田舎暮らしへのあこがれ

 僕の父はいわゆる転勤族だったので僕もこれまでの人生で三度引っ越しを経験しているが、生まれてから小学校に上がるまでは大阪、小学五年生までは名古屋*1それからは一度近場への引っ越しがあったもののずっと東京にいるので、田舎と呼べる土地で暮らしたことはない。といっても、新大阪に近い摂津市に暮らしていた大阪時代はともかく、いまは都内とはいっても郊外に住んでいるので、決して都会暮らしをしているというわけでもないのだが。
 隣の芝生は青く見えると言うが、僕は高校生の頃から田舎暮らしへのあこがれを持っていた。都会の人いきれから逃れて、のどかな田園風景の中ゆったりと暮らしてみたい。僕は泳げないから、というわけでもないが、海よりも山と川が好きだったので、たとえば西東京とか、埼玉の飯能あたりに暮らしてみたい。ここで西東京とか飯能の名前が挙がるところに僕の中途半端さが出ているが、いまは大学、卒業しても職場に通わなければならないのだし、そんないきなりド田舎で暮らせるわけないのだ。西東京だったら一時間もかければ都心に出られるし、飯能はわからないがたぶん西東京とそう変わらないだろう。あのさくらももこ*2もエッセイの中で書いているが、こういう妄想にはある程度のリアリティが重要なので、ここで群馬*3とか茨城*4の名を出しているようではダメなのである。
 しかし、ここで田舎暮らしを妨げる大きな問題が二つ。
 一に、僕が過度なご近所付き合いを嫌っていること。すべての田舎がそうとは限らないだろうが、やはりそういった土地では防災防犯の意味も込めて近所付き合いが重要視されるだろうし、青年団の活動とか地域の祭りへの参加も義務となってくるだろう。そういうのを楽しめる人もいるのだろうが、僕は確実に向いてない。
 二つに、僕は虫が致命的にダメなのである。母からよく男のくせに情けないと言われるが、こんなんに男も女もない。バッタとかカマキリならまだしも、クモやムカデ、ゴキブリが平気な人がいたら連れてきてほしい。ちなみに僕は小学生のころ友達に蝉を投げつけられてガチギレしたことがある*5。それくらい苦手なのだ。
 たとえば僕が田舎で一人暮らしを始めて、ある日ゴキブリが出たとする。そうなれば僕は叫び声を上げてテーブルの脚や積み上げた本や床の段差など至るところに足の小指をぶつけながら遁走し、鍵を持ち出すこともままならないで部屋を飛び出すだろう。そしてそれがどんなに寒い真冬の真夜中であったとしても決して中には戻らず、凍えながら助けが来るのを待つのだ。助けといっても近くに友達や家族が住んでいればいいが、田舎だと時間も交通費もかかるだろうから、そう簡単に救助を望めそうにない。こうなった場合、僕は凍死するか無我の境地*6に至るかのどちらかだろう。僕はまだ死にたくないし、三つの扉を開きたくもない。
 というわけで、あこがれはあくまであこがれとして、しばらくは妄想に留めておきたいと思います。アーバンライフ万歳。

*1:この文章を書いていて、名古屋をほかの二つの都市と並べてしまっていいのか非常に悩んだ。むしろ田舎の仲間に加えるべきではないかと。なぜなら、僕の住んでいた町では当たり前のような顔をして野生のキジが歩いていたからである。

*2:ちびまる子ちゃん』の作者。僕はこの人のエッセイをキッカケに本を読み始めた。

*3:名酒「聖徳」があることと健大高崎があることだけが取り柄の田舎嘘です群馬の方ごめんなさい。去年富岡製糸場世界遺産に登録された。繰り返しになるが、僕はこの土地の「聖徳」というお酒が大好きである。

*4:アノニマス霞ヶ関と間違えられて攻撃されたことで有名な霞ヶ浦がある県。「つくばりんりんロード」というゆるふわな名のサイクリングロードがあって、それこそのどかな田園風景の中をゆったりと走ることができる。また行きたい。

*5:僕に蝉を投げつけたその友達も、いまは触れないらしい。むしろ昔はよくあんなん触れたよなあと遠い目をして言っていた。

*6:有名なギャグ漫画『テニスの王子様』に出てくる境地。いわゆるチートモード。主人公の越前リョーマはこの境地に至るとなぜかいきなり英語で話し出す。