たしかぼくの敬愛するショーペンハウアー先生も健康の維持が大切だ (幸福の第一条件である人柄が傷つけられないために) といっていたと思いますが、2017年はそれを身をもって思い知らされた一年でした。もう何度も書いてますが、9月末から体調を崩し、今なお腹部の不快感、膨満感に苦しんでいるからです。先日、とうとう胃カメラを受けました。まだ詳細な説明は受けてませんが、逆流性食道炎だといわれました。食道と胃腸がめちゃくちゃ荒れていたそうです。ピロリ菌もいるかもしれないといわれました。

 いや、ほんとにまいった一年、というかラスト三ヶ月だった。「だった」って過去形で書いてるけど来年もしばらく悩まされるんだろうな。早く気にせず外出して、お腹いっぱい好きなものを食べられるようになりたい。2017年は厄年で、「んなのかんけーねぇよハハ」と笑っていたけど、最後に盛大なパンチを食らった。

 そんな中、ブログにはだいぶ助けられました。お腹が気持ち悪くて何もする気になれなかったとき、どうしようもないくらい落ちこんでしまったときも、文章を書くことで、そして何よりも読んでいただけることで、救われた。いつも読んでくださっている方、ほんとうにありがとうございます。拙いブログですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 最後に、今年読んでおもしろかった本。

 

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 見えづらくてすみません。3位はリシャルト・カプシチンスキ『黒檀』、7位は佐々木中『切りとれ、あの祈る手を——〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』、10位はミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』、16位はオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』(大森望訳) です。ちなみに、この前のブログで「めちゃくちゃおもしろかった」と書いたのは1位の『ゲームの王国』。参考までに、読書メーターに書いた感想を載せておきます。

凄い。凄すぎて感想が書けない。シハヌークによる恐怖政治からポル・ポトによる輪をかけた恐怖政治、ついには近未来へ。この小説にはすべてが詰まっている。テロル、虐殺、不条理、物語、革命、想像力、脳科学、家族、愛情、運命、抵抗……つまり、人生が書かれている。上巻の悪夢を超えた壮絶さ、寂寥と諦念が滲む下巻。脳科学を利用したムイタックの最期の試みは『虐殺器官』を想起させて胸熱。もし世界が「ゲームの王国」だったなら。この小説は、僕等に世界の存在を教えてくれる。子どもの頃に忘れてしまった問いを、希求を、突きつけてくれる。

  あんま参考にならなくてすみません……。凄い小説だったので、記憶が古くならないうちにちゃんと書評書かねば。

 

 それでは、よいお年を。

 

 

ほんの少しでも立ち止まっていればよかったのに日記

 

12月25日。世間はクリスマスだけど、ぼくにとっては学会論文の〆切でした。

本当は昨日のうちに脱稿する予定だったけど、お腹が気持ち悪かったので、先送りにしました。

論文自体は書き上げており、あとは細かい点の修正や脚注の見直しだけすればよかったので、当日にやっても十分間に合う予定でした。

13時半頃。カフェでパソコンを開き、念のためメールを確認したぼくは、息が止まりました。

論文の〆切は今日までではなく、今日の正午まででした。

慌てて校正を済ませ、14時頃、完成度には目をつぶって、とにかく送りました。

さっき確認したメールには、すぐ査読に回すから〆切は厳守せよ、と書かれていました。

謝罪の文面とともに原稿を添付したメールを送り終えると、すぐに自分の元にメールが届きました。たったいま、自分が送信したはずのメールでした。

背筋が凍りました。

なんと、ぼくは慌てた結果、助手宛ではなく、学科全体にメールを送っていたのでした。ぼくは顔が青ざめていくのを感じました。頭を抱えました。わけのわからない呻り声をあげて、隣の人から奇妙な目で見られました。パンをかじりました。頭を抱えました。コーヒーを飲みました。呻り声をあげました。文庫を開いて、頭を抱えて、閉じました。挙げ句の果て、読書メーターでこの事件をつぶやき、それでも楽にならなかったので、ブログを書き始めました。ネタにしなければ立ち直れない、そう思いました。

ちなみに、『言わなければよかったのに日記』は読んでいません。僕が学部生だった頃、詩人の蜂飼耳さんが紹介していたのを覚えています。『楢山節考』は時間のむごさと切なさに胸が苦しくなった記憶があります。

話をもどすと、申し訳なさと恥ずかしさで消えてしまいたいです。いえ、嘘をつきました。恥ずかしくていてもたってもいられないです。自分、なんで学科全体にメール送ってんねん。なに学科の皆様に自分の謝罪文クリスマス・プレゼントしてんねん。ちなみに、メールには所属も名前もきっちりかっちり書かれています。学科全体といってもおそらく大学院の学科のみであるはずなので (そうであってくれ)、届いたのがおおよそ知っているひとたちであることが唯一の救いです。恥ずかしいことにかわりはないけれど。

 

 

昨日の深夜、読み終わった本がめちゃくちゃおもしろかったので、年内に感想なり書評なりを書きたいなあと思っています。あるいは、2017年で印象に残った本など。

よろしくお願いします (頭を抱えてのたうち回りながら)。

 

 

