これからのこと

ふがいない院生は空を見た

紅葉の森の満開の下



 隆起した岩畳にかこまれて、目の前を青緑の川水が流れていた。
 抜けるような青空から降り注ぐ日射しは、もう秋の光。向こう岸には黄、橙、赤と色づいた梢が腕を広げ、深緑のままの梢も、そっと佇む。
 そこだけ突きだした岩畳の崖に立ち、水飴のような川水を見下ろした。風が吹き、水面に浮かんだ落葉が小魚のように流れ去る。僕は身震いをした。雪の下に冷やされていたような、硬くて冷たい風だった。強く吹きつけるのでも鋭く肌を刺すのでもないが、からだの奥深くまで澄みわたっていく。山間部と都市部では、風の質感がこんなにもちがう。
 ピッ、と電子音が響き、すぐにシャッターが切られる音がつづいた。振り向くと、デジタルカメラを手にした川井がわらっている。
 僕は川井からカメラを受け取り、つい今しがたまで僕がいた場所に立った川井を、たっぷりとたゆたう青緑の川水を、ところどころ色づいた梢を、薄く透きとおった青空、遠景の山、そこから吹いてくる風、あたりを満たす秋の光を——ぜんぶ、ぜんぶ切り取ってしまいたいと思った。
「……まだ?」
「あ、ごめん」
 後ろ髪を引かれるように、シャッターを切った。川井は照れたようにわらい、僕のとなりにならぶ。
「あっちのほう行ってみようか」
 うなずいて、僕はもういちどレンズの中をのぞきこんだ。上流へ向けると、川上の高い位置に光の球体が浮かび、翳りを帯びた暈が広がっている。しばらく迷ってからシャッターを切り、割れ目のある岩畳の上を慎重に歩いている川井のあとを追った。二〇一七年十一月二十一日火曜日、僕は二十四歳で、風と光にかこまれていた。
 

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 九月の末、僕は強烈な吐き気と眩暈に襲われ、意識を失った。
 最初は食べ合わせが悪かったのだと思った。だがそれからというもの体調はいっこうに良くならず、それどころか悪化の一途を辿っている。
 腹部の不快感、吐き気はもちろんだが、何よりしんどかったのは外出ができないということだった。からだの不調が長引くにつれ、情けなさと不安は増幅し、精神もやつれてくる。せっかく克服したはずの、アパシーがまたやってくる。こういうとき、今までならば山に登ったり好きな喫茶店に行くなどしてストレスを解消することができた。一昨年から昨年にかけてほとんど鬱ともいえる症状に落ちこんだ僕は、深みにはまる前に自発的にデトックスすることの大切さを痛いほど知っていた。しかし今回は、そのデトックスすらままならない。なぜならからだの不調が外出を阻むからで、しかも僕は吐き気への不安から電車を避けるようになっていた。もちろん喫茶店に行くこともできず、いちど無理して行ったときは注文してすぐに気分が悪くなり、ろくにコーヒーも飲まずに席を立った。こうして日々は無為に過ぎ、腹部の不快感と吐き気だけが存在感を増していった。
 そんな最悪な日々のなかで、僕がゆいいつ会うことができたのが川井だった。東京に転校してきて以来、十年以上の付き合いになる川井の前では僕は猜疑心を脱ぎ捨て、弱い自分を見せることができた。川井はただひとり、僕にとってストレスフリーな存在だった。
 だから、他愛もない話をしていたとき、ぽんと「山に行こう」という言葉が出てきた。
 川井は乗り気そうな顔をしたが、すぐに心配顔になった。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ」
 ほんとうはぜんぜん大丈夫じゃなかった。けれど川井が一緒ならば、吐いてもきっとどうにかなると思った。吐き気に対する不安よりも、山に行きたい、山の空気を吸って、体内の空気を入れ換えたい、という思いのほうが強かった。

 現実は甘くなかった。
 待ち合わせ場所である新秋津駅に到着するまでの車内で僕は猛烈な酔いと吐き気に襲われ、混雑した車内でほとんど膝をつかんばかりになっていた。くらくらしながらどうにか改札を出て川井と合流すると、挨拶も早々に僕は謝った。
「ごめん、三峯むりだ」
 本来なら、僕たちは秩父鉄道三峰口駅まで行き、そこからバスと徒歩で三峯神社へ行く予定だった。徒歩を組み入れたのは僕が長時間のバスに耐えられそうになかったからだが、途中で降りるにしてもバスに乗ることにかわりはなく、おまけに下車した後コースタイム二時間半の道のりを歩かねばならない。もともと理想の高い計画だったが、ここまでの電車で早くも心が折れてしまった。
 急遽予定を変更して、三峯ではなく長瀞へ行くことにした。いちおう、こうなったときのために幾つか代替案は考えていた。三峯に行ければそれにこしたことはなかったが。

