひとりもハルキストはいなかったんですが、そのときもやっぱり腹の探り合いになり、それぞれがおそるおそる他人の春樹観を探っている感じがおもしろかったです。

 

ちなみに、そのときに挙げられた作品は、

・『風の歌を聴け

・『1973年のピンボール

・『羊をめぐる冒険

・「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(2票)

・『アフターダーク

・「めくらやなぎと眠る女」

 

でした。初期三部作が出そろうラインナップ。というか、『アフターダーク』以外はすべて初期作です。しかも短篇が多い。理由としては、「あの比喩過剰で冗長な文章が心地良く読めるのは短篇が限界」というのが主でした。ぼくはそこんところはあんまり気にならなくて、むしろあんな文章だからこそかる〜く読めて長篇向きだと思っていたので意外でした。まあ、とはいえぼくも短篇の「めくらやなぎと眠る女」を挙げたんですけどね。

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女

 

 

「めくらやなぎと眠る女」は年下のいとことバスに乗って病院に行き、いとこの診察のあいだぼーっとする、っていうただそれだけの話なんだけど、バスに乗っているあいだのなんとなく奇妙な感じ、違和感の描き方とか、診察が終わるのを待っているあいだの無聊の描き方、昔友達の彼女の見舞いに行ったときの回想へのつなぎ方なんかがうまくて、これといった筋があるわけでもないのに引き込まれてしまった。

ついでに蛇足で書いとくと、これまでぼくが読んだ中で逆にいちばん駄作だと思った春樹作品は『海辺のカフカ』です。中身の無い黙説法——思わせぶりに書いておいて、けっきょく何もない——つまりは村上春樹のわるいところが存分に出てしまった長篇だと思いました。図書館に来るジェンダーおばさん二人組も、確かにああいうひといるけど、でもあんな描き方ってどうなのと思います。(ところで、ジェンダーにうるさい女子大生にかぎって春樹が好きだったりするのはなんで? むしろその観点では嫌われる作家だと思うんだけど)

長篇でいちばん好きなのは『ノルウェイの森』です。文学的に優れているのは『ねじまき鳥クロニクル』だと思うけど、エンタメとしてすごくおもしろかった。緑派。

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

 

 

…… いまいち何が書きたかったのかわからないエントリになってしまいましたが、要は『騎士団長殺し』を読む金が無いって話です。おかげで文学誌上で繰り広げられていた『騎士団長殺し』の書評ロワイヤルにもついていけなかった。友達の話によれば、「二重メタファー」なんていうアツイ単語も飛び出すらしい。ああ、いまこうやって書いてたら、なんだか無性に読みたくなってきた。

はやくブックオフで半額にならないかな……

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 
カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

 
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

減煙

 

これまでは1日に3本も吸えばかなり吸った方、基本的に1日1本で、吸わない日も多々ある、って感じのなんちゃって喫煙者だったのに、4月に入ったあたりから、1日に3本は当たり前、4、5本吸う日もざらにある——といったライトスモーカーの様相を呈してきた。院生になってまわりの喫煙率があがったというのもあるのだが、*1単純に煙草が前よりも好きになってしまった。

金欠なのに煙草代がかさむのは痛いなあ、と思いつつ、それでも深くは考えずに吸っていたのだけど、ちょっと前、父から「おまえ口臭いぞ」といわれて歯医者に検診に行き、歯科衛生士さんから「(歯石が) 正直、かなりやばいです!」とハキハキといわれてしまってから、口臭を、そしておそらくは原因と思われる煙草を気にするようになった。*2

気になりつつ、でも誘惑に負けて変わらないペースで吸っていたのだけど、やっぱり自分の口が臭いのはショックなので、減煙しようと思う。減塩ならぬ減煙。

禁煙ではなくあくまで少しずつ本数を減らしていく減煙なところが意志の薄弱さを物語っているが、きょう、ランチの後、木蔭のベンチでアメスピを吸っていて「至福……」ってなったので禁煙は無理だと思った。なので実現できそうな減煙を目指す。

