バイトいやいや月間④

 

3/9 (木)

 

きょうは考えるべきことがたくさんある。

ぼくは昨晩深夜4時半に寝入ったせいもあって陰鬱な気分で目覚めた。10時前だった。陰鬱な気分だったのには少なからずきょうがバイトであるということも関係していた。寝たら明日が来てしまう。明日はバイトだ——といったふうに。

目覚めてからもまったく起き上がれなかった。けっきょく14時までベッドのなかでスマホをいじっていた。久々のメイン校舎勤務だからか、きょうから3連勤だからか——とにかくバイトに行きたくなかった。けっこう本気でこのまま連絡せずにトンズラしてしまおうかと思った。

が、根が真面目なぼくは14時にどうにかからだを起こし、YouTubeで将棋実況やラーメンズのネタを見たりしながらインスタントつけ麺を食べ、30分ほどうとうとしてから出社した。

 

考えるべきこと① バイトに対する意識を変える必要がある

ぼくはまったく根性のない人間で、部活もサークルもバイトもろくに続かず、どれもせいぜい1年ほどでやめている。家庭に恵まれたおかげか、生まれた時からぼくにとっていちばん落ち着く場所は家であり、また生活の中心も家であった。かつて恋人がいた時でさえこれは揺るがなかった。恋人と会って家に帰るのが遅くなる日が続くとぼくは不安になり、次第に恋人の顔を見るのさえいやになった。

なので今の、バイトが (定期的に) 組み込まれた生活にはうんざりしている。うんざりというか、落ち着かない。たとえば18:30からバイトがあるとする。実働時間は3時間で、遅くとも22時半には退社できる。24時間のうちの4時間。たった1/6だ。

でもぼくの場合は違う。18:30からバイトがある。そう考えただけで何もできない。落ち着いて本を読むこともできなければ、遊びに行くこともできない。たとえ18時半からであろうが19時半からであろうが、実働が3時間であろうが、ぼくにとってそれは〈バイトの日〉である。〈バイトの日〉。それはバイトがあるというだけの日で、ほかのことは何もできない日だ。

退社して家路につきながら、このバイトに対する強迫観念にも似た意識を変えなければいけないと思った。つまり、〈バイト〉を生活のなかの当たり前の要素として捉える。それが出来なければせめて、〈バイト〉を日常とは切り離して考える。18:30からの3時間だけ別の時空へ行くと考えればいい。

極端な話、仮にバイトが18:30からなら、朝5時に起きて奥多摩の山に登ってから出社することも可能なのだ。いやさすがにそんなことはしないけれど、でも行きつけのカフェで本を読んだり近くで映画を観たりしてからバイトに行くのはぜんぜん可能だろう。とにかくこのままの意識でいるとしんどすぎる。今月は少なくとも週4でバイトがあるのに。それに出社までうだうだ悶えている時間がもったいない。意識を変えよう。

 

考えるべきこと② バイトがもたらしてくれるもの

ぼくは大学院の学費を払うためにバイトを始めた。つまり必要に迫られて働いているわけだ。上にも書いたようにすっごい嫌だが、しかし必ずしも悪い面ばかりではない。まず、お金を使うことに対する罪悪感がなくなる。お年玉でもらったお金を崩していたときのような心苦しさはなくなった。そしてこれは大事なことだが、精神のバランスが保たれる。これだけ嫌だ嫌だ書いてきて矛盾しているようだが、バイトを始める前、プーの大学五年生として日々を暮らしていたときのぼくは自己否定感が跋扈し、精神はだいぶ荒みきっていた。何のために生き延びているのかがわからず、何の活力も湧かなかった。大学院進学が決定したこともあるが、いまのぼくは将来の希望 (文章で名をなす、もしくは教授になる) に胸を明るくし、読書や執筆も依然と比べたら旺盛である。

きょうだってバイトがなければ一日中だらだらしていただろう (もっとも、バイトがあったから行動に移れずだらだらしていたのかもしれないが)。無駄に費やしてしまう一日も「少なくとも労働した (金を稼いだ)」という日にしてくれる。バイトにはそういう面も確かにある。

 

考えるべきこと③ こうして歯車の中へ

きょうは塾長が休みだった。生徒が帰った後、社員の方と少し話をしたのだが、塾長はぼくのことを評価してくれているらしい。社員の方にも「授業うまいよね」といわれた。お世辞だとは思うがうれしかった。そしていまぼくが担当しているコマのために雇われたバイトが何人か立て続けに辞めていったことを教えられた。集団指導に耐えられなかったり塾長と馬が合わなかったりしたらしい。○○先生 (ぼくのこと) はまじめにこなしてくれていて助かっているといわれた。こうして人間は組織に組み込まれていくのだなと思った。

 

考えるべきこと④ ぼくはウエルベックが好きだ

とはいえ文学の徒として頑なに反骨心は持ち続けたいと思う。ぼくの本業はあくまで学生、文学だ。履き違えないように。

 

(授業はまあ無事に済んだ。バイトいやいや月間はまだまだ続く。)