鎌倉に行って『火花』を読んできた

 昨日こんな記事を書いておいて何なんですが、けっきょく、海水浴しませんでした。
 天気もそんな感じではなかったし、そもそも僕、いざ準備を始めてみると、水着持ってませんでした。今まで一度も海水浴したことがないんだから、そりゃそうですよね。

 でも友達にクロックスを貸してもらって膝までは海に浸かりました。腰越海岸は思っていたよりも綺麗で、童心にかえってはしゃぎました。疲れたけど、楽しかったです。
 友達の家に又吉直樹の『火花』があったので、時おりみんなの会話に参加しつつ、部屋に流れるはっぴいえんどYMOビーチ・ボーイズビリージョエルをBGMに、ここぞとばかりに読みました。僕は本を読むのがおそろしく遅いんですが、それでもすらすらと読めました。別にすらすら読める本が良い本とは限らずそれどころか逆の場合もあるのですが、『火花』は思っていたよりもずっと面白い本でした。まあまあ、良い本でもありました。
 文章は視点移動が奇妙で、きっと新感覚派のそれがイメージにあったんだと思うけれどこなれていない感じで、ぎこちなさがありました。でも語り部の徳永と先輩の神谷さんは魅力的だったし、何よりも作者の思っていること伝えたいことがまっすぐに届いてきて、ストーリー展開を神谷さんに頼り過ぎているんじゃないかとか相方のことをもっと描いてほしかったとかいろいろ欠陥はあるけれど、それでも素直に良い小説だと思いました。終盤のあのライブの場面では、不覚にもじわりときましたし。ただまあ、結末の尻すぼみ感は否めないわけですが。

 それと『火花』で良いと思ったのは、「場」がとても魅力的に描かれていた点です。特に井の頭公園の描写は味わい深く、上質な邦画のような空気感がありました。
 『火花』を読んでの感想は、これは決して「うまい」小説ではないけれど、「良い」小説ではある、でした。『3月のライオン』について書いたときも同じことを言いましたが、作者の気持ちが読み手にビビッと伝わってくるのは、それだけで大きな武器になるのです。そのことを再認識した読書体験でした。

火花

火花