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これからのこと

ふがいない院生は空を見た

余りに個人的な感想『あの子を探して』

 

チャン・イーモウ『あの子を探して』を観ました。

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舞台は山村の小学校。唯一の先生であるカオ先生が母の看護のために一ヶ月村を離れることになり、代用教員としてまだ十三歳のウェイ・ミンジという女の子が村長に連れられてきます。

といってもミンジとて学があるわけではなく、かろうじて一曲、(それも飛ばし飛ばしで) 歌が歌える程度。だから彼女の仕事はひたすら板書をすることであり、それを書き写すよう、生徒を監視することでした。

貧しい山村のことで、教卓はぐらつき、屋根は雨漏り、壁もぼろぼろ。チョークは一日に一本までしか使えず、ミンジや寄宿生が満足に寝るスペースすらありません。

こんな劣悪な環境のなか、やんちゃ盛りの生徒とミンジが衝突し、ある日、なかでも腕白だった男の子が姿を消したことで事態が少しずつ様変わりしていく——という筋なのですが、詳細が知りたい方はWikiで読んでください、あるいは、観てください。

 

ひとことで言ってしまえば金八先生的な筋なのですが、観終わったとき、身につまされるところがあったのです。

というのは、序盤、ぜんぜん言うことを聞いてくれない生徒たちに対してミンジが感じている (であろう) 感情がつい最近までやっていた塾講師のバイトで経験したものと限りなく近かった (と思われる) からで、ぼくがそれに耐えきれずにリタイアしたのに対し、ミンジはそれを乗り越え、ぼくが結ぶことのできなかった関係を生徒と結んでいたからです。

貧しい山村のこととて、生徒はみな貧しい家の子どもばかりです。ろくに文具も与えられず、飲み食いもできず、家庭の事情で出稼ぎに行くために学校を辞めていく子もいます。もちろん、家庭環境も良好ではない子どもが大勢います。そして、そうした子どもたちは家で与えられない愛情を埋め合わせるために学校で悪さをする。そのつけが回ってくるのはミンジです。彼女は毎日のように怒鳴り、追いかけ、やがて辟易します。べつにこれは貧しい山村でなくとも現代の日本でだって本質的には同じことが起こっていると言えるでしょう。つまり、子どもは家庭の影響をダイレクトに受ける。子は親を選ぶことができない。家庭を選ぶことができない。

ぼくが働いていた塾にも、おそらく家庭で愛情が満たされていないのだろうなと思われる子どもたちがいました。たまに近況報告がてら家庭に電話をすると、その推測が確信に変わります。そして残念ながら、塾で悪さをするのは、むやみにこちらへ刃向かってくるのは、やはりそうした家庭の子どもたちなのです。

もちろん、ぼくもそういったことはわかっているつもりでした。が、ぼくはわかった上であえて、そうした子どもたちを切り捨ててきました。家庭での満たされなさがあって、その埋め合わせとして、あるいは反動としてこちらに向かってくるのはわかるけど、なぜぼくがその埋め合わせをしなくてはならないんだ。なぜぼくが彼らの満たされなさの代償として彼らのナイフで傷つけられなくてはならないんだ、と。

正直に言って、この考えは今でも変わっていません。おかしいとも思いません。つまり、子どもたちに自分ではどうしようもない事情があるのはわかるけれど、それを教師がすべて埋め合わせなくてはいけないというのは間違っている。教師はうさぎのぬいぐるみじゃない。苛立ちのまま、いつまでも殴りつけられるクレヨンしんちゃんのぬいぐるみとは違うのです。

 

ミンジは学校で最も反抗的だった男の子が失踪したとき、必死で彼を見つけ出す方法を考えます。生徒たちに相談し、町に出るバス代を稼ぐためにレンガ工場で働いたり、探し出す当てもないのに町へ出てまわりの人間から疎まれながらしつこく聞き回ったり、無駄足に無駄足を重ねてそれでも探し続けます。

映画を観ているあいだずっと、そして観終わってからも、ぼくにはなぜこうまでしてミンジが男の子を探し続けるのかがわかりませんでした。少々プロパガンダ的な感動の再会にそれでもジンとしつつ、しかし最後まで「あの子を探し」続ける理由がわかりませんでした。