紅葉の森の満開の下



 隆起した岩畳にかこまれて、目の前を青緑の川水が流れていた。
 抜けるような青空から降り注ぐ日射しは、もう秋の光。向こう岸には黄、橙、赤と色づいた梢が腕を広げ、深緑のままの梢も、そっと佇む。
 そこだけ突きだした岩畳の崖に立ち、水飴のような川水を見下ろした。風が吹き、水面に浮かんだ落葉が小魚のように流れ去る。僕は身震いをした。雪の下に冷やされていたような、硬くて冷たい風だった。強く吹きつけるのでも鋭く肌を刺すのでもないが、からだの奥深くまで澄みわたっていく。山間部と都市部では、風の質感がこんなにもちがう。
 ピッ、と電子音が響き、すぐにシャッターが切られる音がつづいた。振り向くと、デジタルカメラを手にした川井がわらっている。
 僕は川井からカメラを受け取り、つい今しがたまで僕がいた場所に立った川井を、たっぷりとたゆたう青緑の川水を、ところどころ色づいた梢を、薄く透きとおった青空、遠景の山、そこから吹いてくる風、あたりを満たす秋の光を——ぜんぶ、ぜんぶ切り取ってしまいたいと思った。
「……まだ?」
「あ、ごめん」
 後ろ髪を引かれるように、シャッターを切った。川井は照れたようにわらい、僕のとなりにならぶ。
「あっちのほう行ってみようか」
 うなずいて、僕はもういちどレンズの中をのぞきこんだ。上流へ向けると、川上の高い位置に光の球体が浮かび、翳りを帯びた暈が広がっている。しばらく迷ってからシャッターを切り、割れ目のある岩畳の上を慎重に歩いている川井のあとを追った。二〇一七年十一月二十一日火曜日、僕は二十四歳で、風と光にかこまれていた。
 

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 九月の末、僕は強烈な吐き気と眩暈に襲われ、意識を失った。
 最初は食べ合わせが悪かったのだと思った。だがそれからというもの体調はいっこうに良くならず、それどころか悪化の一途を辿っている。
 腹部の不快感、吐き気はもちろんだが、何よりしんどかったのは外出ができないということだった。からだの不調が長引くにつれ、情けなさと不安は増幅し、精神もやつれてくる。せっかく克服したはずの、アパシーがまたやってくる。こういうとき、今までならば山に登ったり好きな喫茶店に行くなどしてストレスを解消することができた。一昨年から昨年にかけてほとんど鬱ともいえる症状に落ちこんだ僕は、深みにはまる前に自発的にデトックスすることの大切さを痛いほど知っていた。しかし今回は、そのデトックスすらままならない。なぜならからだの不調が外出を阻むからで、しかも僕は吐き気への不安から電車を避けるようになっていた。もちろん喫茶店に行くこともできず、いちど無理して行ったときは注文してすぐに気分が悪くなり、ろくにコーヒーも飲まずに席を立った。こうして日々は無為に過ぎ、腹部の不快感と吐き気だけが存在感を増していった。
 そんな最悪な日々のなかで、僕がゆいいつ会うことができたのが川井だった。東京に転校してきて以来、十年以上の付き合いになる川井の前では僕は猜疑心を脱ぎ捨て、弱い自分を見せることができた。川井はただひとり、僕にとってストレスフリーな存在だった。
 だから、他愛もない話をしていたとき、ぽんと「山に行こう」という言葉が出てきた。
 川井は乗り気そうな顔をしたが、すぐに心配顔になった。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ」
 ほんとうはぜんぜん大丈夫じゃなかった。けれど川井が一緒ならば、吐いてもきっとどうにかなると思った。吐き気に対する不安よりも、山に行きたい、山の空気を吸って、体内の空気を入れ換えたい、という思いのほうが強かった。

 現実は甘くなかった。
 待ち合わせ場所である新秋津駅に到着するまでの車内で僕は猛烈な酔いと吐き気に襲われ、混雑した車内でほとんど膝をつかんばかりになっていた。くらくらしながらどうにか改札を出て川井と合流すると、挨拶も早々に僕は謝った。
「ごめん、三峯むりだ」
 本来なら、僕たちは秩父鉄道三峰口駅まで行き、そこからバスと徒歩で三峯神社へ行く予定だった。徒歩を組み入れたのは僕が長時間のバスに耐えられそうになかったからだが、途中で降りるにしてもバスに乗ることにかわりはなく、おまけに下車した後コースタイム二時間半の道のりを歩かねばならない。もともと理想の高い計画だったが、ここまでの電車で早くも心が折れてしまった。
 急遽予定を変更して、三峯ではなく長瀞へ行くことにした。いちおう、こうなったときのために幾つか代替案は考えていた。三峯に行ければそれにこしたことはなかったが。

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 所沢から特急レッドアロー号に乗り、八時五十九分に西武秩父駅到着。歩いて御花畑駅に向かい、秩父鉄道に乗り換える。
『頭ん中御花畑にしてきます』
 行き先を伝えていない家族に写真を送る。こんな茶目っ気のきいたラインを送ったのは、今日の目的、嫌なことをぜんぶ忘れて、脳内を幸福物質でいっぱいにする——を自分に確認するのに、こんなに適した駅名もないだろうと思ったから。
 長瀞駅に着いた僕たちはまず岩畳に向かい、しばらく周辺を散策したのち、寒かったので川下りはしないことにして (僕の体調の不安もあった)、宝登山へ向かうことにした。観光案内所でもらったパンフレットによれば、宝登山にはロープウェイが通っており、それならばいまの僕でも山頂に行くことができる。登山口まで歩いていくことができるのもありがたかった。 

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 道中で土産物屋に寄り、川井は醤油煎餅を買った。焼き上がるまでの間、香ばしい匂いを嗅ぎつつ、お店の女性と話をする。彼女は僕たちのことを大学生だと思ったらしい。平日に遊びにきていて、しかも見た目も幼かったら、そう思うのも自然だろう。いつものことなので、僕も川井も訂正しなかった。……が、「これからテスト期間?」と聞かれ、適当に受け流すことがへたな僕は自分が大学院生であることを説明した。川井は苦笑いしていた。 

