涸沢に登ってきた
お盆真っ只中の8月12日〜13日、北アルプス涸沢に行ってきました。今回はその記録です。
まえがき
同行者は、先月、奥多摩氷川キャンプ場にも一緒に行った川井くん。
じつはぼくは涸沢には去年別の友人と登っているのですが、川井とも前々から北アルプス行きたいねという話はしていて、で、「いちど涸沢に行ってみたい」とのことだったので、今回また登ることになったわけです。
立てた予定は11日夜のバスで上高地に行き、12日の早朝から登り始めて涸沢ヒュッテで一泊し、13日に下山して帰宅するというもの。本当はどうせ行くなら二泊して奥穂高に挑戦したかったんですが、社会人の川井は休みが限られているし、僕も僕で18日に東京都教員採用試験の二次試験が控えていてさすがに二泊する気にはなれなかったので。
また、僕は相変わらずお腹の不快感、喉の異物感、吐き気に悩まされていて、市立病院で診察を受けた結果、機能性胃腸障害だろうという見解に落ち着いて投薬治療を開始、少しはマシになってきていたのですが、やはり電車・バスなどの密閉して逃げられない空間、食べ始め・食後はしんどくて、体調的にも二泊できるか……という不安もあった。というか、行く前は夜行バスが不安で不安で仕方なかった。が、どうしても北アルプスに行きたかったし、川井はぼくが昨年秋に体調を崩し出してからずっと理解して身体を気遣ってくれている友達なので、そうしたことが心理的ハードルを下げてくれた。
もともと、ぼくは夜行バスで眠るのが苦手で、これまで体調に問題がなかったときでもろくに眠れないのが常でした。で、肩こり&寝不足による頭痛でげっそりした顔になってバスを降りるという。
なので、今回は夜行バスで出来るだけ快適に過ごせるよう、100均グッズも揃えてみました。
出発
22:25新宿バスタ発のバスに乗るため、21:40新宿南口にて集合。……のはずが、いきなり電車に乗り遅れ、10分遅れの21:50に到着。集合時間早めにしといてよかった……。
さすがは盆というべきか、バスタはかなり混雑していた。(USJに行くバスとかあるんですね……)
22:15、乗車案内が始まり、バスに乗りこむ。ラッキーなことに、ぼくらはいちばん前の席だった。ぼくはさっそく持参した100均グッズを取り出した。
エア枕、アイマスク、耳栓
ダイソーで売っていた。枕は空気注入型よりも元から膨らんでるやつのほうが心地良さそうだったが、グラム単位で荷物を減らしたい登山に持っていくのは無理やから……。
アイマスクは、「蒸気でホットアイマスク」を使うひとなんかもよく見かけるけど、自分はあれ苦手なので、いたってふつーのやつ。
あと、忘れずに酔い止めも。今回は酔い止めに限らず、ふだん飲んでいる薬、頭痛薬、胃腸薬と各種準備してきた。出番があるかどうかは別として、持っているのといないのとでは安心感が違う。
さて、効果はあったのか。
ありました。最初は「エア枕ないほうがかえって寝やすいんじゃないか……」と思ったりもしたけど、慣れたらフィットするし、肩が凝らない。アイマスクと耳栓も、夜行バスで気になる光と音をしっかり遮断してくれた。
上高地に行くさわやか信州号は談合坂SA、諏訪湖SAで二度のトイレ休憩があり、ぼくは去年も一昨年も全然眠れなくてひとりバスを降りたりしたのだが、今回は諏訪湖SAに着いたときには眠りについていて、川井は声をかけてくれたらしいが気づかなかった。それくらい、効果があった。
登山
5:30、上高地バスターミナル到着。
トイレ、着替えを済ませ、梓川沿いを進む。
河童橋でザ・上高地!な写真を撮る。曇っていて背後に聳えるはずの穂高連峰は見えない。
上高地から目的地の涸沢まではコースタイム6時間10分。横尾までは梓川に沿った緩やかな道を上高地→明神、明神→徳沢、徳沢→横尾と約1時間ごとにポイントを経つつ進み、横尾からは本格的な登りが3時間続きます。