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 所沢から特急レッドアロー号に乗り、八時五十九分に西武秩父駅到着。歩いて御花畑駅に向かい、秩父鉄道に乗り換える。
『頭ん中御花畑にしてきます』
 行き先を伝えていない家族に写真を送る。こんな茶目っ気のきいたラインを送ったのは、今日の目的、嫌なことをぜんぶ忘れて、脳内を幸福物質でいっぱいにする——を自分に確認するのに、こんなに適した駅名もないだろうと思ったから。
 長瀞駅に着いた僕たちはまず岩畳に向かい、しばらく周辺を散策したのち、寒かったので川下りはしないことにして (僕の体調の不安もあった)、宝登山へ向かうことにした。観光案内所でもらったパンフレットによれば、宝登山にはロープウェイが通っており、それならばいまの僕でも山頂に行くことができる。登山口まで歩いていくことができるのもありがたかった。 

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 道中で土産物屋に寄り、川井は醤油煎餅を買った。焼き上がるまでの間、香ばしい匂いを嗅ぎつつ、お店の女性と話をする。彼女は僕たちのことを大学生だと思ったらしい。平日に遊びにきていて、しかも見た目も幼かったら、そう思うのも自然だろう。いつものことなので、僕も川井も訂正しなかった。……が、「これからテスト期間?」と聞かれ、適当に受け流すことがへたな僕は自分が大学院生であることを説明した。川井は苦笑いしていた。 

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 山頂に向かう前に、山麓宝登山神社へ立ち寄った。こぢんまりとした、でも立派な社殿だった。お守りの揃え具合を見た感じ、どうも金運で有名な神社らしい。僕は病気平癒のお守りを買った。お守りを買うことで、ぜったいに健康になるという自分の決意をかたちにしようと思った。その間に川井はおみくじを引き、広げられたみくじには「末吉」と書かれていた。ひととおりふたりで流し読みしたのち、僕等は来た道をもどった。
 立ち寄った団子屋のおばさんに、「若いんだから歩いて登らなきゃ」といわれた。いつまでも大人になれない僕は、ついむっとして「病気なんです」と返してしまった。おばさんは少し気まずそうな顔になり、「なら仕方ないね」と下を向いた。
 川井がトイレに行っているあいだ、僕はスマートフォン宝登山登山のコースタイムを調べた。二時間三十分。とても無理だ。溜息をつき、ポケットにしまう。川井がもどってきた。
「いま、宝登山のコースタイムを調べてたんだけどさ」
「うん」
「二時間半だって。悪いけど、やっぱロープウェイじゃないと無理そうやわ」
「けっこうかかるんだね。まあ、予定どおり乗ってこう」
 二時間半。健康なときなら、なんてことない、むしろ楽な部類に入る登山だ。それなのに、いまの僕にはその二時間半が遠い——いや、重い。途中で気分が悪くなったり吐き気に襲われたりすることを思っただけで、足が竦んでしまう。
 悔しかった。さっきのおばさんの言葉も、川井に迷惑をかけてしまうことも、何より大好きな登山もろくにできないことが……。僕はもういちどスマホを取り出し、宝登山のコースタイムを調べた。
 意外な数字が目に入った。
「登るのにかかった時間、五十分?」
「どうした?」
「いや……」
 個人のブログで、ちょうどいま僕たちのいる麓から登ったひとが、山頂までにかかった時間は五十分だと書いている。おかしい。さっき見たページでは二時間三十分と書かれていた。僕はほかのひとのブログも見た。一時間弱と書いてあった。
「……さっき、二時間半っていったけど、勘違いだったみたい。いま見直したら、そのひとのはいろいろ縦走する複雑なコースだった。こっから登るだけなら、一時間弱で行けるみたい」
「おっ、じゃあ登ろうぜ」
 返事をするのに、少しだけ時間がかかった。けれどこたえはもちろん、
「よっしゃ」

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 体調を崩してからはほとんど外出しておらず、著しく体力が低下していたため休み休み登った。途中、吐き気に見舞われもしたが、なんとか五十分ほどで登りきった。

