バイトいやいや月間⑪⑫⑬⑭

 

3/20 (月) 春分の日

 

「きょうは塾ないよ」「ほんとですか!?」ぼくは歓喜に打ち震えた。塾が無い!「うん。祝日だからね」「ということは、もちろんぼくは行かなくていいですよね」「もちろんだよ……なーんてね」「え?」「そんなわけないじゃないか。祝日だろうと塾はあるよ」「どっちやねーん!」

という悪夢で目が覚めた。寝る前から「もしかして明日塾ないんじゃないか?」と期待していたので、それが夢に出てしまったらしい。

実際のところはどうなのだろう。ぼくは無意識のうちに祝日だろうと大雨警報が出ようと塾はあるものと考えていたが、おとといA校で社員が話していたのを耳に挟んだ限りは、どうやらA校は休みのようだ。それではきょうぼくが行くB校は? やっぱりA校が休みなのだからB校も休みだろうか? うーん……

A校の塾長にラインで聞こうかと思ったが、嫌いな塾長に借りを作るようでいやだし、そもそもほかの校舎のことは知らないかもしれないので無難にB校の塾長にメールを送ることにした (B校はヘルプで行っているためラインは知らない)。

が、一向に返事が来ない。もし授業があるとしたら、15時には家を出ないといけない。果たしてどうするか。悩んだ末、校舎に直接電話してみることにした。といっても塾という職場の性質上、あまり早くに電話しても誰も出社していないだろうことは予想できたので、14時になるのを待ってからコールする。プルルルル……出ない。しかし大学時代の友達で塾に就職したKはふだん14時半に出社すると言っていたし、単にまだ誰も来ていないだけかもしれない。15時に再びコールする。……出ない。16時……出ない。16時半……出ない。このあたりでようやくきょうが休みだと確信することができた。

あるかもしれないと思っていたバイトがなかった。そのことがわかってぼくは喜んだか? ……確かに喜びはしたが、その前にほとほと疲れ切っていた。というのはこの日ぼくは朝からずっと祈り続けていたからで、特に校舎に電話しているときは「出るな……誰も出るな……」と心臓が張り裂けんばかりだった。最初から100%あるとわかっていたら諦めもつくが、1%でも「きょうバイトないのでは?」と思ってしまうと途端に行きたくなくなる。これは泳げない子どもが霧雨の日に「きょうプールありませんように」と祈ったりすることと似ている。あるいはもっと普遍的なのは、大雨の日に祈る「きょう学校ありませんように」か。

とにかく最初からあるとわかっていれば観念するんだけど、少しでも「ないのでは?」と期待してしまうとものすごく行きたく/やりたくなくなる。「神様、どうか学校がありませんように」とふだん信仰に疎いくせに急に祈りだしてしまう。少なくともぼくは突然祈りのことばを唱え始める。

というわけで、春分の日、祝日である3/20もぼくは朝から祈り続け、結果めでたく塾はなかったものの、そのとき既に祈り疲れていたのであった。揺れ動く心理に疲弊し切っていたのであった。というわけでこの日はせっかく降って湧いた休みだったにもかかわらず、ものすごく疲れた。もちろん何もできず、どこにも出掛けられなかった。

 

 

3/21 (火)

 

B校でのバイト。いつも通り。恙なし。

 

 

3/23 (木)

 

A校でのバイト。授業後、小○のテスト採点を頼まれる。(時間外労働だろこれ) と思いながらかえって採点しやすい悲惨な解答用紙を採点。「ほんとはデータ入力までやってほしかったんだけど、もうミーティングしたいからそこに置いといて」と塾長に嫌味を言われた後 (チッ)、初めて顔を合わせる社員の方と挨拶してからミーティング開始。内容は今度始まる春期講習について。「みなさんお忙しいと思うんでさっと終わらせます」ということばとは裏腹に、特にこれといった連絡事項もないのに塾長はムダに話を引き延ばし、けっきょく30分近くかかった。帰りの電車で優先席に座っていた酔っ払いがゲロる。扉にもたれて本を読んでいたぼくはさりげなく次の駅で移動。けっこうケポケポやってたので隣に座ってたひとはたまったもんじゃないと思うんだけど、次の駅に停まるまで立ち上がらなかった。なんていうか、こういうところってほんと日本人だよなと思う。