具体的には、今ちょうど並行して吸っていたアメスピとヴァージニアがなくなったので、明日新しい1箱 (ヴァージニア) を買って、次の検診 (最終検診!) の26日までその1箱でもたせようと思う。きょうが5日なので、1日1本に抑えれば達成できる計算だ。

おしゃれには疎いぼくだけど、いや疎いぼくだからこそ、せめて最低限の清潔感は保っておきたい。これから20日間、気持ちを入れ替えてしっかり歯を磨き、誘惑に負けずに減煙していきたいと思う。中村航の『夏休み』*3という小説で主人公が1本だけ煙草を残してほかをぜんぶ友人にあげ、「この1本を吸ったら禁煙する」と宣言するシーンがあったけど、いまの心境はまさにそんな感じだ。いやこれからも吸うんだけど。ぜんぜん禁煙しないんだけど。でもまあ、気持ち的にはそんな感じだ。

 

がんばろう。

 

 

夏休み (集英社文庫)

夏休み (集英社文庫)

 

 

*1:煙草って文学との親和性が高い。私的には反骨精神とか虚無感、厭世観と関係してるような気がする。そしてこんな甘ったれたことを書くと非喫煙者からバッシングされそうな気もする。

*2:もちろん磨き残しによる歯石とかほかにも原因はあるのだけど、口臭が気になりだしたのは煙草の本数が増え出してからなので。

*3:中村といえば、中村文則の小説も煙草とは切っても切り離せない。しかも彼は小説を書く上でかなり便利なアイテムとして煙草を用いている。この辺のことについてはいつか論じてみたい。

まさかのB面『僕の村は戦場だった』

 

テクスト論的にいえば、作品は読まれないと存在しない、ひっくり返せば読まれることによって初めて存在するわけで、だからいかに作家が作品に厳密な意味を規定しようと、読者はそれをどのように読んでもいいし、また読むべきである。作品は作家の手にあるのではなく、読者との相互関係の中にあるのだ。

ということは、もちろん映画でだって、鑑賞者はそれをどのようにも見ることができるはずである。だからたとえその作品が世界的映画監督アンドレイ・タルコフスキーの処女長編『僕の村は戦場だった』であろうと、鑑賞者であるぼくはそれをどのように見ても、たとえばB面から見たとしてもまったく問題はないはずだ。

 

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(ぼくはふだん大学図書館で映画を観ている。『僕の村は戦場だった』はLDで、両面だった。恥ずかしながらそれまでLDの存在をまったく知らなかったぼく、適当に機械をいじってるうちに、なぜか2面あるうちの後半部、便宜的にA/Bと分けるなら、そのB面のほうから見始めてしまったらしい。しかもぼくは映画を見終わるまでそのことにまったく気づかなかった。つまり、B面を見ただけでは気づかず、その後にA面まで見て、すなわち前後逆ながら全篇通して見て、やっと気づいたのだ。これはすごいことだと思った)

 

僕の村は戦場だった』は第二次世界大戦中、ドイツ軍によって両親と妹を殺され、村を壊滅させられた少年イワンがソビエト赤軍の偵察部隊となって敵陣に侵入していく……という筋で、いつ射たれるともわからない緊迫した戦場場面とまだ村がドイツ軍によって破壊されておらず、家族も健在だった頃のイワンの幸せな記憶とが交互に差し挟まれることによって独特の抒情、空虚を身につけている。例によってWikiを参照してほしいのだが、ぼくが冒頭だと思って見始めたのはWikiだと「翌日、司令部から〜」とあるところ、ホーリン大尉がイワンを迎えに来る場面からだった (たぶん)。つまりぼくはイワンやホーリン大尉、ガリツェフ上級中尉の背景や関係性がまったくわからないままB面 (ホーリン大尉が迎えに来てから終幕まで) を見たわけで、でもこうした手法、登場人物の情報を与えずに淡々と観せていく手法は珍しくないから、そういうものだと思ってとくにおかしいとも思わなかった。ましてやA面 (と見ている時は気づかなかったが) で彼らの背景や関係性が少なからず説明されるのだから、ますます得心がいったのだ。

