華氏451度の世界で本を読んだ?

 

「先生、この期間に小説書けるんじゃないですか」

 

新学期の開始がGW明けに決まったとき、職場のひとにいわれた。

実際にはそれからも分散登校があったりオンライン授業の実施が決まったりと、なんだかんだでやることはあり出勤もしていたわけだが、それでも通常時と比べればはるかに楽で、週二、三回しか出勤日もなかった。小説を書くなら今だった。そしてお察しのとおり、小説は書いていない。

 

就職してから、めっきり文章を書かなくなってしまった。

小説どころか読書メーターに上げていた本の感想もめったに書かなくなったし、およそ何かを考えてものを書くという行為から遠ざかっている。

実家にいたころ、よく母に「書きたいひとは何もいわれんでも書くやろ。あんたみたいに強制されな書かれへんのはそもそも向いてないんちゃう?」といわれていたが、当時は認められなかったこの意見も、たしかに……と頷かざるをえない。

 

読書は依然つづけていて、本を読むのは心から好きなんだなと思う。働き出して冊数こそ減ったものの、コンスタントに読み続けている。

しかし。もし読書が社会的に〝悪〟とみなされていたら、ぼくは本を読んだだろうか。

「読書」は一般的に、「教養を深める」「心を豊かにする」ものというふうに捉えられている、と思う。これは国語の教科書なんかを見てもそうで、社会に根深いイメージだろう。たとえば「趣味はゲームです」とは就活では言いづらいが、「趣味は読書です」と言うことにためらいはない。だれかに聞かれたときも、とりあえず「読書です」と言っておけば間違いはない。

実際には一週間前に読んだ本の内容を忘れていることもざらだし、読んだからといって知識が身につくというわけでもないのだが、読書は自分を高めるもの、というあまりに茫洋としたイメージがぼくたちの社会に根づいているために、寝転がってだらだらぺーじをめくる行為が許されているのである。

もしこれが、一昔前の漫画やゲームのように、子どもの遊び、何か良くないものというイメージで捉えられていたら。世の読書家は、ぼくは、本を読んだだろうか。

あの名作を読んだ、カラマーゾフを読破した、という肩書きを求めて本を読んでいる側面も、ないとは言えない。世の名作をひとつひとつ収めていくコレクター的側面も、たしかにある。

そういう意味では、ぼくは本当の読書好きではないのかもしれない。なんて思いつつ、最近読んでおもしろかった本は以下。

 

おむすびの転がる町 (楽園コミックス)

おむすびの転がる町 (楽園コミックス)

 
バーナード嬢曰く。 (5) (REXコミックス)

バーナード嬢曰く。 (5) (REXコミックス)

 
言葉の流星群 (角川文庫)

言葉の流星群 (角川文庫)

  • 作者:池澤 夏樹
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 文庫
 
氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 

『おむすびの転がる町』は現在進行形で読んでいる。少し前にpanpanyaに出会い、とりこになった。読む前は不気味な絵柄からつげ義春のような作風かと思ったが、ゆるい動物たちに癒やされる。どこか懐かしい感じのする視点や町の描写、くだらない思いつきをくだらないに留めない思考の粘着、飛躍力に脱帽。いまいちばん好きな作者。

『バーナード壌曰く。』は待望の第5巻。これまででいちばんおもしろかった。遠藤のめんどうくささに拍車がかかる。

『言葉の流星群』コロナの脅威に病みかけていた時期に読んだ。なんとなく、癒やされる気がして。宮澤賢治の詩や童話をいっしょに読みながら、作者が彼の文学や自然観、宗教観に迫っていくという内容で、あらためて宮澤賢治の言葉の奥行き、唯一の世界観に気づかされる。また花巻に行きたくなった。

『氷』少し前に読んだ『草地は緑に輝いて』がとてもよかったので。始終妄想とも幻覚ともつかぬ不穏なイメージが跋扈する内容でしんどくなるときもあったが、終盤でぐいとひっつかまれた。氷が迫り、滅亡を前にしても共闘できない人間の姿にいまの時勢を思ったりもする。一週間前に読んだ本の内容を忘れるぼくも、ラストシーンの鮮烈さは覚えている。

ほか、『波よ聞いてくれ』や『スキップとローファー』、『ブルーピリオド』も読んでいた。どれも既刊はすべて読み終えてしまったので、続刊が待たれる。続刊が待たれるといえば、『水は海に向かって流れる』も。『よつばと!』は……いや、気長に待とう。

スキップとローファー(3) (アフタヌーンKC)

スキップとローファー(3) (アフタヌーンKC)

  • 作者:高松 美咲
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: コミック