熊の目



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 熊がいたよ、と佐伯さんはいったのだった。お盆も終わるころ、ぼくと川井は重いザックを背負って奥多摩湖畔のバス停に降り立った。南側から樹林帯を登る、鴨沢ルートと呼ばれる道程で、ぼくたちは雲取山に登り、山頂の近くの山小屋で一泊する予定だった。実際、ぼくらはほぼコースタイム通りに山頂に到達し、午後三時半に山荘に入った。六時の夕食のとき、隣に居合わせたのが佐伯さんだった。
「若いのに山の楽しさを知っていて羨ましい」
 佐伯さんは友人と来ていて、見たところ同学年のそのひとは缶ビール一本で酔っ払い、専らそのひとが話すことを佐伯さんが説明した。鴨沢とは反対側の三峯から登ってきたというふたりは関東近郊の山々を登っているらしい。山を始めたのは退職してからで、若いぼくと川井が羨ましいと何度もこぼした。その佐伯さんが翌日、下山して向かった温泉の脱衣場に立っていたのだ。熊がでたのは、ぼくたちも通った七ツ石山の巻き道だという。佐伯さんは六時に下山を開始している。バス停に降りた時間を考えても、熊に出くわしたのはぼくらがその道を通った三十分より前ということはないだろう。
 七ツ石山は雲取山に登る途中にある標高一七五七メートルの山だが、ぼくと川井は初日、ここで昼食をとろうとしてスズメバチの襲来に遭った。湯を沸かすためにバーナーに点火したところで偵察が現れ、いや、偵察というにはあまりに攻撃的だったから、この言い方は不適切かもしれない。執拗に攻撃を仕掛けてくるそいつを追い払っているうちに数が増え、最終的には五、六匹に襲われて這々の体で逃げ出した。そうした記憶も新しく、また雨だったので寄り道する気にならなくて、ぼくたちは下山では巻き道を選択した。その分岐点の少し行った先、そこに熊が出没したというのだ。佐伯さんの話によると、体長は少なくとも一メートル五十はあったらしい。最初に佐伯さんが気づき、あっと声をあげた。同行者は気づかないで足を進めかけたが、佐伯さんの静止に立ち止まり、前を向いた。そのとき人間と熊の目はあったのかどうか。熊の小さな瞳に、あっと口を開けた佐伯さんとその同行者の姿は映ったのだろうか。
 湯船に浸かりながら、ぼくと川井は「惜しいことをした」と話し合った。ぼくは山を登り始めて二年が経つ。熊がでるといわれる山にも随分登ったが、まだ見たことはない。ぼくとしか山に登ったことのない川井も、もちろん熊に会ったことがなかった。それが、たった三十分早ければ見られたかもしれないのだ。
 あるいは、下山はずっと雨だったから、俯きがちに歩いていたぼくたちが気づかなかっただけなのかもしれない。足元に集中しつつ歩くぼくらの傍らには、じっと息を止める獣が潜んでいたかもしれない。……そう考えてみるのだが、気休めにしかならない。
 もっとも、こんなふうに思えるのも当人ではないからで、ぼくらの立場は喉元過ぎればというやつに似ている。当然、佐伯さんは怖かっただろう。ツキノワグマはさほど攻撃的でないとはいえ、仮に敵と判断されれば、その強靱な脚力と腕力にかなう人間はいない。一昔前は死んだふりをすれば逃れられるといわれていたが、最近では逆に危険が高まるといわれるようになった。最善策は、相手から目を離さず、じりじりと後ろ歩きで後退していくことだ。もし相手が襲ってくるようであれば、ザックを囮に逃げるのも効果がある (とされている)。だがそれが現実となったとき、果たしてどれだけの人間がこれを実践できるか。
 話は一昨年に遡るが、初めて川井と山に登ったとき、あれは秩父武甲山だったが、登山口で会った地元の登山客がこんな冗談を言った。もし熊と遭遇したとき、どうすればよいか。それは複数人いた場合、ひとりが囮になることである。だから秩父の山に登るときは、あらかじめ囮役を決めておけばよい。
 川井は格闘漫画を読んできたからだいじょうぶだと言ったが、もちろんだいじょうぶではない。だからといってぼくが囮になっても生き残ることはできなさそうで、けっきょく、遭遇しないことを祈るしかないのだった。熊鈴にどれほどの効果があるか。それもさっきの場合と同じで、はなはだ頼りないと言うほかない。
 そんなぼくなのに、佐伯さんから熊がいたと教えられたとき、「惜しいことをした」と思ったのはなぜだろう。既にそこが安全な下界であったからか。あるいは。
 あるいは、今回の登山がスズメバチに襲われたぐらいで鎖場もなく、安全だったせいかもしれない。山に登るのはなぜか。いろいろな答えがあると思うが、ぼくの場合、けっきょくのところ生命力の昂進を感じたいからということになりそうだ。鬱状態に陥っていた去年の夏、表銀座縦走を企てて槍ヶ岳まで行き着いたとき、そして槍の穂先を登ったとき、あれほど生きたいと感じたことはなかった。槍ヶ岳登頂を機に、ぼくの鬱はぱったりと消えた。ぼくはこのために、山に登っているのではないか。
 湯上がり、同じ脱衣場で、今度は見知らぬおじさんに話しかけられた。ぼくの着ているシャツを見て、「涸沢に行ったんですか」と聞く。まさしくぼくは涸沢に登ったばかりだった。おじさんは何度も涸沢に行ったことがあると言い、この盆休みは三日間、多摩川の河原でテント泊をしていたのだと語った。昨晩、雨が強まり川水が茶色の濁流となって際まで押し寄せてきたので、夜中にあわててテントを畳んだらしい。なにか温かいものが食べたかったが、奥多摩のコンビニは深夜はやっておらず、自販機もすべて「つめた〜い」だったため、カイロで缶コーヒーを温めて飲んだ。「サバイバルですね」とぼくは感心しながら、佐伯さんが見たはずの、熊の目のことを思った。山に生きる獣の瞳には常に死と隣合わせの静けさが、目があったものを一瞬で引き込んでしまう世界が映っていたかどうか。もっともこんなことを考えるのもぼくが当事者ではないからで、単に佐伯さんは怖いと思っただけかもしれない。あるいは怖いと思う間もなく、ただ総毛だっただけかもしれない。そのとき、熊の毛は逆立っていたかどうか。ぼくと川井が沈黙のうちに過ぎた雨の樹林帯に、その獣は息を潜めていたかどうか。そんなことを考えながら、ぼくは建物を出た。細い雨が柳のように降っている。北の空で稲妻が光った。


08/19 Sat.山行から3日が経って