5月に読んだ本

 

 

いつの話やねん、っていうね。いちおう途中までは書いてたんだけど、最後二作の感想がどうしても書けなくて、気づけば8月になってしまった。

 

11枚のとらんぷ (角川文庫)

11枚のとらんぷ (角川文庫)

 

「真敷市公民館創立20周年記念ショウ」にてトップバッターを務めることになったマジキクラブ。プラグラムに沿って11の奇術が披露されるのだが、場慣れしていないアマチュアゆえ、多くのトラブルも発生する。取り澄ました奇術師の内心の動揺、裏方のドタバタに笑いを誘われつつ気の毒になりつつ、泡坂の読者である僕たちは「これも伏線なんじゃないか」と眉に唾をつけつつ読み進めるわけだが、まさかあんな事件が起きるとは。

この小説のミソはもちろん奇術師である泡坂妻夫が奇術ミステリを書いたところにあるのだけど、テマティスムのごとく燦めく11、奇術ショウ (事件) の後に「探偵小説風な奇術解説書」である『11枚のとらんぷ』が挿まれる枠物語構造など、まさに奇術師ならではの仕組み満載の作品となっている。ましてや作中作を読めば犯人が誰か分かるというのだから、なんとも楽しいミステリ。まさに奇術を見てその種を推理するような、参加型の小説。

 

生き延びるためのラカン (木星叢書)

生き延びるためのラカン (木星叢書)

 

 

著者曰く「日本一わかりやすい」ラカン入門書。くだけた語調で基礎中の基礎である象徴界」や「想像界」、「エディプス・コンプレックス」や「鏡像段階」について教えてくれる。ラカン入門というより、精神分析学入門という感じもする。著者自ら標榜するようにいたって平易に書かれていたのにぼくはぜんぜん内容を覚えていない。ラカンどうこうより「シニフィアン」「シニフィエ」の説明がわかりやすくて有益だった。そして、何を読んでも「この終わりのない焦燥感は資本主義から来てるのか……」と思う (資本主義がダメとかいうはなしではない。) 浅田彰の『構造と力』を読んだときも宮台真司の『終わりのない日常を生きろ』を読んだときも東浩紀の『動物化するポストモダン』を読んだときもそうだった。というか、それしか印象に残っていない。けっきょく、自分が理解・共感できることだけを都合良く受容しているのかもしれない。

「すべての男はヘンタイである」という章ではさまざまなフェチが出ていておもしろかった。「ウエット&メッシー」という言葉も知らなかった。後は「転移」についての章も興味を惹かれた。恋愛においてはどの程度この転移が起こっているのだろう。

 

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

 
砂の器〈下〉 (新潮文庫)

砂の器〈下〉 (新潮文庫)

 

 

蒲田駅の操車場で男の扼殺死体が発見されるところから小説は始まる。老練刑事今西の、一昔前の刑事像そのままの地道な捜査、アームチェア・ディテクティブの真逆をいく足また足。なにせ中央線塩山駅から鳥沢駅まで線路伝いに歩く (初鹿野ー笹子間のみ電車に乗っている) のだから、その根気と執念には恐れ入る。塩山ー鳥沢間をグーグルマップで調べてみたら36.5kmと出た。完全な線路伝いのルートではないし、初鹿野ー笹子のひと駅分は電車に乗っているのだから実際は20数キロになるだろうが、それにしても炎天下の中歩く距離ではない。

読んでいていやでも想起されるのは今のサスペンスドラマで、描かれる刑事像、その捜査過程、真相への接近方法……と類似点が多い。というのはつまり、サスペンスドラマが未だに50年近く前の物語構造を持っているということになる。この前もテレビを点けたら中年刑事と若手刑事が立ち食い蕎麦を食べていて仰天した。いや、実際の刑事も立ち食い蕎麦屋に入るんかもしれんけど。それにしても、あまりにテンプレだなあ、と。