本来、映画はベルリンに進軍したガリツェフが処刑された捕虜のリストにイワンの姿を見つけた後、イワンの幸せな過去——川辺で妹と追いかけっこをしている——が映し出され、このシーンの最後で手を伸ばしたイワンの目の前に木が立ちふさがり、大写しとなって彼の行く手に立ちふさがるところで終幕を迎えるのだが、ぼくはB面から見てしまったので、A面の最後、確かここでもイワンの過去パート、「井戸」のシーンだったと思うが——でこの作品を見終えてしまった。

さすがにぼくも「あれ?」と思ってディスクを確認し、もういちど起動させたことで自らの過ちに気づいたのだが、ここでぼくが驚いたのは自分のまぬけさにではなく (もちろんそれも多少はあるが)、むしろそれでも成立してしまうこの作品の強度、またそれでも楽しめる鑑賞の自由度のほうだった。

もちろん、それこそ冒頭に用いたテクスト論では内容にも優って形式が重視されるので、タルコフスキーが最善としたシーンの流れを逆さまに組み替えるのは「最善」の鑑賞法ではないのかもしれないけど……。ふだん神経症的で絶対に「正しい」順序でないと読めない/見れない、たとえばマンガにしても一巻からでないと読めないぼくにとって、こうした恣意的な、……いや、場当たり的偶然的な受容のしかたがあるとは衝撃的だった。確かに木がイワンの前に立ちふさがって暗い未来が暗示される本来の終幕のほうがキマッているにせよ、B面から見たぼくにとっても『僕の村は戦場だった』はきわめてリリックで見る者を茫洋とさせる作品だった。ましてやこんなへんてこな出会い方をしてしまった以上、この作品はもはやぼくにとってただの作品ではありえない。

 

くどいようだが、ぼくは一部でとても神経症的な人間で、だから本もきっちり読まなくては気が済まず、少しでも引っ掛かったり理解できない箇所があると何度も読み返したりするのでぜんぜん進まない遅読の人間だ。読みたい本/読まなくてはならない本はごまんとあるのに、遅読のせいでぜんぜん追いつかない……そんなふうに気に病んでもきた。でも今回の出会いをキッカケに、受容にもいろいろなしかたがあるのだと、まただからこそおもしろいところもあるのだと実感できたので、不器用な遅読一辺倒ではなく、読書のしかたにも幅が持たせられるようになれたらいいなと思った。*1

 

 

 

*1:読み返してみたら、末尾の一文が完全に小学生の作文。院生にもなって未だにそのフォーマットから抜け出せていないのはハズイと思った。自戒を込め、あえて残す。

余りに個人的な感想『あの子を探して』

 

チャン・イーモウ『あの子を探して』を観ました。

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舞台は山村の小学校。唯一の先生であるカオ先生が母の看護のために一ヶ月村を離れることになり、代用教員としてまだ十三歳のウェイ・ミンジという女の子が村長に連れられてきます。

といってもミンジとて学があるわけではなく、かろうじて一曲、(それも飛ばし飛ばしで) 歌が歌える程度。だから彼女の仕事はひたすら板書をすることであり、それを書き写すよう、生徒を監視することでした。

貧しい山村のことで、教卓はぐらつき、屋根は雨漏り、壁もぼろぼろ。チョークは一日に一本までしか使えず、ミンジや寄宿生が満足に寝るスペースすらありません。

こんな劣悪な環境のなか、やんちゃ盛りの生徒とミンジが衝突し、ある日、なかでも腕白だった男の子が姿を消したことで事態が少しずつ様変わりしていく——という筋なのですが、詳細が知りたい方はWikiで読んでください、あるいは、観てください。