7:25、明神
8:25、徳沢
去年は『氷壁』を読んだばかりで、徳沢や横尾に到着するたびに感動してたなあ。
9:25、横尾
横尾山荘はカレーがおいしい。
さて、横尾からはいよいよ本格的な登りです。
横尾は涸沢・穂高方面に行くか槍ヶ岳に行くかの分岐点でもあり、涸沢・穂高方面に行くには横尾大橋を渡ります。
この日の予報は曇り時々雨。
涸沢に着くまでにどうにか持ってくれ、と願いながらの登山でしたが、やはり降ってきました。ザックにカバーをかけ、レインウェアを着込む。本降りにはならず、弱い雨が降ったり止んだりで済んだのは助かりましたが、それでも雨が降ってるとふだんの倍疲れる……。レインウェイが蒸れるのと足場が滑るのと、何より展望がないのがつらい。
登りがいよいよしんどさを増してきたのもあり、黙々と登りました。
12:30、涸沢ヒュッテ到着。
まず宿泊受付を済まし、荷物を置いた後、楽しみにしていた名物のあれを注文します。
涸沢といえば、おでん。
ふだんはあまりビールを飲まない川井も、疲れを癒やす味と絶景に満足そう。ぼくは今回はビールは飲みませんでしたが、やっぱここで食べるおでんは最高だなあと思いました。
なお、川井はカレーも食べていた。ぼくも去年食べたけど、超うまいよね。
にしても、晴れないかなあ。。。
今回は重量カットでジェットボイルもクッカーも持ってきていないし、やることがない。与えられたスペースで布団を被り、眠る。本当は登ってすぐに眠るのは高山病対策の面から見てよろしくないのだが、つい。
涸沢は (というか徳沢あたりから) 電波もほとんど繋がらないので、スマートフォンも使わず。これぞほんとのデジタルデトックス。
17:15、晩ご飯。
消灯時刻は21時。今この文章を書きながら、その間何したっけ?と考えているのだが、浮かんでくるのはぼんやりとした感触ばかりで、あまり思い出せない。
でも退屈したという記憶はまったくないんだよなあ。たぶん、眠ったり外に出たり、要は何もしなかったのだと思うけど、今思い出そうとしても満たされるというか、ただ「いい時間だったなあ」と思う。
夜のテントは綺麗だ。
この時、一瞬だけ空が晴れて、雲の切れ間に所狭しと燦めく星々が見えた。皆が空を見上げ、ほおっと息をつく。「あ、流れ星」という声も何度か聞こえた。ぼくは心がくすんでいるので見えなかった。
21時を少し過ぎた頃、何の前触れもなく消灯。昼間寝てしまったから寝つけないかもと思っていたが、青空文庫を閉じて目をつぶったら、あっさり眠ってしまった。登山ってすごい。
ちなみに、青空文庫では伊藤左千夫「奈々子」と吉田絃二郎「八月の星座」を読んだ。「奈々子」では勝手に堀辰雄の「菜穂子」みたいな話を想像していたからあっけにとられた。眠る前にこんな悲しい話を読んでしまった……と。一方、「八月の星座」はめちゃくちゃ好みだった。
白い雲が岫を出る。白い国道が青田の中を一直線に南に走る。八月の太陽は耕作地を焦きつくすまでに燃えてゐる。幌馬車が倦怠い埃を立てゝ走る。父は葡萄畑に立つては幾度か馬車の喇叭に耳をそばだてる。東京の学校から帰る長男、県の中学から帰る次男と……田園の父にとつて八月は楽しい待望の季節である。
わたしは故郷の父が、わたしの帰省を待ちあぐんで母や妹たちに隠れては、日に幾度となく停車場に出かけて行つたといふ話を思ひ出す。(…)
タイトルに惹かれて読んでみたけど、吉田絃二郎、全然知らなかったな……。今度、図書館で探してみよう。
下山
4:30、点灯。
長袖の上にフリースとウインドブレーカーを着こみ、テラスに出てみる。
雲は出てはいるが、晴れている。モルゲンロートは見られるか。
5:15 少しずつ赤くなってきた、か?
