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これからのこと

ふがいない院生は空を見た

「コミュ力」についての基本的な確認


先日、教育実習の打ち合わせのために母校に行き、教科担当の先生と話をしてきたんですが。

ぜんぜん会話ができない。

べつに先生とぼくのあいだが気まずいとかどちらかが極度に人見知りだとかそういうわけではありません。むしろ先生 (ここではK先生とします) は非常によく喋るひとで、ぼくたちのあいだに話が絶えることはない。それではぼくはなぜ、「ぜんぜん会話ができない」と書いたのか。簡単です。常にK先生が一方的に話しているからです。

K先生はいわゆる「マシンガン」なひとで、ひとつひとつの話が長いわけではないんだけど、ひとつの話から次の話へと永遠に話が連なっていく。しかもそのうちほとんどが、実習とは関係のない話 (先生の最近の趣味とか飼っていた猫とか)。

マシンガンでもこちらに傾ける耳があればいいんですが、ぼくが途中で口をはさんでも、いちおうは聞いたふりをして相変わらず自分の話を続ける。ぼくが話しているあいだは黙っていてくれるんだけど、けっきょくすべて自分の話に引き入れてしまう。こちらの話をぜんぶ自分の話に吸収してしまう。会話のバランスという概念が欠如していて、自分ばかり話していることに気づかない (あるいは、気づいていても問題としない)。

communication《言葉・記号・身振りなどによる情報・知識・感情・意志などの交換過程》

『新英和大辞典 第六版』にもあるように、コミュニケーションとはとりもなおさず「交換」することで、だからこそそこには互いのあいだを行き来する運動があって然るべきです。しかしK先生のようにただ欲求のままに自分の話をし続けるひとは、一見コミュニケートしているように見えても、実際は自分の持ち物の押し売りをしているだけ。一方通行的で、とても他者の入り込む隙がない。

巷では「よく話すひと=コミュ力があるひと」みたいに考えられがちだけど、ほんとうの意味でのコミュ力って、そういうことではないよね、と今更ながら簡単な確認をしたくなったきょうこの頃です。

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