フォトジェニックの午後

 

 

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 出かけよう、出かけようと気持ちだけは焦りながら、だらだら過ごしてしまう日が続いた。トートバッグの中身をリュックサックに移し、思いきって電車に乗った。

 夏への扉で珈琲を飲んだ後、青梅丘陵を少し歩いた。足を止めた東屋から、うっすらと筑波山の輪郭が見えた。煙草も吸わず、本も読まず、ただ風に吹かれてぼーっとしていた。

 

 思いついて途中の駅で降り、多摩川へ向かった。羽村取水堰は、ずっと行ってみたいと思っていた場所だった。

 

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 自分の立っている場所が、とてもしっくりくる瞬間がある。パズルのピースが合うみたいに、自分がその場の構成分子になって収まっているような感覚。一つのピースに過ぎないが、欠かすことのできない存在。いまこの文章を書いていて、「スティル・ライフ」のある場面を思い出した。三月の初め、「ぼく」は雨崎という地名の海辺に出かけ、「岩になるために」身じろぎせず、じっと坐りこんで、雪が海に吸い込まれて行くさまを見ている。

 音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。(…) 雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。(池澤夏樹スティル・ライフ」)

 

 けれど実際に河川敷を歩きながら考えていたのは、ペーター・ツムトアの「空気感 (アトモスフェア)」だった。きっと彼の云う空気感とはこんな感覚ではないか、と思った。

 その場の風と光、「空気感」に自分が合一しているのを感じたとき、ぼくは非常な幸福を感じ、きまって小説を書きたくなった。今日、ぼくは久しぶりにそうした感覚に包まれ、光と影に縁取られたシーンが幻燈のように幾つも脳裡に浮かんだ。それをそっと携えて、帰路についた。冬休み最後の日に、ずっとほしかった天体望遠鏡をもらったような、そんな気分だ。

 

 

 

 

 

空気感(アトモスフェア)

空気感(アトモスフェア)

 

 


Gilbert O'Sullivan - Alone Again (Naturally)