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 山頂に向かう前に、山麓宝登山神社へ立ち寄った。こぢんまりとした、でも立派な社殿だった。お守りの揃え具合を見た感じ、どうも金運で有名な神社らしい。僕は病気平癒のお守りを買った。お守りを買うことで、ぜったいに健康になるという自分の決意をかたちにしようと思った。その間に川井はおみくじを引き、広げられたみくじには「末吉」と書かれていた。ひととおりふたりで流し読みしたのち、僕等は来た道をもどった。
 立ち寄った団子屋のおばさんに、「若いんだから歩いて登らなきゃ」といわれた。いつまでも大人になれない僕は、ついむっとして「病気なんです」と返してしまった。おばさんは少し気まずそうな顔になり、「なら仕方ないね」と下を向いた。
 川井がトイレに行っているあいだ、僕はスマートフォン宝登山登山のコースタイムを調べた。二時間三十分。とても無理だ。溜息をつき、ポケットにしまう。川井がもどってきた。
「いま、宝登山のコースタイムを調べてたんだけどさ」
「うん」
「二時間半だって。悪いけど、やっぱロープウェイじゃないと無理そうやわ」
「けっこうかかるんだね。まあ、予定どおり乗ってこう」
 二時間半。健康なときなら、なんてことない、むしろ楽な部類に入る登山だ。それなのに、いまの僕にはその二時間半が遠い——いや、重い。途中で気分が悪くなったり吐き気に襲われたりすることを思っただけで、足が竦んでしまう。
 悔しかった。さっきのおばさんの言葉も、川井に迷惑をかけてしまうことも、何より大好きな登山もろくにできないことが……。僕はもういちどスマホを取り出し、宝登山のコースタイムを調べた。
 意外な数字が目に入った。
「登るのにかかった時間、五十分?」
「どうした?」
「いや……」
 個人のブログで、ちょうどいま僕たちのいる麓から登ったひとが、山頂までにかかった時間は五十分だと書いている。おかしい。さっき見たページでは二時間三十分と書かれていた。僕はほかのひとのブログも見た。一時間弱と書いてあった。
「……さっき、二時間半っていったけど、勘違いだったみたい。いま見直したら、そのひとのはいろいろ縦走する複雑なコースだった。こっから登るだけなら、一時間弱で行けるみたい」
「おっ、じゃあ登ろうぜ」
 返事をするのに、少しだけ時間がかかった。けれどこたえはもちろん、
「よっしゃ」

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 体調を崩してからはほとんど外出しておらず、著しく体力が低下していたため休み休み登った。途中、吐き気に見舞われもしたが、なんとか五十分ほどで登りきった。

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 低山ながら、山頂からは山々の襞、荒川まで見わたせ、かなり気持ちが良かった。秋冬は空気が澄んでいるから遠くまで見通せるし、何よりもこの光の屈折、少し翳りを帯びた日射しに透かされた景色が僕はたまらなく好きだ。
 そう、僕はたまらなく幸福感を感じていた——ドーパミンが脳内で弾けているのがわかる。清澄な光と空気にさらされ、自分が深奥から浄化されていくのが感じられる。そして自力で山頂に立てたことの達成感……。久々に山の喜びを味わい、僕は体内に溜まったガスが、毒が、蒸気となって抜けていくのを感じた。
「いい眺め」
「うん」
 色づいた山の頂で、僕たちはほとんど何も喋らずに立ちつくしていた。そうしてどれくらいの時間が経っただろう。急に目が覚めたみたいにはっとすると、お互いの姿を写真に収め、ロープウェイ乗り場に向かった。汚れた窓ガラスの向こうに、今までいた場所が遠ざかっていく。ロープウェイは僕等が五十分かけて登った道を、たった五分で下り終えた。……

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 麓に降りた僕等は坂を下り、岩畳の近くの食事処で蕎麦を食べた。食後、胃酸を抑える薬、胃腸を広げる漢方、咳止め……と数々の薬を飲んでいると落ちこみそうになったが、これからの予定を考えることでどうにか頭を切り換える。
 パンフレットに載っていた紅葉山公園が気になると川井がいうので、僕等は線路伝いに道を進み、公園まで歩いていくことにした。

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 紅葉の森の満開の下。木漏れ日までが紅に染まり、散り敷いた地面もほんのり発光する。頭がぼーっとなるような光景で、僕等は息をつき、ただぼんやりと佇んでいた。
 紅葉は、冬の訪れに伴う日照時間の減少と気温の低下が光合成の効率を低下させ、落葉樹が休眠のために養分の往き来を遮断することによって生じる。養分が供給されなくなっても蓄えられていたクロロフィルによって葉っぱは光合成をしグルコースを生産するが、幹とのあいだは遮断されているのだから、当然それを送ることもできない。そこで行き場を失ったグルコースが葉っぱを紅葉させる。たとえば桜の開花が気温の上昇と日光による向日性の現象だとするなら、紅葉は背日性の現象なのだ。そこに僕はシンパシーを感じる。桜の季節は僕を後ろめたくさせるが、くっきりと、あるいはほのかに色づいた秋の梢は、これ以上ない安らぎを僕に与える。

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 公園から川のほとりに降りていくことができた。岩畳周辺のゆったりした流れとは異なり、浅瀬に勢いを得た波が白く頭をもたげている。僕等はできるだけ平らな石を見つけ、水切りをした。川井の投げた石が、トトト、と水面を跳ねていった。……


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 西武秩父駅前に新設された「祭の湯」に浸かり、予約していた十六時二十五分発のレッドアロー号で帰途についた。
 心地良い眠気に揺られながら、自分を包んだ風と光と、満開の紅葉とを思い返していた。そして、となりで目をつぶる川井を見た。
 往きの電車、登山中、食後、温泉で——たびたび腹部の不快感は高まり、吐き気の予感がかすめた。しかし僕のとなりには気の置けない友人がいて、目の前にはただ時間とともに流れる自然があった。だれの顔色をうかがうこともなく、傾斜に沿って流れるだけの川があり、季節とともに腐食する葉っぱがあった。僕は槍ヶ岳に登ったときのことを思い出した。
 あのときも——自然はそこにあって、僕はその肩を借りているだけだった。屹立する穂先を前にあらゆる言葉は失われ、僕等はただ息を飲むことしかできなかった。池澤夏樹は書いている。「(…) 百万の言葉を組合せても、一本の木も作れない。だからぼくは、さっき書いたとおり、夕焼けを見ても言葉をもてあそばず、ただ精一杯の感激をこめてため息をつけばそれでいいのだ。」(『夏の朝の成層圏』)
 自然の圧倒さの前では、僕は言葉の殻を脱ぎ、全身で外気に触れることができた。もつれあった日々の糸を撚りなおし、ピンと背筋を張ることができた。そして改めて張り直さないといけないほど、僕はがんじがらめで、自分でもわからぬうちに息ができなくなっていた。