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 低山ながら、山頂からは山々の襞、荒川まで見わたせ、かなり気持ちが良かった。秋冬は空気が澄んでいるから遠くまで見通せるし、何よりもこの光の屈折、少し翳りを帯びた日射しに透かされた景色が僕はたまらなく好きだ。
 そう、僕はたまらなく幸福感を感じていた——ドーパミンが脳内で弾けているのがわかる。清澄な光と空気にさらされ、自分が深奥から浄化されていくのが感じられる。そして自力で山頂に立てたことの達成感……。久々に山の喜びを味わい、僕は体内に溜まったガスが、毒が、蒸気となって抜けていくのを感じた。
「いい眺め」
「うん」
 色づいた山の頂で、僕たちはほとんど何も喋らずに立ちつくしていた。そうしてどれくらいの時間が経っただろう。急に目が覚めたみたいにはっとすると、お互いの姿を写真に収め、ロープウェイ乗り場に向かった。汚れた窓ガラスの向こうに、今までいた場所が遠ざかっていく。ロープウェイは僕等が五十分かけて登った道を、たった五分で下り終えた。……

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 麓に降りた僕等は坂を下り、岩畳の近くの食事処で蕎麦を食べた。食後、胃酸を抑える薬、胃腸を広げる漢方、咳止め……と数々の薬を飲んでいると落ちこみそうになったが、これからの予定を考えることでどうにか頭を切り換える。
 パンフレットに載っていた紅葉山公園が気になると川井がいうので、僕等は線路伝いに道を進み、公園まで歩いていくことにした。

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 紅葉の森の満開の下。木漏れ日までが紅に染まり、散り敷いた地面もほんのり発光する。頭がぼーっとなるような光景で、僕等は息をつき、ただぼんやりと佇んでいた。
 紅葉は、冬の訪れに伴う日照時間の減少と気温の低下が光合成の効率を低下させ、落葉樹が休眠のために養分の往き来を遮断することによって生じる。養分が供給されなくなっても蓄えられていたクロロフィルによって葉っぱは光合成をしグルコースを生産するが、幹とのあいだは遮断されているのだから、当然それを送ることもできない。そこで行き場を失ったグルコースが葉っぱを紅葉させる。たとえば桜の開花が気温の上昇と日光による向日性の現象だとするなら、紅葉は背日性の現象なのだ。そこに僕はシンパシーを感じる。桜の季節は僕を後ろめたくさせるが、くっきりと、あるいはほのかに色づいた秋の梢は、これ以上ない安らぎを僕に与える。

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 公園から川のほとりに降りていくことができた。岩畳周辺のゆったりした流れとは異なり、浅瀬に勢いを得た波が白く頭をもたげている。僕等はできるだけ平らな石を見つけ、水切りをした。川井の投げた石が、トトト、と水面を跳ねていった。……


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 西武秩父駅前に新設された「祭の湯」に浸かり、予約していた十六時二十五分発のレッドアロー号で帰途についた。
 心地良い眠気に揺られながら、自分を包んだ風と光と、満開の紅葉とを思い返していた。そして、となりで目をつぶる川井を見た。
 往きの電車、登山中、食後、温泉で——たびたび腹部の不快感は高まり、吐き気の予感がかすめた。しかし僕のとなりには気の置けない友人がいて、目の前にはただ時間とともに流れる自然があった。だれの顔色をうかがうこともなく、傾斜に沿って流れるだけの川があり、季節とともに腐食する葉っぱがあった。僕は槍ヶ岳に登ったときのことを思い出した。
 あのときも——自然はそこにあって、僕はその肩を借りているだけだった。屹立する穂先を前にあらゆる言葉は失われ、僕等はただ息を飲むことしかできなかった。池澤夏樹は書いている。「(…) 百万の言葉を組合せても、一本の木も作れない。だからぼくは、さっき書いたとおり、夕焼けを見ても言葉をもてあそばず、ただ精一杯の感激をこめてため息をつけばそれでいいのだ。」(『夏の朝の成層圏』)
 自然の圧倒さの前では、僕は言葉の殻を脱ぎ、全身で外気に触れることができた。もつれあった日々の糸を撚りなおし、ピンと背筋を張ることができた。そして改めて張り直さないといけないほど、僕はがんじがらめで、自分でもわからぬうちに息ができなくなっていた。


 無理を押して出かけてよかった。きょうのことを、いつまでも忘れないでいよう。
 車窓の景色は流れ、巻き戻しみたいに流れ……朝に来た道を帰っていく。シートにもたれ、目を閉じた。明日から、また終わりなき日常が始まる。それも、不快で吐き気を伴った日常が……。けれど何もかもゼロになるわけではない。たとえばそう、これからの日々、まなうらにはいつだって——満開の、紅葉の森。