光る砂【創作小説】

 まだ五歳になったばかりの冬、光る砂を拾った。
 大雪の降った日の翌朝のことだった。私は祖母に連れられて、雪化粧を施された裏山を歩いていた。すると、なぜか一カ所だけ雪に埋もれていない場所があった。そこで光る砂を見つけた。
 その砂ははじめ黄金のような輝きをまとっていたが、小さな瓶の中に入れると、マッチ棒を近づけた水素のように激しく発光し、次の瞬間には静まっていた。思えば、あの時にこそ私たちは契約を交わしたのだろう。
 砂を持ち帰って当分の間、私は飽くことなくその瓶を見つめていたが、やがて机の上に置いたまま、すぐに忘れてしまった。その砂が光ることを思い出したのは、春のある日、母が激しく私を叱責した時のことだった。
 私の頬を涙が伝うと、瓶の中の砂は星のかけらのように弱々しく青色に光った。私は泣いている間、ずっとその瓶を見つめていた。そして光がすっと消えて目の前にただの砂が現れた時、私は自分の涙が止まったことを知った。
 砂は私が喜びを感じた時には橙に光り、怒りを感じた時には赤色に、恥ずかしさを感じた時には黄色に光った。戸惑いやためらいは緑色、悲しみは青。
 一連の法則が明らかになると、私はその砂の入った瓶を常に持ち運ぶようになった。そうして何かが起こった時、私は自分の感情を探すよりも先に、瓶の中の砂を見ることによってその感情に与えるべき正しい名前を発見した。
 私の人生は順調と言ってよかった。大学を卒業して上場企業に就職すると、そこで夫と出会った。その時の砂の輝きを、私は今も鮮明に思い出すことができる。一年の交際を経て結婚し、すぐに息子を産んだ。息子は若木のようにすくすくと育ち、背の曲がり出した夫の背をやがて軽々と越えた。それまでの間、私の砂は瓶の中で何度も光を投げかけた。
 昨年夫が亡くなった時、息子はもう五十歳に近かった。私は夫の亡骸を見て、これまでの数々の出来事を思い返しながら涙を流した。その記憶の中には、それら数々の出来事に対応する砂の輝きが含まれていた。私はその色とりどりの光を思い出し、夫や息子と過ごした長い月日の流れを想った。
 そして今、いよいよ死が我が身のものとなると、私はこれまで肌身離さず持ち続けた光る砂の入った瓶を枕元に置き、静かに我が生に思いを馳せた。枕元の瓶は皓々と青い光を投げかけ、その隣ではこの前五十を迎えたばかりの息子が大人げもなく涙ぐんでいる。砂の光を見たいからと部屋の照明を落とすように頼み、暗闇の中で瓶を見つめると、私の砂たちは灯台のように強い光をともしていた。しかし私は、そのたくましい光を見つめながら、死に際になって、これまで抱いたことのない疑問を覚えた。
 ほんとうに、この砂は私の感情を表していたのだろうか?
 五歳の冬、この砂を一面の白絨毯の中から拾い出してから、私はずっとこの砂に頼り続けてきた。実際、この砂は私の感情を正確に表してくれているように思えた。それは私が喜びを感じた時に橙に光り、悲しみを感じた時に青く光った。一つの例外もなく、それはほとんど完璧な指標のように思えた。しかし今、その確信は揺らぎつつある。
 なぜなら、私は自分の死を悲しんではいないからだ。夫が死に、肉体も老いさらばえた今、これ以上生きていて何が得られよう。息子に迷惑をかけずにゆくことができてよかったとさえ、私は思っている。
 しかし目の前の光は、暗闇の中で青青と光る。それは一分の隙を見せることもなく、絶えず青青と光っている。青色の光は悲しみ。これは私の七十五年の人生の中で、一度も疑われたことのない絶対的な法則だった。だが今、死の床に来て、私と瓶の中の砂は初めて仲違いを起こしている。
 次第に視界が暗くなる。死ぬことに悔いはない。しかしそれならなぜ、瓶の中の砂は青く光っているのだろう。息子の泣く声が遠ざかる。生に未練はないが、砂の光のことだけが気がかりだった。もしかすると、私は何かとんでもない間違いを犯してきたのではないか。自分の人生を、まったく他人の人生のように送ってきてしまったのではないか。
 視界から息子の姿が消え、見えるものは目の前の瓶だけになる。私の意識は大きな手に掴まれたように、少しずつ、少しずつ深い谷底へと落とされていく。そうして目を閉じてしまう間際、小さな瓶の中で光が激しく燃え、それからすっと消えるのが見えた。