 無理を押して出かけてよかった。きょうのことを、いつまでも忘れないでいよう。
 車窓の景色は流れ、巻き戻しみたいに流れ……朝に来た道を帰っていく。シートにもたれ、目を閉じた。明日から、また終わりなき日常が始まる。それも、不快で吐き気を伴った日常が……。けれど何もかもゼロになるわけではない。たとえばそう、これからの日々、まなうらにはいつだって——満開の、紅葉の森。




 






治療としての垂れ流し

 

 最悪だ。寝ても覚めても胃がむかつくというのはほんとうに気が滅入る。

 前回のブログを書いた翌日、消化器内科に行った。そこでお腹にゼリーみたいなのを塗られて超音波がどうたらこうたらいう機械でお腹のなかを検査してもらった結果、とりあえず真っ先に疑われた胆石はなく、ポリープはあるががんの可能性もきわめて低いとのことだった。ひとまず安心したが、病名はわからずじまい。とにかく胃酸が出すぎてるんだろうといわれ、胃酸を抑える内服薬を処方された。

 もらった薬を飲むとてきめんに効果があらわれ、だいぶ楽になった。だから日曜日に約束していた高校の友人たちとの飲み会に (まあウーロン茶いっぱい分だけ顔出すか) と思って行ったのだが、友人の顔を見た途端に例の吐き気、冷や汗が襲い、どうにもならなくなった。もともとウーロン茶いっぱいで帰ると予告していたので彼等もぼくの体調が芳しくないことは知っていて、「どうした」と聞かれるたびにぼくは「逆流性食道炎」とこたえていた。ほんとうはまだそうときまったわけじゃないのだが、「胃酸が出すぎてるらしい」というのはいかにもあいまいで、具体的な病名をいわないと相手にわかってもらえないだろうし、細々と説明を重ねるのは面倒だからという理由で「逆流性食道炎」とこたえていたのだが、何度もそう説明しているうちに自分がほんとうに「逆流性食道炎」になったみたいに思えてきて、やっぱり気が滅入った。ぼくはわりと言霊という概念にとらわれているのかもしれない。

 おまけにその日の朝から風邪を引いた。起きたときから喉が痛く、声が出なかった。今朝からは少しましになったが、それでもまだ声はでない。きょうは午前・午後と大学のティーチング・アシスタントのバイトがあったが、午後の分は休ませてもらった。当日の朝になってお願いしたのに助手の方は快く許可してくださり、しかも体調を気遣う言葉までかけてもらって申し訳ない気持ちになった。

 電車に乗ったり、人通りが多い場所に出たりするとあの吐き気、冷や汗、動悸が襲う。ネットで検索すると逆流性食道炎と不安神経症を併発したひとの文章に行き当たり、症状があまりに似ているのに驚いた。マジか。ぼくは自分はそんなにメンタル弱くないと思っていたのだが、いまの症状は明らかにこれだ。不安神経症。そういえば、消化器内科の医者も「胃のむかつきや吐き気はわかるんだけど、冷や汗とか動悸は説明できないんだよなあ」とこぼしていた。胃酸過剰によって吐き気を催す一方で、「吐いたらどうしよう」という不安が冷や汗や動悸を呼んでいるのかもしれない。とそこまで考えて、さらにがくっときた。こんな調子では、将来社会人になっても、すぐにストレスで潰れるんじゃないか。やっていくことができないんじゃないか、と思ったのだ。

 でも悪いことばかりではない。助手からぼくのことを聞いたという大学院の同期が、さっきラインをくれた。その子はぼくが日頃からしみじみいいなあと思っている子で、なんというか、ひじょうに健全な感じのする、ちょっと今までには会ったことのない感じの女の子だ。吐き気がひどいと伝えると、「煙草は控えんとね。というか禁煙ね」と返ってきた。そうだよなあと思いつつ、ラインを返しながらファミマの喫煙所で煙草に火をつけたぼくは掛け値なしのクズだと思った。2017年最後の一本にします。

 

 読書と映画の話。

 いま、フォークナー『響きと怒り』を読んでいる。もうそろそろ上巻が読み終わりそうだ。「いま/ここ」の語りが突如として挿まれるゴシック体 (原文ではイタリック) によって過去へと飛び、過去から現在へ、現在から過去へというふうにスリップを繰り返す。そうした時制の跳躍は語り手の知覚の連想に依っていて、たとえば「木のようなにおいがした」という一文からゴシック体の「木のようなにおいがした」に引き継がれて時制がジャンプしたりするのだが、これが読み始めは一家の事情もよくわからないし、また最初の章の語り手はまわりから「キチガイ野郎め」といわれている人物なので、知覚のあり方が独特で、よって文章も独特なので、ぜんぶ理解してついていこうとするとたいへん。でも大陸南部の肥沃な自然の繊細な描写、夜の闇もそこに響く虫の声もすべて「聞くことができた」と語る文章がうっとりしてしまうほどよくて、するする読み進んでしまう。岩波文庫版で読んでいるのだが、脚注も詳細で参考になる (が、たまに詳細すぎてうっとうしくなる)。下巻まで読み終わったら、また読み返したいなあ。

 映画ではこの前『エコール』を観た。TSUTAYAでこれとパク・チャヌクの『お嬢さん』を借りたのだが、そういう気分だったんです。『エコール』は映像的に美しい映画だと聞いていて、確かに期待に背かない美しさだったのですが、映像よりも音響がよりいっそう美しいと感じました。せせらぎや葉ずれ、少女の乗るブランコが軋む音が耳朶を心地良く打って、とろんとした気持ちになりました。