23時過ぎに帰宅してのち、親が用意してくれていた晩ご飯を食べ、さっと洗い物をし、さっと風呂に入った。この日は24:30にキックオフだった。ずっと前から楽しみにしていたワールドカップ2次予選、日本対UAEの一戦である。私的MVPは前線で的となり、いかんなくキープ力を発揮していた大迫。次点はビッグセーブで流れを譲らなかった川島。今野と久保もよかった。吉田も見違えていた。酒井宏もさすがマルセイユで活躍するだけあるなと思った。

 

 

3/24 (金)

 

大学の友達で親友 (とぼくは思っている) のSと登山。この楽しみがあったからやってこれた。近々レポを書きます。

 

 

3/25 (土)

 

朝、起きたときから筋肉痛だった。しかも昨日山から帰ってきて飯を作る元気もなくベッドに倒れたので空腹だった。が、特に食べたいものもなかったので文旦で間に合わせた。八朔とグレープフルーツのあいだみたいな柑橘類で、皮も比較的向きやすく、おいしい。最近の我が家は暇さえあれば文旦を剝いている。

さて、きょうからいよいよ春期講習だった。15時前に出社し、予習をした後19:30まで授業。塾長から生徒の保護者に電話するように言われる。この塾は保護者への電話を多くすればするほど向こうから信頼してもらえると考えているので、特に何も用がなくても生徒を帰した後に電話をするように口酸っぱく言われる。ふだんは適当にごまかして怠っていたぼくだが、今回、春期講習が終わるまでにすべての家庭に連絡するようにと命令されてしまったので、しかたなく2件だけ連絡した。しっかし、ぼくはほんとうに電話がへただ。その上「生徒のマイナス面は言うな。保護者を苛立たせるから」と塾長から釘を刺されているので、たとえば最近ちょっとうるさいとか、集中力が切れているからお宅でも話し合ってみてくれとかいうことも言えない。我ながら拙い電話であった。『ドラえもん』で行状がだらしないのび太を改心させるために、ドラえもんが自分の言動を客観視させる道具でのび太を青ざめさせる話があったが、もしそれで自分の電話のようすを見させられたらぼくはきっと顔を赤らめる。電話力だけでなく、コミュ力も足りないなあ、と思った。あと社会経験も。

本来、春期講習のあいだはずっと同じ先生がそのクラスを担当しなければならないのだけど、事前に26日 (日) は無理だと言っていたので明日はぼくのクラスはほかの先生がやってくれることになっていた。代講してくれるおっさんの先生に授業範囲を説明する。3分で済むことなのにいちいちわかりきっていることまで言ってくるので、打ち合わせが終わりC先生が別室に消えた途端「チッ」と舌打ちして「鬱陶しい……」とこぼしていたら、誰もいないと思っていた背後にD先生がいた。D先生はまだ若い社員の方で、ぼくはこの校舎でゆいいつ好感を持っている。D先生は聞こえなかったふりをしてくれて、ぼくはほっと胸を撫で下ろした。ふだん猫をかぶっていることはバレてしまったかもしれないが、まあどうでもいいや。というか、もうすでにバレてしまっているかもしれなかった。いまこの文章を書いていて思い出したのだが、この前も塾長に「マスクってどうしても外せない? 無理にとは言わないけど」と嫌味な言い方をされ、「すみません、花粉症なんで無理です」と言って最初から最後まで着けっぱなしでいたことがあった。たぶん、ぼくが多少生意気なやつだというのは向こうも気づいているだろう。まあ実際、ぼくは多少生意気である。教育実習のときはある教師に誰もいない保健室に連れて行かれ、「おまえは生意気だから一回社会に出てへし折られろ」と脅された。(そしてそのことを最終日の飲み会での挨拶で暴露し、当人を慌てさせた)

……と、ここまで書いて、書いてきた内容とは逆に、「もうちょっと大人にならないとなあ」と思った。反抗したくなっても内心で「くだらね」と思いつつ「はい!」と従える大人にならないと。

ここのところあまりに疲れてブログに書けていなかった分を一気に書いた。少しすっきりした。さあ、あとは読了したのに書けていない本の感想と登山レポ、小説を書こう。

 

バイトいやいや月間は少しずつ終わりが見えてきた。(つづく)