5:30、染まった!
もう黄色くなりかけてますね。ほんと、モルゲンロートは一瞬。
朝ご飯をいただき、歯磨きをして6:30出発。
ヒュッテのロビーでは、皆がテレビの前に集まって天気予報を確認していた (写真はもう皆が出発した後)。
8:35、横尾
涸沢から2時間で着いてしまった。やっぱ、下りは早いね。
なんでそうなったのかは覚えていないが、ぼくがドラゴンボールをまったく知らないというので、川井からずっと、1巻から最終巻までのあらすじを教えてもらっていた。なんでもありかよ、というか、あまりに場当たり的過ぎませんか?と思った。
9:45、徳沢。たぶんまだサイヤ人編あたりの説明を聞いていた。
10:35、明神 (推測)、死んだはずのフリーザがまた出てきて?ってなってた。
11:20、河童橋 (推測)、お土産を買い、バスターミナルへ。
東京行きのバスが15時までなかったので、12:00発のバスで新島々に行き (13:06着)、松本からあずさで帰ることに。
新島々から松本までは、上高地線で30分。13:26に新島々を出て、13:55に松本に着きます。
松本に着いたら、さっそくあずさのチケットを購入。構内のお店で駅弁も買って、30分近く前ではありますが、席を確保すべくホームで並びます。
恐るべしお盆。始発駅だしまあだいじょうぶだろ、と油断していたら立つことになっていたかもしれません。松本で既に満席で、茅野を過ぎる頃には連結部から溢れたひとが通路にびっしり、という感じでした。
そんな中、ぼくは釜飯を食っていた (が、途中から少し気分が怪しくなって、無理矢理眠った)。
16:57、立川着。ホームに降り立ち、あまりのひとの多さにめまいがする。たんびにぶつかりそうになりながら、階段へ。
こうしてぼくたちは日常に帰される。半ば強制的に。
あとがき
夕方、煙草を吸っていると、一瞬だけ晴れ間がのぞいた。
いきなりですが、お金の話から。
槍ヶ岳に登ったときの記事を見直していて、抜けているなと思ったので。
今回、交通費宿泊費込みで使ったお金は約2万5千円。細かく見ていくと、
新宿から上高地までのバス代、 7400円
涸沢ヒュッテ宿泊代 (1泊2食)、9500円
上高地から松本 (電車・バスセットチケット)、2450円
松本から立川、5510円
その他飲み物代、土産代など
出発前に夜行バスグッズや携行食、薬などを買っていることを考えるとトータルで3万いってるかも。帰ってきて温泉にも入ったし。不慮の事態でもう一泊する可能性も考えると、少なくとも4万は持っていきたいところです (ぼくは松本で現金が尽きて、クレカであずさ代金を払いました……)。
さて、涸沢の感想を。
涸沢は今回が二回目でしたが、たとえば燕岳までの急登や表銀座縦走路に比べると、涸沢までの道のりは比較的穏やかである印象です。滑落の危険も少なく (油断は禁物ですが)、上高地からコースタイム6時間と非常に恵まれた条件だと思います。もちろん、涸沢からさらに登るとなると難易度は全然変わってきますが。
穂高連峰に包まれた地形、そこに星のように散りばめられたテント……。山の頂に立つ達成感とは別の充実感、ゆったりした時間が涸沢にはあると思います。
たった一泊しただけなのに、東京を発ってから長い時間が経ったような、そんな錯覚を起こさせる場所。槍ヶ岳とはまた違った非日常。
つぎに行くときはいつになるのか、来年は北アルプスに来られるのか。まだわかりませんが、今度は涸沢の先、奥穂高に挑戦したい。そして社会人になっても、こうやって友達と山にきて、息抜きができるような生活を送りたいなあ。