 『エコール』、また観たいと思うほどおもしろい映画だったけど、けっこう怖い内容だと思う。けっきょく、エコールはどんな場所なのか最後までわからなかった。孤児院的な場所なのか、それとも少女は誘拐されてくるのか……。主要人物がふたりいて、ひとりはイリスって名前なんだけど、顔立ちがアジア人ぽかったのが気になった。そしてもうひとりの主要人物、ビアンカがすごく美人で見ているだけでうっとりした。映画が収録されたときの実年齢は知らないが、少なくともまだ幼く見えるのに、深い知性と憂愁を漂わせていて……。よかった。

 朝の四時半くらいからリビングのテレビで観ていたのだが、六時すぎくらいに母親が起きてきて、なんとなく気まずかった。たぶん母はろくすっぽ画面を観ていないはずだが、少女の無垢と官能美を撮った映画だけにね……。かといって昼間は肺炎の父親が海外ドラマを観ているし、まあPCで観てもいいんだけど、せっかくなら大きい (というほどでもないが) モニタで観たいしなあ……。

 そう。書くのを忘れていたが、いま我が家には病人が二人いる。ぼくと、父。ぼくがすっかりまいってしまう前にいち早く父が高熱でダウンし、会社を休んだ。土曜日、ぼくといっしょに内科にかかると、軽い肺炎だと診断されたらしい。というわけでかれこれ一週間近く父は家にいる。病人二人で家に閉じこもっていても気が滅入るので外に出掛けたいのだが、いまは吐き気の不安もあって迂闊に出掛けられない。胃酸が出すぎるのもストレスが一因だといわれているし、ましてや不安神経症の疑いもあるのだからぼくはきっとストレスを解消する必要があるのだが、ぼくにとってストレス解消とは遠くの自然、つまり山とか湖に出掛けることで、でもいまは出掛けられない。そんな悪循環のなかで身動きならず、おまけに父からは悪徳商法のひとみたいに「がんじゃないか。内視鏡やれ。がんじゃないか。胃カメラ飲め」と繰り返されるし、それに対してぼくが「確かに二十四になってまだ一回も胃カメラ飲んだことないからやったほうがいいとは思うし近日中にやるのもやぶさかではないがあなたのその悪徳商法的な、医者もがんじゃないっていってるのにそれどころか「胃がんを心配してきたんですけど」とこぼしたぼくを鼻で笑いさえしたのに勝手にがんだがんだと騒いで胃カメラを売りつけるのはやめてくれ」と怒ったら逆ギレされるし*1。はぁ〜もうやだやだやだ。山に行きてえ、でも行けねえ。八方ふ・さ・が・り!

 ということでひとまず出掛けずに済むストレス解消法を考えた結果、ぼくはamazonで1円の「ポケットモンスター ルビー (GBA)」をポチったのだった。この前からなぜかやたらとやりたくて、でもソフトは昔捨ててしまっていたので。届いても実際にやるかどうかはわからないけど、まあ1円だったし、とりあえず買ってみました。

 

 以上、治療としての垂れ流し。

 

エコール [DVD]

エコール [DVD]

 

 

*1:確かに内視鏡胃カメラをしたほうがいいというのはわかるんです。でも、それはあくまで「二十四にもなるのに一度もやったことがないから」であって、父みたいに無理矢理がんの不安を煽ってやらせようとする手口にぼくはへきえきしています。もっとも、心配性の父が本気で心配してそういってくれているのもわかるのですが。

秋の夜長の吐き気

 

現在、午前四時十分。眠れないのでブログを書いている。なぜ眠れないのかといえば、お腹がもたれている感じで気持ち悪く、吐き気も催してしんどいから。この「実際には吐かないんだけどすごく吐きそう」な気持ち悪さは九月末くらいから断続的に続いていて、一時は収まっていたのだけど、最近また再発した。ネットで検索した感じ、たぶん逆流性食道炎だと思う。でも食べた直後に気持ち悪くなるときばかりでなく、何も食べてないときや食べてしばらく経ってから気持ち悪くなるときもあり、しかも考えてみると緊張したときや集中力が切れたときに症状が出始めるような気もして、となると心因的要素も絡んでるってことだから、自律神経失調症か? と思ったりもする。病院も行かなきゃと思いつつ行けてない。収まってたからもういいやと思ってたけど、現にいま寝れないくらいしんどいし、何より食べる楽しみが奪われているのが辛すぎるのでちゃんと病院行って検査してもらわなきゃな。。もともとやせ型だけど、いまは自分でもひくくらい痩せている。172cmの成人男子が48kgってどうよ。症状が悪化するので一ヶ月以上酒も飲んでないし、きょう、煙草もやめようと決心した。味気ねえ。。。

そんなわけで気分が悪く、読みかけの本も集中できないので、読者になってるわけじゃないけどなんとなく定期的にのぞいているブログや、たまたま思い出した、以前よく見ていたブログなんかを巡っていた。で、見終わったのでいまブログを書いている。

長らくブログを書いていなかった。ブログを書くよりも先に書かなきゃいけないものがごまんとあったし、それはいまもなんだけど思考する元気がないのでいまはブログを垂れ流す。あとは単純に忙しかった。相変わらずすぐに楽な方へ流れようとする「水は低きへ流れる」「怠惰な者は引きこもる」ぼくだけど、それでも無為な一日を送ってしまった日は反省して、というか環境が無為な一日を許さないので (〆切とか)、わりとがんばっていた。とりわけこの一ヶ月は非常に忙しく、というのはつい先日大学院の学会発表があったからで、ぼくはそこで発表をやることになっていたからだ。こんなにちゃんと準備をしたことも初めてなら、ほぼ毎日のようにスタバが閉まるまで文章を書いていたのも初めてだった。月並みな感想だが、大変だったけど、やってよかったと思う。おかげで思考癖がついたし、とにかく外に出れば何かしら進むということがわかった。これからは課題に限らず趣味の小説を書くときなんかでもスタバに行こうと思う。きょうもコメダに閉店までいて青木淳悟ベケットを読んでいた。恥ずかしながらやっと『ゴドーを待ちながら』を読んだが、めちゃくちゃおもしろかった。「遊んでると、時間はたつもんだ!」というヴラジーミルのせりふがミソかなと勝手に思う。ラーメンズは『ゴドーを待ちながら』をやっていたんだなと思った。いろいろな変奏を重ねて。

