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これからのこと

ふがいない院生は空を見た

空が青い

 

空が青い。卒論が終わったのだ。

 

卒論。ここのところずっと、僕はこれに苦しめられてきた。(死にたくないけど) 死にたいと毎日のように思い、煙草の吸い殻は積もり、髪はボサボサで肌には至るところにきびができた。でもようやく、それも終わったのだ。

 

(徹夜明けの目に空は眩しくて、光はレースカーテンのように透明だった。僕は大学の喫煙所でアメスピを吸い、これで終わるのだ、と思った。製本が終わるのは午後三時。それまで何をしよう。とりあえず図書館に行って、ゆっくりしようか。ああでもお腹空いたな。麺珍って何時からやってるんだっけ? ……ああ、十一時。それならやっぱり今から図書館行って、ちょっとぼうっとしてから食べに行こうか。ほんで食べ終わったらまた図書館行って……

 

できばえに納得はしていない。やはり後半、時間が足りなくなって急がざるを得なくなってしまったのが痛かった。でもこれは言い訳だ。あれだけ時間があったにもかかわらず、ギリギリまでだらけていたのは自分なのだから。しかしともかく、卒論は終わった。

 

(やっぱりW盛は多かったなあ。つい勢いで注文しちゃったけど。これからどうしようか。図書館行こうと思ってたけど、なんか珈琲飲みたくなったな。久しぶりに西東詩集行くか。……ってなんだ、やってないじゃん。しかたない、おとなしく図書館行こう。無性に煙草が吸いたくなって、図書館奥の喫煙所でアークロイヤルを吸った。苦い。あれ、こんな苦かったか? 喫煙所には僕のほかにおっさんと女学生がいた。……このおっさん、だいぶ後頭部キてんなあ。煙の形かっこいいなあ。どうしたらこんな柱みたいになるんだろ。にしても最近珈琲飲みながら煙草吸う人多すぎじゃね? 女学生は何吸ってんだろなあ。ピースとかだったらかっこいいなあ。

 

終わった。終わった? ほんとうに終わったのだろうか。確かにこの後、製本してもらったのを受け取って大学に提出するだけだ。見落としがないか何度も確認したし、おそらく問題なく受理されるだろう。にもかかわらず、ぜんぜん解放感がなかった。たとえば院試が終わったときのような、さあこれからはなんでも好きなことやるぞ! という昂揚感がぜんぜんない。

そう。僕は来春から大学院に行くのだ。働きながら、通うことになる。ここに落ち着くまでには色々あったが、とにかく僕は院試を受け、そして合格した。卒論が無事受理されれば、院生になることも確定する。……でもさ、これってほんとにハッピーエンドなの?

 

(僕は詩集の棚へ行き、『氷見敦子詩集』と『荒川洋治詩集』を手に席へ着いた。なんとなく、今なら氷見敦子の詩がすんなり入ってくる気がしたのだ。巻頭の詩を読んだ。男の腕のなかで眠る女の、生まれる前の闇へと深く潜っていくイメージ。耳の内側で不気味に響く水の音。口から吐き出される蜥蜴。……ダメだ。相変わらずぜんぜんわからない。これを読んだのは大学二年生のときだっけ? 蜂飼耳の随筆を読んで、「日原鍾乳洞の『地獄谷』へ降りていく」が読みたくなって借りたのだった。確かにいちばん印象的な詩で、いまも記憶に残っている。……でも僕は本を閉じ、『荒川洋治詩集』に向かった。寝不足で疲弊しきっていて、一ミリたりとも頭を使いたくなかった。詩人 (現代詩作家って書かないと怒られるんだっけ) が大学生のときに書いたという『娼婦論』の詩を読む。あかん、これ頭使わな読まれへんやつや。ずっと読んでみたいと思っていた『水駅』に移る。ああ、いい……けど、やっぱちゃんと頭働くときに読みたいな。そう思ってぱらぱら本をめくっていたら、後ろの方にエッセイが収録されていた。テレビ番組についてのエッセイを読む。荒川さんらしいとぼけたような、でも時々ハッとさせる文章が書かれていて、少しだけ明るい気持ちになった。

 

もちろんエンドではない。なぜならこれからも人生は続いていくからだ。たとえば、二年後には修士論文がある。卒論でさえこのザマなのに、修士論文なんて書けるのか? また死にたい死にたいって思うんちゃん? ていうか、これまでレポートのときだって死にたいもう無理やほんま自分死ねって思ってたやん。なんていうか、卒論終わったはいやったーではなく、もっと根本的に自分直さなこの先一生苦しいんちゃうの?

