これからのこと

ふがいない院生は空を見た

いつまでもセカイ系


 しばらくブログはいいかと思っていたんですが、なんとなく書きたくなったので書きます。およそ二ヶ月ぶりの更新です。……二ヶ月。けっこういろいろなことがありました。教育実習、教員採用試験、初めてのES……。もちろん趣味の登山、サイクリング、読書etcも継続して行っています。こないだの三連休には二泊三日で近畿に現実逃避旅行センチメンタル・ジャーニーしてきました。
 しかし結論からいうと、未だに進路は決まってません。相変わらずふらふらしてます。そして今回は、この相変わらずふらふらしてるバカヤローなぼくのメンタルについて書きたいと思います。内省するために。
 ぼくのメンタル。それは一言でいえば「セカイ系*1」です。
 セカイ系。これは主に社会学や文学のなかで使われる言葉で、ひとによって定義は異なりますが、要は「主人公 (ぼく) と世界があいだに何かを挟むことなく直接繋がっている」状態のことです。東浩紀は『波状言論 美少女ゲームの臨界点』のなかで「主人公 (ぼく) とヒロイン (きみ) を中心とした小さな関係性 (「きみとぼく」) の問題が、具体的な中心項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義し、その代表作として新海誠*2の『ほしのこえ』、高橋しんの『最終兵器彼女』、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏*3の三作を挙げています。ほかに有名な作品を挙げるとハルヒもこのセカイ系です。
 ただ、いま書いたのは狭義の「セカイ系」で、ヒロインや世界の危機がなくとも、単に「ぼく」と世界があいだに何も挟まず直接結びついているような作品や思考形態についても「セカイ系」ということがあります。ぼくのメンタルはこっちのセカイ系*4です。ぼくと世界は結びついている。つまり、ぼく (主人公) は世界の中心である。という思考形態。
 ……もちろんぼくも二十三になり自分がどういう人間かもだんだんわかってきて、いつまでも自分が世界の中心だと本気で信じているわけではありません。世界はぼくとは関係なく回っているし、ぼくが死んでもそれは変わらない。わかってはいるのですが、どうしても最後の最後の部分で「おれはどうにかなる。おれがどうにかならないわけがない」と思ってしまうのです。つまり、「自分は主人公であり、世界と結びついている」のだからこのまま終わるわけがない、と。
 ぼくのどうしようもないオプティミズムあるいは現状軽視はここから来ているのだと思います。たまにふっと頭が冴えたとき「このままじゃやばい」と危機感が脳裏を掠めるのですが、すぐに日常のあれこれに埋もれ、埃を被ってしまいます。
 いちおう来月の私学教員適性検査にも申し込んだし院試の勉強もしていますが、どうなることやら。親には非常勤講師をやりながら院に通うといっていますが、ほんとうにぼくはそれがしたいんですかね。

*1:いわゆる「きみを取るか、世界を取るか」というやつ。

*2:映像美といってしまえばおしまいだけど、『言の葉の庭』のチープさはどうかと思うんだ。ま、好きだけどさ。ちなみにぼくがいちばん好きなのは『星を追うこども』。

*3:今でも夏になると読みたくなる。おもしろいし、三人称の効果的な使い方を学ぶ上でも参考になる良作。榎本が好きだった。

*4:この文脈ではしばしば村上春樹の名が挙がる。

広告を非表示にする