吐き気がしんどさを増してきた。でも書くのをやめたところで眠れそうにないのでなんか書く。

そもそも、初めて発症したのは九月の二十六だった (たぶん)。親友のKくんとラーメンを食べたあとに一杯だけひっかけて、わかれた。乗り換えのために電車を降りた途端、急激な吐き気と動悸が襲い、(このまま電車に乗ったらダメだ) と直感したぼくは這々の体で階を上がり、トイレへ向かった。が、トイレに入る角を曲がったところで視界が真っ白になり (モザイクタイルみたいに)、何も見えなくなってぼくは膝をついた。壁に手を這わせながら倒れ、しばらくうなっていた。少しずつ視界はもどってきたが、立てそうになかった。女性がぼくを見て声をかけるかかけまいか逡巡した後、気まずそうに去っていった。ぼくは壁にもたれたまま男子トイレに入り、僥倖にも空いていた個室に入って腰を下ろした。いま思えば、そのときも物凄い吐き気にもかかわらず吐かなかった。五分か十分か個室にいて、それからまた這うようにホームへ降り、何本か電車をやり過ごしてからえいやっと飛び込んだ。電車に乗っていたのはたった十分足らずだが、吐くか吐かないかの瀬戸際で、全身から冷や汗が迸り、動悸も吐き気もひどく、地獄だった。最寄り駅について改札を出ると、(もうこれでどこにでも吐くことができる) と思って一気に気が楽になった。しばらく休んでからシャワーを浴びて死んだように眠った。

翌日は女の子と酒を飲み、一緒に電車に乗っていたときに気持ち悪くなり、思わず途中の駅で降りたが、やはりしばらく電車に乗れなかった。で、やはり乗った後は地獄だった。

ということがあって、そのときのぼくは (酒がいけないんだ) (煙草とあわせたのも悪かったにちがいない) と思い、それからは禁酒禁煙の日々を送った。禁煙は五日で断念したが、禁酒は今でも続いていて、なんだかんだ飲まないなら飲まないで過ごせるものだな、と思っている。

でまあ、節制の甲斐あってかしばらくの間は症状も収まっていたのだけど、またここにきて再発し始めているのはどういうことか。収まっている期間もたまにはしんどくなることもあったのだろうけど、はっきり (あ、またきた) と思ったのはつい先日、学会の日だ。その日、学会終了後に打ち上げがあったので、ぼくは一ヶ月ぶりにビールを注文した。「禁酒は今でも続いていて」って書いてたのにどういうことやねんと思われるかもしれないが、じつはその日一日だけ、飲んだ。が、ジョッキ半分も飲まないうちに例の吐き気、動悸、冷や汗が始まり、それからはずっとハンカチで口を押さえていた。ちなみに、久々の酒に警戒して煙草は吸っていなかった。……そのとき以来、どうも再発してしまったらしい (「再発」ってヤな言葉だ。すげえ病気っぽい。ほかの表現はないものか)。そしていま考えると、その徴候はその日の午後、つまり学会中にもあった。

学会開始直後、どういうわけかぼくは非常な緊張を覚えた。ふだん、人前で話すことには慣れていて、それどころか人よりうまくできるとの自負さえあり、得意としていることなのにめちゃくちゃ緊張し、吐き気を催したのだ。思い出せば、症状はまるっきり一緒。吐き気、動悸、冷や汗。ついでにいってしまえば、ぼくがとった行動まで一緒だ。ハンカチで口を押さえる。

自分の発表が始まってしまえばそれらの症状は緊張とともにすーっと引いていき、学会は無事終了したが、あのときの吐き気を伴う異常な緊張って、そのときは (柄にもなく緊張している。やっぱ学会レベルになると俺でも緊張するのか) って思ってたけど、病的なもの、つまりぼくがいま抱えている逆流性食道炎あるいはほかの何かしらの症状に起因していたのではないか。

父親は熱を出して家でうなされているし、たったいま母親が悪夢でも見たのか悲鳴を上げるし、なんか冴えてない。ぱーっとおいしいもんでも食べに行きたいけど (母は学会終了祝いで焼肉に行こうと言ってくれている)、いまのままではろくに食えないし。下手したら吐くし。いやほんま、ちゃんと病院行こう。。

……ここまででだいたい書くことはなくなったのだけど、まだ寝たくないので続けます。果たしてここまで読んでくれている方はいるのか。こんな辛気くさい話。

 

しばらく前から武田百合子の『富士日記』をほかの本を読む合間合間に読んでいて、ですがまだ上巻も読み終わりません。我ながら読むのが遅い。いま思いついたけど、『たべるのがおそい』じゃなくて『よむのがおそい』って文芸誌つくったら売れるんじゃないですかね。古井由吉とか古井由吉とか載せてさ。ぼくだったらたぶん読まないけど。

でも、これは前に「進まない読書」ってエントリで書いたけど、なかなか読み終わらない=つまらないってわけでは決してなくて、『富士日記』はいいよ。言葉の羅列が力を持つのか事実の羅列が力を持つのかはわからないけど、描かれる山麓の冷たい空気もあいまって、とても清く澄んだ文章。気取ったところがないのもいい。そこに描かれる夫武田泰淳がどこかとぼけているのもいいし、それを見つめる百合子の視線もいい。いま思ったけど、武田百合子の一人称って大島弓子の主人公に似てるかも。描かれる世界も無垢で白、というか透明っぽいところが似てる。

