デクレシェンド

 

 駅のトイレで倒れてからあと少しで一年が経つ。昨九月末、友人のKとバーで一杯だけ飲んで別れた僕は下り電車が来るのを待っていたのだがアナウンスが響き電車が滑りこんできたとたん、急に具合が悪くなりぐらぐら揺れる視界でトイレに向かうも途中の廊下でホワイトアウト、タイルで埋まっていくように戦えるポケモンがいなくなったように真っ白になり、数瞬のあいだ意識を失った。激しい嘔気と個室で戦い死ぬ気で電車に乗り這々の体で帰宅したその日はまだ、悪酔いしたのだと思っていた。しかし同じことが何度か続くうちひとえにアルコールのせいとも言えなくなりそれどころか酒を入れてなくとも嘔気や眩暈に襲われるようになり家から出られなくなって内視鏡を受けたのが十二月。既に病院には行っていて逆流性食道炎胃潰瘍が疑われていたが内視鏡で分かったのはやはり食道や胃腸がぼろぼろになっているということでおまけにピロリ菌が大量発生していることも判明した。

 投薬治療により胃酸が迫り上がってくるような感じは収まりようやく嘔気と気鬱から解放されるかと思われたがいっこうに良くならず、電車や飲食店、人の多い場所に行くととたんに倒れそうになる。ふりだしにもどるとはこのことだと僕は思い、これで治ると思っていたから失望は尚更だった。あらためて自分のこの嘔気は何なのか。眩暈は何なのかと考え、エコーでもレントゲンでも内視鏡でも、新宿駅で二進も三進もいかなくなって救急車で運ばれたときの諸検査でも原因は見つからなかったし、となると残りは神経、自律神経じゃないかという考えに至った。

 それからは必ず朝八時に起き、日光を浴びるために三十分ほどの散歩、必ず三食の食事、と夜型だった生活リズムを徹底的に見直した。症状はある程度改善したが、ある程度止まりだった。七月末、もういちど市立病院に行き、父が以前お世話になった先生の診察を受けた。機能性胃腸不全だと思います、といわれた。

 自律神経じゃないか、という自分の考えはやはり遠からず当たっていたわけで、いまは若い人もかなり多いのだという。「まずは一ヶ月これを飲んでみてください」逆流性疑惑のときも飲んでいた胃腸系の薬と漢方を処方された。漢方は自律神経に働きかける薬で、はっきりといわれたわけではないが穏やかな抗不安薬と自分では理解している。漢方ゆえ即効性はないが、副作用も少ない (もしくはない)。

 薬は今まででいちばん効果があった。食べ始めや食後に必ず襲った嘔気、眩暈が徐々に弱くなり、今では自宅だとふつうに食事がとれるようになった。外食のときのしんどさもマシになってきている。

 電車やバスにも乗れるようになった。ひどいときにはホームに入ってくる電車を見ただけで目が回って吐きそうになっていたのだからすごい進歩だ。ただもう完璧にだいじょうぶというわけにはいかなくて、朝起きたときから今日は電車乗んのキツいな……という日もあるし、乗ってから気分が悪くなるときもある。むしろ大きな進歩は、気分が悪くなったときにどうにかその状態で耐えられるようになってきたということだ。以前はそうした気分に襲われるたびにこの世の終わりみたいな絶望感がのしかかりただでさえ生気のない顔を更に青ざめさせていたのだが今は、「畜生また来やがった、あーキツいなどうしよう、次の駅で降りようかな、いや、もうひと駅だけ様子見るか……」というふうに調子が悪いなりに心拍数を維持していることができる。これは電車に限らず飲食店や街に出たときも同じで、もちろん「もう無理っす」となって電車を降りたり店を出たりするときもあるのだが、嘔気が膨張して鼓動が早まって倒れそうになる……という事態はなくなった。一ヶ月の投薬が終わり、新たに二ヶ月分の薬を貰いに行ったとき先生は、「波はあると思うけどその波もだんだん穏やかになって少しずつ耐えられるようになってくるから」といった。その波の満ち引きを僕は今、比較的静かな気持ちで聞いている。

 

 

 一年に近い時間をこうした状態で過ごすと、どういったときに快調になりやすくまた不調になりやすいかが分かってくる。まず前提も前提だが、安心できる空間か否か、というのが快不快の針を左右する最も重大な要素である。たとえば家族の他だれもいない自宅は最も安心できる空間だ。この安心は「仮に気分が悪くなっても誰にも見られない」という意味だと自分では解釈している。なので人が多い空間、たとえば駅、交差点、ショッピングセンター、電車……などは今でこそへいきなものの以前は本当にしんどかった。特に電車やバスといった乗り物は最悪だ。これは「逃げられない密閉空間」だから。同じ理由でエレベーター、テスト会場などもしんどかった。

 一緒にいる人の存在も重要だ。気の置けない人物か、僕の体調が安定しないことを知っていて仮に不調になってもフォローしてくれる人物か、不興がらない人物か。一緒にいる人が自分にとって安心できる人物であればあるほど不調になりにくく、そうでないほど不調になりやすい。

