まさかのB面『僕の村は戦場だった』

 

テクスト論的にいえば、作品は読まれないと存在しない、ひっくり返せば読まれることによって初めて存在するわけで、だからいかに作家が作品に厳密な意味を規定しようと、読者はそれをどのように読んでもいいし、また読むべきである。作品は作家の手にあるのではなく、読者との相互関係の中にあるのだ。

ということは、もちろん映画でだって、鑑賞者はそれをどのようにも見ることができるはずである。だからたとえその作品が世界的映画監督アンドレイ・タルコフスキーの処女長編『僕の村は戦場だった』であろうと、鑑賞者であるぼくはそれをどのように見ても、たとえばB面から見たとしてもまったく問題はないはずだ。

 

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(ぼくはふだん大学図書館で映画を観ている。『僕の村は戦場だった』はLDで、両面だった。恥ずかしながらそれまでLDの存在をまったく知らなかったぼく、適当に機械をいじってるうちに、なぜか2面あるうちの後半部、便宜的にA/Bと分けるなら、そのB面のほうから見始めてしまったらしい。しかもぼくは映画を見終わるまでそのことにまったく気づかなかった。つまり、B面を見ただけでは気づかず、その後にA面まで見て、すなわち前後逆ながら全篇通して見て、やっと気づいたのだ。これはすごいことだと思った)

 

僕の村は戦場だった』は第二次世界大戦中、ドイツ軍によって両親と妹を殺され、村を壊滅させられた少年イワンがソビエト赤軍の偵察部隊となって敵陣に侵入していく……という筋で、いつ射たれるともわからない緊迫した戦場場面とまだ村がドイツ軍によって破壊されておらず、家族も健在だった頃のイワンの幸せな記憶とが交互に差し挟まれることによって独特の抒情、空虚を身につけている。例によってWikiを参照してほしいのだが、ぼくが冒頭だと思って見始めたのはWikiだと「翌日、司令部から〜」とあるところ、ホーリン大尉がイワンを迎えに来る場面からだった (たぶん)。つまりぼくはイワンやホーリン大尉、ガリツェフ上級中尉の背景や関係性がまったくわからないままB面 (ホーリン大尉が迎えに来てから終幕まで) を見たわけで、でもこうした手法、登場人物の情報を与えずに淡々と観せていく手法は珍しくないから、そういうものだと思ってとくにおかしいとも思わなかった。ましてやA面 (と見ている時は気づかなかったが) で彼らの背景や関係性が少なからず説明されるのだから、ますます得心がいったのだ。

本来、映画はベルリンに進軍したガリツェフが処刑された捕虜のリストにイワンの姿を見つけた後、イワンの幸せな過去——川辺で妹と追いかけっこをしている——が映し出され、このシーンの最後で手を伸ばしたイワンの目の前に木が立ちふさがり、大写しとなって彼の行く手に立ちふさがるところで終幕を迎えるのだが、ぼくはB面から見てしまったので、A面の最後、確かここでもイワンの過去パート、「井戸」のシーンだったと思うが——でこの作品を見終えてしまった。

さすがにぼくも「あれ?」と思ってディスクを確認し、もういちど起動させたことで自らの過ちに気づいたのだが、ここでぼくが驚いたのは自分のまぬけさにではなく (もちろんそれも多少はあるが)、むしろそれでも成立してしまうこの作品の強度、またそれでも楽しめる鑑賞の自由度のほうだった。

もちろん、それこそ冒頭に用いたテクスト論では内容にも優って形式が重視されるので、タルコフスキーが最善としたシーンの流れを逆さまに組み替えるのは「最善」の鑑賞法ではないのかもしれないけど……。ふだん神経症的で絶対に「正しい」順序でないと読めない/見れない、たとえばマンガにしても一巻からでないと読めないぼくにとって、こうした恣意的な、……いや、場当たり的偶然的な受容のしかたがあるとは衝撃的だった。確かに木がイワンの前に立ちふさがって暗い未来が暗示される本来の終幕のほうがキマッているにせよ、B面から見たぼくにとっても『僕の村は戦場だった』はきわめてリリックで見る者を茫洋とさせる作品だった。ましてやこんなへんてこな出会い方をしてしまった以上、この作品はもはやぼくにとってただの作品ではありえない。

 

くどいようだが、ぼくは一部でとても神経症的な人間で、だから本もきっちり読まなくては気が済まず、少しでも引っ掛かったり理解できない箇所があると何度も読み返したりするのでぜんぜん進まない遅読の人間だ。読みたい本/読まなくてはならない本はごまんとあるのに、遅読のせいでぜんぜん追いつかない……そんなふうに気に病んでもきた。でも今回の出会いをキッカケに、受容にもいろいろなしかたがあるのだと、まただからこそおもしろいところもあるのだと実感できたので、不器用な遅読一辺倒ではなく、読書のしかたにも幅が持たせられるようになれたらいいなと思った。*1

 

 

 

*1:読み返してみたら、末尾の一文が完全に小学生の作文。院生にもなって未だにそのフォーマットから抜け出せていないのはハズイと思った。自戒を込め、あえて残す。