(……とここまで書いて、部屋に猫侵入。うちには猫が二匹いて、一匹が雄、一匹が雌。雌のほうが騒がしい。侵入猫は雌。なけなしの集中力、途切れる)

大島弓子からの連想ですが、そういえばつい最近、萩尾望都イグアナの娘』を読みました。表題作は終わりの一文 (?) がすごいです。ぎゅっと一滴に凝縮されたような言葉。読んだとき、詩だと思いました。ちなみにぼくがいちばん好きな漫画家、大島弓子作品を読んだときも詩だと感じるのですが、大島作品が余白の作品、どこかふわふわして隙間が空いているのに対し、萩尾作品はぎっしり詰まっている、隙間なくレンガを積み重ねていっている感じで、ちょっとドイツ文学っぽいです。古井由吉っぽいともいえる (?) 同短篇集に収められている「午後の日射し」という話はウエルベックと通ずるところがあるなと思いました。ウエルベックほど破滅的ではないけど。独身者ではなく家庭があるけど。

ウエルベックといえばデビュー小説『闘争領域の拡大』も夏休みのときに読んで、ウエルベックは最初からウエルベックだったんだと安心もしたしふつうにおもしろかったんだけど、『素粒子』や『ある島の可能性』ほどのインパクトはなかったなあ。中篇という長さもそうだし、やはりデビュー作だからかあくまで要素に留まっていて、ウエルベックのテーマが爆発してない。まだ種が蒔かれただけって感じ。でもあの次にいきなり『素粒子』がくるわけだから、そう考えれば蒔かれた種、急成長したなあとも思う。ちなみに大学の先生にウエルベックが好きだといったら「あんなんはダメだ。あんなやつがフランス文壇の第一線にいるんだから嘆かわしい」みたいなことをいわれました。まあ、俗っぽい過激さを持つ作家だし、そういうひとがいるのもわかる。でも好きなんだよなあ。良くも悪くも人生観変えられたし。『素粒子』以降、そういう劇的な出会いは体験していない。

あと二ヶ月したら年末。2017年が終わるまでにどれだけの本が読めるか。どれだけの文章が書け、どれだけの作品が出来上がるか。来年は進路も決めなきゃで忙しいだろうし、今のうちにがんばらないと。

 

寝ます。——午前五時二十三分

 

熊の目



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 熊がいたよ、と佐伯さんはいったのだった。お盆も終わるころ、ぼくと川井は重いザックを背負って奥多摩湖畔のバス停に降り立った。南側から樹林帯を登る、鴨沢ルートと呼ばれる道程で、ぼくたちは雲取山に登り、山頂の近くの山小屋で一泊する予定だった。実際、ぼくらはほぼコースタイム通りに山頂に到達し、午後三時半に山荘に入った。六時の夕食のとき、隣に居合わせたのが佐伯さんだった。
「若いのに山の楽しさを知っていて羨ましい」
 佐伯さんは友人と来ていて、見たところ同学年のそのひとは缶ビール一本で酔っ払い、専らそのひとが話すことを佐伯さんが説明した。鴨沢とは反対側の三峯から登ってきたというふたりは関東近郊の山々を登っているらしい。山を始めたのは退職してからで、若いぼくと川井が羨ましいと何度もこぼした。その佐伯さんが翌日、下山して向かった温泉の脱衣場に立っていたのだ。熊がでたのは、ぼくたちも通った七ツ石山の巻き道だという。佐伯さんは六時に下山を開始している。バス停に降りた時間を考えても、熊に出くわしたのはぼくらがその道を通った三十分より前ということはないだろう。
 七ツ石山は雲取山に登る途中にある標高一七五七メートルの山だが、ぼくと川井は初日、ここで昼食をとろうとしてスズメバチの襲来に遭った。湯を沸かすためにバーナーに点火したところで偵察が現れ、いや、偵察というにはあまりに攻撃的だったから、この言い方は不適切かもしれない。執拗に攻撃を仕掛けてくるそいつを追い払っているうちに数が増え、最終的には五、六匹に襲われて這々の体で逃げ出した。そうした記憶も新しく、また雨だったので寄り道する気にならなくて、ぼくたちは下山では巻き道を選択した。その分岐点の少し行った先、そこに熊が出没したというのだ。佐伯さんの話によると、体長は少なくとも一メートル五十はあったらしい。最初に佐伯さんが気づき、あっと声をあげた。同行者は気づかないで足を進めかけたが、佐伯さんの静止に立ち止まり、前を向いた。そのとき人間と熊の目はあったのかどうか。熊の小さな瞳に、あっと口を開けた佐伯さんとその同行者の姿は映ったのだろうか。
 湯船に浸かりながら、ぼくと川井は「惜しいことをした」と話し合った。ぼくは山を登り始めて二年が経つ。熊がでるといわれる山にも随分登ったが、まだ見たことはない。ぼくとしか山に登ったことのない川井も、もちろん熊に会ったことがなかった。それが、たった三十分早ければ見られたかもしれないのだ。
 あるいは、下山はずっと雨だったから、俯きがちに歩いていたぼくたちが気づかなかっただけなのかもしれない。足元に集中しつつ歩くぼくらの傍らには、じっと息を止める獣が潜んでいたかもしれない。……そう考えてみるのだが、気休めにしかならない。
 もっとも、こんなふうに思えるのも当人ではないからで、ぼくらの立場は喉元過ぎればというやつに似ている。当然、佐伯さんは怖かっただろう。ツキノワグマはさほど攻撃的でないとはいえ、仮に敵と判断されれば、その強靱な脚力と腕力にかなう人間はいない。一昔前は死んだふりをすれば逃れられるといわれていたが、最近では逆に危険が高まるといわれるようになった。最善策は、相手から目を離さず、じりじりと後ろ歩きで後退していくことだ。もし相手が襲ってくるようであれば、ザックを囮に逃げるのも効果がある (とされている)。だがそれが現実となったとき、果たしてどれだけの人間がこれを実践できるか。
 話は一昨年に遡るが、初めて川井と山に登ったとき、あれは秩父武甲山だったが、登山口で会った地元の登山客がこんな冗談を言った。もし熊と遭遇したとき、どうすればよいか。それは複数人いた場合、ひとりが囮になることである。だから秩父の山に登るときは、あらかじめ囮役を決めておけばよい。
 川井は格闘漫画を読んできたからだいじょうぶだと言ったが、もちろんだいじょうぶではない。だからといってぼくが囮になっても生き残ることはできなさそうで、けっきょく、遭遇しないことを祈るしかないのだった。熊鈴にどれほどの効果があるか。それもさっきの場合と同じで、はなはだ頼りないと言うほかない。
 そんなぼくなのに、佐伯さんから熊がいたと教えられたとき、「惜しいことをした」と思ったのはなぜだろう。既にそこが安全な下界であったからか。あるいは。
 あるいは、今回の登山がスズメバチに襲われたぐらいで鎖場もなく、安全だったせいかもしれない。山に登るのはなぜか。いろいろな答えがあると思うが、ぼくの場合、けっきょくのところ生命力の昂進を感じたいからということになりそうだ。鬱状態に陥っていた去年の夏、表銀座縦走を企てて槍ヶ岳まで行き着いたとき、そして槍の穂先を登ったとき、あれほど生きたいと感じたことはなかった。槍ヶ岳登頂を機に、ぼくの鬱はぱったりと消えた。ぼくはこのために、山に登っているのではないか。
 湯上がり、同じ脱衣場で、今度は見知らぬおじさんに話しかけられた。ぼくの着ているシャツを見て、「涸沢に行ったんですか」と聞く。まさしくぼくは涸沢に登ったばかりだった。おじさんは何度も涸沢に行ったことがあると言い、この盆休みは三日間、多摩川の河原でテント泊をしていたのだと語った。昨晩、雨が強まり川水が茶色の濁流となって際まで押し寄せてきたので、夜中にあわててテントを畳んだらしい。なにか温かいものが食べたかったが、奥多摩のコンビニは深夜はやっておらず、自販機もすべて「つめた〜い」だったため、カイロで缶コーヒーを温めて飲んだ。「サバイバルですね」とぼくは感心しながら、佐伯さんが見たはずの、熊の目のことを思った。山に生きる獣の瞳には常に死と隣合わせの静けさが、目があったものを一瞬で引き込んでしまう世界が映っていたかどうか。もっともこんなことを考えるのもぼくが当事者ではないからで、単に佐伯さんは怖いと思っただけかもしれない。あるいは怖いと思う間もなく、ただ総毛だっただけかもしれない。そのとき、熊の毛は逆立っていたかどうか。ぼくと川井が沈黙のうちに過ぎた雨の樹林帯に、その獣は息を潜めていたかどうか。そんなことを考えながら、ぼくは建物を出た。細い雨が柳のように降っている。北の空で稲妻が光った。