 逆に、快調に導く要素はあるのか。ある。ひとつに、適度な緊張感。緊張感とは不安やストレスのことだから矛盾するようだが、まったく緊張感のない場面よりも、ある程度それが感じられる場面の方が実体験として体調が良い。たとえば登山やバイト。このブログにも書いたが僕は今月盆、友人のKと北アルプス涸沢に登った。体調が安定しない中での山荘泊は不安で一時は無理じゃないかとも思ったが行ってみると、むしろふだんよりも快活で下山した後も山に行く前より体調が良かった。バイトも同じで、山から下りた翌々日から始まった夏期講習、初日は思わず塾の扉の前でへたりこんでしまったが教室に入り、生徒二十数名を相手に話しているうちに嘔気は遠のいて朝から夕方まで授業、終わってからは教員採用試験の二次に向けた準備ととにかくハードな日々だったが、今まででいちばん調子が良かったように思う。塾には僕が唯一好感を抱いている正社員のN先生がいて、そのNさんもまた学生のころ自律神経を崩したという人だった。長らく体調を崩しているとこぼすと「自律神経?」と聞かれ驚いた僕はつい自分の症状を話してしまったのだが、Nさんはうなずいて、「電車とか、密閉して逃げられない空間つらいよね」。「そうそう!」思わず興奮してしまった。全身の凝りがほぐれるような思いだった。そのとき初めてぼくは、どうやったって言葉じゃ伝えられないということが苦しかったんだと理解した。Nさんの場合は自律神経を崩した明確な理由があった。それはここでは書かないが、時が経ってそのしこりがだんだんほぐれ、向き合えるようになったのが回復につながったという。またある程度の緊張感、やらなければいけないタスクがあったほうがかえって楽で、何かに打ちこんで自信を取り戻していくのが回復に至る道のりじゃないかなといわれた。

 Nさんにはバランスを崩す明確な出来事があった。では、僕にとっての原因は何なのだろう。漠然と思い当たるのは三つ。

 まず、将来への不安。就活もせず無為に過ごした大学四年生に、いよいよ選択を迫られた大学五年目。大学院に進学することを決断し無事合格すると不安もなりを潜め修士一年の昨年は環境の劇的な変化、目まぐるしい日々に不安も消えたかと思われたが春学期が終わりすなわち一年目の半分が過ぎ徐々に進路のことも考えなくてはいけないとなって再び不安が昂じ、それが今の症状につながっているのではないか。

 二つ目。最初に倒れるときまでの不摂生。ひどいときには三日に一度くらいのペースで終電だったし朝帰りすることも多かった。終電を逃してカラオケでオールしたその足で友人と合流し伊豆旅行に出かけたこともあった。毎日酒を飲み煙草を吸いまくっていた。あれが祟ったんじゃないか。

 最後……は、割愛。いずれにしろ大きいのは上記二つと思われる。

 

 

 今日は朝から隣の町に出かけた。本屋と図書館に行ったあとカフェに入って読みかけのテッド・チャンあなたの人生の物語』を進めようとしたが喉の異物感が消えず、それでもせめて一篇は読み終えようとしたがそんな状態ではどのみち集中できないので諦めて店を出た。バランスを崩して何がつらいか。春くらいまでは「何が」もくそもなく常時吐きそうだった。だからこれは贅沢な問いだ。つまり、快調になってきたからこそつらいことが何か選別できる。いちばんしんどいときはそもそも家から出られないしもちろん登山もバイトもできない。

 今つらいのはやはり、喫茶店に居づらくなったことだろう。なんだそんなことかと思われるかもしれないが、要は屈託なく外出できなくなったということだ。僕は喫茶店巡りが趣味で日々ネットや本で気になる店を見つけては訪れていた。コーヒーも大好きだしそこで本を読む時間も好きだ。煙草が吸えたら至福といっていい。だがかなり良くなってきている今でもノンストレスで喫茶店にいることはできない。今日のようにコーヒーを残して席を立ってしまうときもある。外出するハードル自体上がっているので遠方の喫茶店はもちろん近場の慣れ親しんだ店に行くのにも体力気力がいる。まだ何の気負いもなくコーヒー・ブレイクを楽しむというわけにはいかない。

 でも、以前の僕は本当に何のストレスもなく外出していたのだろうか。最近思うのだが、完全に何のストレスもない状態というのはあり得るのだろうか。自宅で静養する。それは限りなくストレスがゼロに近い状態かもしれないが、既に書いたようにある程度の緊張感があった方がかえって調子が良くなるし、だからこそそうした状態に身を置いていないことのストレスが存在する。では登山やバイトなどの適度な緊張感がある場面が最善かと聞かれれば、確かに具合は良くても不安感はつきまとうし、些細なキッカケで快不快のメーターは反対側に振り切れるかもしれない。じつは人には完全にノンストレスの状態なんかなくて、徹夜明けの二日酔いでも吉野家に入れたのにと「健康だった自分」として思い出される僕も、ともすれば脳裡に掠める嘔気、眩暈を抱えながら、ただそれを必要以上に意識していなかっただけではないのか。倒れる前と後とで違うのは身体の不調どうこうというより、頭痛を抱えながら吉野家に入る図々しさ、鈍感さの有無じゃないか。気分の悪さに対する耐性の幅ではないか。あるいはこの鈍感さ、耐性の喪失こそこの場合の不調といえるのかもしれない。

 

 

 以上、好不調の波とにらめっこしつつ考えていたことを文章にしてみた。書くのを忘れていたが、この好不調の波は文章の理解度と正比例する。よく鬱病になると本が読めなくなるというが、おそらくメカニズムは同じだろう。具合が悪いときはぜんぜん本が読めない。内容が頭に入らず、何度も同じ行を苛々と読むはめになる。逆に具合が良いとき、落ち着いているときはすらすら入ってくる。この一年では圧倒的に不調のときが多くてろくに本が読めず自分のあまりの理解力のなさに絶望しかけていたが、最近、また少しずつ読む速度が上がってきていて、はじめのうちはそのあまりの順調さに驚いたのだが、よくよく考えてみればそれはかつての自分の読書スピードなのだった。僕は元から決して本を読むのが速くはなくむしろ遅読だが、それでもかなりの速度感があった。この先、少しずつ頁をめくるスピードが速くなっていくのだと思うと、それだけで空が開けてくるような、明るい気持ちになる。