 

ひとことで言ってしまえば金八先生的な筋なのですが、観終わったとき、身につまされるところがあったのです。

というのは、序盤、ぜんぜん言うことを聞いてくれない生徒たちに対してミンジが感じている (であろう) 感情がつい最近までやっていた塾講師のバイトで経験したものと限りなく近かった (と思われる) からで、ぼくがそれに耐えきれずにリタイアしたのに対し、ミンジはそれを乗り越え、ぼくが結ぶことのできなかった関係を生徒と結んでいたからです。

貧しい山村のこととて、生徒はみな貧しい家の子どもばかりです。ろくに文具も与えられず、飲み食いもできず、家庭の事情で出稼ぎに行くために学校を辞めていく子もいます。もちろん、家庭環境も良好ではない子どもが大勢います。そして、そうした子どもたちは家で与えられない愛情を埋め合わせるために学校で悪さをする。そのつけが回ってくるのはミンジです。彼女は毎日のように怒鳴り、追いかけ、やがて辟易します。べつにこれは貧しい山村でなくとも現代の日本でだって本質的には同じことが起こっていると言えるでしょう。つまり、子どもは家庭の影響をダイレクトに受ける。子は親を選ぶことができない。家庭を選ぶことができない。

ぼくが働いていた塾にも、おそらく家庭で愛情が満たされていないのだろうなと思われる子どもたちがいました。たまに近況報告がてら家庭に電話をすると、その推測が確信に変わります。そして残念ながら、塾で悪さをするのは、むやみにこちらへ刃向かってくるのは、やはりそうした家庭の子どもたちなのです。

もちろん、ぼくもそういったことはわかっているつもりでした。が、ぼくはわかった上であえて、そうした子どもたちを切り捨ててきました。家庭での満たされなさがあって、その埋め合わせとして、あるいは反動としてこちらに向かってくるのはわかるけど、なぜぼくがその埋め合わせをしなくてはならないんだ。なぜぼくが彼らの満たされなさの代償として彼らのナイフで傷つけられなくてはならないんだ、と。

正直に言って、この考えは今でも変わっていません。おかしいとも思いません。つまり、子どもたちに自分ではどうしようもない事情があるのはわかるけれど、それを教師がすべて埋め合わせなくてはいけないというのは間違っている。教師はうさぎのぬいぐるみじゃない。苛立ちのまま、いつまでも殴りつけられるクレヨンしんちゃんのぬいぐるみとは違うのです。

 

ミンジは学校で最も反抗的だった男の子が失踪したとき、必死で彼を見つけ出す方法を考えます。生徒たちに相談し、町に出るバス代を稼ぐためにレンガ工場で働いたり、探し出す当てもないのに町へ出てまわりの人間から疎まれながらしつこく聞き回ったり、無駄足に無駄足を重ねてそれでも探し続けます。

映画を観ているあいだずっと、そして観終わってからも、ぼくにはなぜこうまでしてミンジが男の子を探し続けるのかがわかりませんでした。少々プロパガンダ的な感動の再会にそれでもジンとしつつ、しかし最後まで「あの子を探し」続ける理由がわかりませんでした。

 

きっとここに、教師としてのぼくの限界があるのだと思います。ぼくは教師には向いてない。

 

泥まみれになり、へとへとになったミンジと男の子との再会、そこで初めて生まれた関係性は、ぼくのような考えを度外視したミンジだからこそ得ることのできたものです。

最後、生徒がそれぞれ好きな字を黒板に書いていく場面で男の子が書いた字。それを見て微笑むミンジ。笑みを交わし合う生徒たち。ぼくがこれまでに見た映画のなかでは最も美しい (映像としても色彩が素晴らしかった) このラストシーンの感動は、きっと永遠に体験することがないし、またしたいとも思わないのだろうなと思いつつ、けっきょく最後まで好きになれなかった塾講師のバイトについて、そこで出会った生徒たちについて、少しだけ想いました。