今夜はスマホを置いて寝よう

 

 

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鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』を読んだ。

少し肩の力を抜きたいなと思っていたときに、図書館で見かけたのだ。

鴻上さんは、孤独には「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」があるという。

 この本は、「孤独の価値と素晴らしさ」を語った本です。その内容を、「本当だろうか? 本当に、孤独は価値があって素晴らしいんだろうか?」と、本を閉じた後、一人で考えられるのが、「本当の孤独」です。

「ニセモノの孤独」は、本を閉じた後、たとえば、すぐに誰かに電話やメールをします。一人であること、孤独であることが、みじめで、淋しくて、耐えられないと思っている孤独です。孤独は、つらくて、みじめで、カッコわるくて、恥ずかしい、と思い込んでいるのが「ニセモノの孤独」です。(「はじめに」より)

ぼくは、「一人であること、孤独であることが、みじめで、淋しくて、耐えられない」とは思っていない。けれど、寝る前はいつも、スマホを手に取る。意味もなくブログやユーチューブを立ち上げ、もう何度も見た動画を再生したり、過去の記事を読んだりする。これは、「ニセモノの孤独」だろう。

とはいっても、照明を落とした部屋で、じっと眠りを待っているのはつらい。ついいろいろなことを考えてしまうし、夜は不安が育つ。考えてもしかたのないことばかり考えて、押しつぶされそうになる。これは、「後ろ向きの不安」だ。鴻上さんは、「前向きの不安」は生きるエネルギーをくれるが、「後ろ向きの不安」は生きるエネルギーを奪う、と書いている。

では、それが「ニセモノの孤独」であっても、「後ろ向きの不安」に潰されるくらいならネットワークの網に逃げたほうがいいのか、というと、やっぱりそんなことはなくて、ぼくらがユーチューブを再生しているあいだも、じつは「後ろ向きの不安」は刻々と膨らんでいるのだ。後回しにした分、不安はさらに肥大化してのしかかってくる。やはりどこかで「本当の孤独」と向き合い、自分の身体や心と対話する必要があるのだ。

とはいっても、とやはりぼくは思う。頭では理解できても、それを実行に移すのは大変だ。現に、ぼくはこの本を読み終えてからも、暗い部屋でスマホを手に取ってしまった。

少しずつで良い、と鴻上さんは云う。いきなり1時間は走れない。10分、15分、20分と続けて、徐々に身体を慣らしていけば良いのだ。

 

——だから、今夜はスマホを置いて寝よう。

眠れなくても良い。目をつぶって、夜の静けさを聴いていよう。