 

(いつの間にか眠っていた。二時間くらい寝ていたようだ。時刻は午後二時。製本が出来上がるまであと一時間だ。なんか適当に本でも借りよう……と思うのだが、まぶたを開けておくことができない。ダメだ、とにかく眠い。頭が働かない。頭が働かなくても読める本が読みたい、と思うが頭が働かないから何にも思いつかない。ふわふわしていて……でも抽象度は高くなくて……幻想とか、そういうのはいいから……いしいしんじ? ダメダメダメ。そういうふわふわちゃうねんて。もっと読みやすい、ほんで癒やされるような……池澤夏樹? ええかも。『スティル・ライフ』とか『キップをなくして』とか、そんな感じの小説ないかな……『マシアス・ギリの失脚』……はちゃうやろ。それはもっと満を持して読まなあかんやつやろ。……うーん、難しいな。こうなったら保坂和志でも読むか。『プレーンソング』の続編なんやったっけ? 『草の上の朝食』? うわっ、『カンバセイション・ピース』ってこんなぶっといん? ムリムリムリ今はムリ。『この人の閾』とかないかな……ないなあ。

 

僕はたぶん、気づいてしまったのだ。僕を苦しめているのは環境ではなく、自分自身であるということに。この調子で期限が迫るたびに死にたくなってたら、体が持たないということに。一生苦しいままだということに。

 

(けっきょく借りる本が思いつかないまま、時間が来て製本屋に受け取りに行った。「三時以降に来てください」といわれていた。製本屋の前まで行くと、おそらく僕と同じ身の上だろう、学生がたくさん待っていた。時刻は二時五七分。え、まだできてないん? 店に入ると、普通に受け取れた。僕が受け取った卒論片手に店から出ると、それまで店の前に固まっていた学生たちが続々入店していった。日本人かよ。というか、僕と同じようにギリギリになって駆け込んだ学生もけっこういるんだ。がんばれよ。みんな無事、受理されたらいいな。大学では提出部屋が設けられていて、横一列に並べられた机の両側に椅子が置かれ、マンツーマンで学生に対応していた。「学部、所属はどこですか?」と聞かれ、数秒、答えられない。案内された席に座り、たったいま製本屋から受け取ったばかりの卒論を渡した。表紙に書いてあるページ数と総ページ数が一致していないことについて突っ込まれる。あ、このページ数は本文のページ数で、表紙とか目次はカウントしてないんです。ご丁寧に一ページずつ数え直しはって、事なきを得た。受領書にサインし、審査済みの印鑑を押してもらう。「お疲れ様でした」。ありがたいと思いつつ、ろくに返事をすることもできなかった。

 

でも、そう簡単に自分が変われるはずがないということにもまた、気づいてるんだよなあ。というか、この先いったい僕はどうなるんだろうね。院生の間はいいとしても、その後就職できんのか? またできたとして、社会人としてやっていけるのか? いやそれ以前に、人生がこうした繰り返しであることに気づきながら、堪え忍んでいくことができるのか?

 