あと宮部みゆき火車』を読んだときも思ったけど、真相解明につながるヒントの見つけ方もまるで変わっていない。たいてい奥さんや子ども、偶然話しかけたひとの一言でハッとなって、「そうか……。ありがとう!」(駆け出す)「え、ありがとうって何が?」って感じ。『砂の器』でもこんな感じで糸口が見つかっていくので少々鼻白んだ。もっとも、これはサスペンスドラマがぬるま湯につかっているだけであって、清張が悪いわけではない (もしかしたらこうしたパターンの先駆である可能性もある)。

社会派小説としてはおもしろかったけど、個人的なミステリの枠には入らなかった。

 

ピーター・パン Peter Pan (ラダーシリーズ Level 1)

ピーター・パン Peter Pan (ラダーシリーズ Level 1)

 

 

やさしい英語で書かれているピーターパン。よくピーターパン症候群という言葉を耳にするわりに、そういえば原作読んでなかったなと思って買った。ディズニー映画を観たことがなく、ディズニーランドにも行ったことのない僕には多くの発見があった。「ネバーランドってピーターパンからきてたのか!」とか「フック船長とティンカーベルってピーターパンに出てくるんだ!」とか (マジです) “Cock-a-doodle-doo!” とか (何かの漫才で聞いた)。

どうしてもピーターパンよりフック船長に肩入れしてしまう。“(…) I don't want to grow up. I'm going to stay in Neverland and stay a little boy forever,”というピーターの気持ちも分かるんだけど、それよりもウェンディという母親を手に入れて嬉しそうな the lost boys のようすを見て“(…) Then we will make Wendy our mother!”と思いつくところとか、宿敵のピーターパンを殺し (たと思い込み)、その仲間も捕まえたにもかかわらず寂しいのはなぜ? と考えたときに“There are no little children to love me!”と思い当たってとても哀しくなるところとか。妖精じみたピーターパンよりもよっぽど人間味があって、喜怒哀楽が痛切に伝わってくる。彼の抱く感情は誰しもが抱く普遍的なものだと思う。もしウィンディがピーターパンよりも先にフック船長と出会っていたら、彼の母親や理解者になり得たんじゃないかなあとも思った。もっとも、これは僕の願望かもしれない。

 

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)

 

 

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

『ピーター・パン』までの文章はだいぶ前に書いていたのだけど、『未必のマクベス』と『ユートロニカのこちら側』に関しては好きすぎるあまり、これは感想も熱を入れて書かないとな、と思って書かないでいた……ら、8月になってしまった。最近読メでもまったく感想を書いていないし、ちょっとすぐには書けそうにない。

ので、要素だけ書いておこうと思います。

 

『未必のマクベス』……5月ベスト本。IT企業で出世コースを進む主人公・中井優一が、帰国途上の澳門で「あなたは、王になって、旅に出なくてはならない」と娼婦から予言を告げられるところから物語が始まる。地の文、会話文ともに知性的で、描かれているのもビジネスの世界なのに、こんなピュアな恋愛小説はほかに読んだことがない。旅小説であり、犯罪小説であり、何よりもピュアすぎる恋愛小説。

 

『ユートロニカのこちら側』……昨年度、私的ベストに輝いた『ゲームの王国』の作者・小川哲のデビュー作。五感や位置情報など、全ての個人情報を提供する代わりにその報酬で暮らすことができる実験都市アガスティア・リゾートを舞台にした短篇集。

完璧な生活が保障されるという面では、『すばらしい新世界』のディストピア観と少し似てるかも。『ゲームの王国』ほどの突き抜けた感じはないのだけど、静かに迫り上がってくる狂気、皆が笑顔でいるが故の怖ろしさが伝わってきて読み応えがあった。

 

二作ともタイトルが秀逸すぎる。ディストピア好きなら『ユートロニカのこちら側』を、旅や恋愛小説が好きなら『未必のマクベス』を、ぜひ。