08/19 Sat.山行から3日が経って

雪野原【創作小説】

 

 ある日、授業を受けるために大学へ行くと、一面の雪野原になっていた。
 つい昨日まで大学棟があったはずの場所が真白に染められ、初冬の清澄な日射しを受けた雪が眩しく照り映えている。高高と突き立っていた三十三号棟が無くなったためか、空がやたらと広い。見上げると雲一つなく、抜けるような青空が広がっている。
 しばらく茫然と立ち尽くしていると、不意に肩を叩かれた。
「こんなところでなに突っ立ってるんだ。早く行くぞ」
 先輩はそう云って私の手を取ると、何の躊躇いもなく雪野原の中へ足を踏み入れた。ザク、ザク、と足を落とす度に新雪の爽やかな音が鳴る。見た目よりずっと深く積もっていた雪に私は何度も足を取られそうになったが、先輩はそんなことにはお構いなしにずんずんと前へ進んで行った。手を引かれているので、仕方なく私もずんずんと雪野原を奥へ進んで行く。
「どこへ行くんですか」
 先輩は私の言葉には答えず、どことなく先を急ぐそわそわした様子でひたすらに足を運び続ける。仕舞いに私はなんだか眠くなってきたような気がしだした。一定の間隔で鳴る雪のザクザクという音が心地良く耳朶を打ち、段段足が重くなる。
「着いたぞ」
 そう云われてハッと顔を上げると、一面の雪野原には違わないが、四囲に十二、三の人人が集まる場所に来ていた。何となく皆どこかで見たような気がするが、どこで見たのかは思い出せない。彼等はゆったりした歩調で私と先輩を取り囲むように円を縮め、とうとう顔と顔が触れんばかりにまで近づいた。
「あの、いったい何を、」
 云い終わらぬ内に誰かが私の足を掴み、私の軀がぐらりと傾いて視界が空に覆われた。どうやら私は皆に軀を持ち上げられているようだった。
 先輩のかけ声とともに私の軀が宙に浮き、幾許かの手に受け止められると再び虚空に持ち上げられた。玻璃のように透き通った青空が近づいたかと思うと遠ざかり、それからまた手繰り寄せられそうなほど近づく。何故かはわからないが、私は胴上げされているようだった。
 皆は何を云うでもなくただ黙黙と私を宙に舞い上がらせた。それが繰り返される内に私はまた段段と眠たくなってきて、足元から沈んで行きそうな心地がした。そうしてついに眸を閉じてしまうと、私は唐突に地面に叩きつけられ、目を開けると先輩が立っていた。
「こんなところでなに突っ立ってるんだ。早く行くぞ」
 先輩はそう云って私の手を取ると、何の躊躇いもなくキャンパスの中へ足を踏み入れた。先程まで一面の雪野原だった場所に元通り大学棟が建ち並び、三十三号棟が高高と空に突き刺さっている。
「私達、つい今まで雪野原にいませんでしたか」
 私の言葉に、先輩はチラとこちらを振り向いて妙な顔をした。踏み出した足が落葉を砕き、ザク、と乾いた音を立てた。