(今日は本を持ってきていない。せっかくだから、家に帰る前にもう一度図書館に寄っていくことにした。電車のなかで気楽に読める本がほしかった。前向きになれそうな本が読みたかった。川端裕人はどうだろう? 池澤夏樹と同様、読めば前向きになれる大好きな作家だ。WINEで検索にかける。しかしいま読みたいと思うような本はなかった。なんだかもうどうでもよくなってきて、気づいたら僕は岩波文庫の棚にいた。『ブッデンブローク家の人々』を手に取る。前から読もうと思っていた本だ。けれど上中下とあるのを見てまた積本の影がよぎり、けっきょくその隣にあった『トオマス・マン短篇集』を借りていくことにした。冒頭の「幻滅」という話が気に入った。「僕」は混乱している。ヴェニスの広場であの見知らぬ男が話しかけてきたせいだ。「あなた御承知ですか、幻滅とはどういうものだか。」男は問いかけ、自身がこれまで経験してきた幻滅について語る。「私は、人間からは神のごとき善良と、身の毛もよだつ邪悪とを期待していました。人生からは、目もさめるような美しさと物凄さとを、期待していました。」……。でももっと胸を打ったのは、この次に収められていた「墓地へゆく道」という短篇だ。「それは春だった。もうほとんど夏だった。世界は微笑していた」そんな気持ちのいいある日、一人の男が墓地へゆく道を歩いている。彼の名はロオプゴット・ピイプザアム。ピイプザアムは不仕合せだ。「第一に彼は飲む。(…) 第二にやもめで孤児で、世の中からまるで見離されている。愛してくれるものが、この地上にただの一人もないのである。旧姓をレエプツェルトといった細君は、半年ばかり前、子供を産むと同時に拉し去られた。それは三番目の児だったが、死んで生れたのであった。ほかの二人の子供も亡くなっていた。(…) そればかりではない。その後間もなくピイプザアムは地位を失った。不面目にも職務とパンから逐い立てられたのである。」そのピイプザアムが墓地へゆく道を歩いていると、後ろから若者の乗った自転車が全速力でやってくる。若者はピイプザアムが道の真中にいるせいで調子をゆるめるが、ピイプザアムはいっこうに道を開ける気配を見せない。しかたなくゆっくり彼の傍を通り過ぎた若者に、ピイプザアムは因縁をつけはじめる。「私はあなたを告訴します。あなたはあっちの国道のほうを走らないで、こっちの、この墓地へゆく道を走ったからです。」馬鹿馬鹿しい、みんなこっちの道を自転車で走ってるじゃないかと言い返す若者に、ピイプザアムはしつこく「私はあなたを告訴します」と繰り返す。あきれた若者が再びペダルを漕ぎ出すと、ピイプザアムは狂ったように自転車を追い、サドルにしがみつく。自転車はピイプザアムの妨害を受けてぱたりと倒れるが、怒った若者はピイプザアムを突き飛ばし、再びサドルに跨がってぐんぐん遠ざかっていく。ここからピイプザアムが真に狂人の色を帯びていく。「それを見ると、ピイプザアムはどなりはじめた。罵倒しはじめた。あるいは吠えはじめた、といってもいいかもしれない。もうとうてい人間の声ではないのである。/「もう走ってはいかん。」と彼は叫んだ。「そんなことをしてはいかん。この墓地へゆく道でなく、あっちのほうを走るんだというのに、聞えないのか。——降りろ。すぐに降りろ。おお、おお、おれは告訴する。訴えてやる。おお、ほんとになんたることだ。やい、おっちょこちょい野郎、倒れやがったら、もし倒れやがったら、踏んづけてやるのに。靴で面を踏んづけてやるのになあ。この悪党め。」/こんな光景は空前である。墓地へゆく道の上に、ののしりわめく一人の男がいる。男はのぼせ上って吠えている。ののしりながら躍る。飛び上る。手足を目茶苦茶に振り動かす。無我夢中になっているのである。先刻の乗り物は、とうの昔に見えなくなってしまったのに、ピイプザアムはまだ依然として、ひとつところで狂い廻っている」次第に弥次馬が集まってくる。「が、ピイプザアムは、なおも荒れ狂って止まない。しかも様子はだんだん険悪になってきた。両方の拳骨をめくら滅法に、上下左右あらゆる方向へ振り廻す。脚をばたばたやる。こまのようにぐるぐる廻る。膝を折り曲げたかと思うと、声の限りどなり立てようとして、また死物狂いに跳ね上る。その間一刻といえども、悪態をつくことをやめない。ほとんど息をする暇さえないのである。いったいどこからこんなにいろんな言葉が出てくるのか、呆れるよりほかはない。顔はもうおそろしく脹れ上ってしまった。シルクハットはうなじのほうへずるっこけている。いわえてあるシャツの胸当は、チョッキの外へはみ出しているという有様である。おまけに、いうこともとうに一般的なことにわたっていて、どう考えても、本筋とは関係のないようなことばかり並べている。自分の不行跡のことをほのめかしたり、宗教じみた暗示になったりする。それがまたいかにも不釣合いな調子で、だらしなく悪口雑言をまじえながら、述べ立てられるのである」やがてピイプザアムは声を振りしぼってどなった後、人事不省に陥ってぱったりと動かなくなってしまう。弥次馬たちが水をぶっかけたりブランデエを嗅がせたりするが、てんで効果がない。しばらく経った頃、衛生隊の馬車がやってきて止まる。男が二人降りてきて、一人が馬車の後ろで取りはずしの利くベッドを引き出しているあいだ、もう一人が弥次馬を払いのけ、ピイプザアムを馬車まで引きずってくる。「それからピイプザアム君は、例のベッドの上にねかされて、まるでパンをパン焼き竈の中へでも押し込むように、馬車の中へ押し込まれてしまった」そしてピイプザアムは運び去られ、物語は終わる。ここではもちろん、ベッドが棺桶に見立てられ、それが馬車の中へ押し込まれるさまは火葬場で棺桶が押し込まれるさまに見立てられている。滑稽な、ほんとうに滑稽な男の話だ。だが笑うことができるだろうか? トオマス・マンは書いている。「人間は、自分自身に向っていくら自分の無辜を力説したところで、それはなんの役にも立たない。たいていの場合人間は、自分が不幸だからといって自分を侮蔑するようになるものである。ところが、自蔑と悪徳とは実に怖ろしい相互関係に立っている。両者は互いに相養い相扶ける。それはぞっとするくらいである。ピイプザアムの場合もまた、その通りであった。」

 

僕は最近、苛々することが多くなった。前にも増して、自制がきかなくなっている。自分がしょうもない人間だと感じる。何をしてもダメなような気がする。安吾は『堕落論』のなかで、再び立ち上がるにはいちど堕し切ることだと書いた。でもそろそろ、堕落することにも疲れてきている。自蔑と悪徳の怖ろしい相互関係に飲み込まれる前に、何か、何か行動しなければならない。何か……

 

(「墓地へゆく道」を読み終わり、次の「道化者」に差し掛かったところで最寄り駅に着いた。僕は駅の近くのコンビニで煙草を吸い、喫煙スペースから狭く区切られた空を眺めた。ぼやけたように色を失い、蒼白な光を帯びた空が広がっていた。今朝、卒論を完成させて徹夜明けで眺めたあの青い空を、ずっと覚えおこうと思った。

 

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