 

きっとここに、教師としてのぼくの限界があるのだと思います。ぼくは教師には向いてない。

 

泥まみれになり、へとへとになったミンジと男の子との再会、そこで初めて生まれた関係性は、ぼくのような考えを度外視したミンジだからこそ得ることのできたものです。

最後、生徒がそれぞれ好きな字を黒板に書いていく場面で男の子が書いた字。それを見て微笑むミンジ。笑みを交わし合う生徒たち。ぼくがこれまでに見た映画のなかでは最も美しい (映像としても色彩が素晴らしかった) このラストシーンの感動は、きっと永遠に体験することがないし、またしたいとも思わないのだろうなと思いつつ、けっきょく最後まで好きになれなかった塾講師のバイトについて、そこで出会った生徒たちについて、少しだけ想いました。

 

バイトいやいや月間⑯ ともあれフィナーレ

 

3/28 (火)

 

小学校の先生なめてました。マジすんません。

これまでぼくは、小学校の勉強とか誰にでも教えられるし、中高と違って部活動もないし、小学校の先生って楽そうだなあと思っていた。が、塾で小学生のクラスを持つようになって考え方がまるっきり変わった。小学生は怪獣だ。彼らの先生になるということは、怪獣が所狭しとひしめいている檻の中にひとり孤立無援で放り込まれることに等しい。マジやってらんねえ。小学校の先生、これまでなめてて申し訳ありませんでした。塾講ですらこんなに大変なのだから、小学校の先生ともなれば毎日が戦場だろう。

子ども好きの人ならいやじゃないのかもしれないけど、ぼくはとりたてて子どもが好きなわけじゃないのでストレスが半端ない。もちろんがんばって勉強していたりすなおに言うことを聞いてくれる子もいて、そういう子たちに対してはこちらもできる限りフォローしてあげようという気にもなるけれど、大半はどうしようもない子たちで、まあ無理矢理塾に来させられてるんだろうし彼らをやる気にさせるのはこちらの仕事なのでそこはしかたないとしても、人としてどうなのって言いたくなるような子が多い。「小学生なんだから」と思われるかもしれないが、私的にはこうしたことに小学生も大人もないと思う。すなわちまともな人間は子どもの頃からまともだし、そうでない人間はそのまま大きくなっていくのだ。そしてまともであるかないかはほとんど家庭によって決まる。まともな家庭の子がまともな大人になり、そうでない家庭の子がそうでない大人になる。ここの負の連鎖を断ち切るのが先生という職業なのかもしれないが、バイトの塾講師にはどだい無理な話だ。そこまで求められては困る。

 

そんなわけでめちゃくちゃ疲弊して小○社&国、中○英と授業した後、いちおう春期講習前期が終了したということですべての家庭に電話連絡を行った。これまでにも書いたとおりぼくは電話が苦手でもし自分の電話のようすを録音で聞かされたら赤面&遁走すること間違いなしのレベルなのだが、そんなこともいってられないので次から次と、ひたすら、1時間ぶっ続けで電話していた。さすがにこんだけすれば少しは慣れてくるもので、最後のほうはどうにかまともな会話ができていたのではないかと思う。

当然、楽しみにしていたサッカーには間に合わなかったので、帰宅して晩ご飯を食べたあと、録画で見た。結果は4-0で日本の勝利だった。勝てたのはよかったけど、内容的にはいただけない試合だった。MOMは1G2Aの久保。次点はUAE戦に引き続きビッグセーブ&PKセーブの川島。素人目では、酒井高&山口のダブルボランチと森重が不安だった。

 

「バイトいやいや月間」と称し、これまで長らくバイトに関するあれこれ (主に愚痴) を書いてきたが、今月のバイトはこれで終わった。ので、「月間」としてはこれで終了となる。とはいえ4月から春期講習後期も始まるし、バイトじたいは今後も続けていく予定なのでぜんぜん落ち着いたという感じはしないのだが、なにはともあれ、最低週4のいやいや月間は乗り切った。

今月はろくに本も読めずバイトばかりしてしまったので、これからはそうしたことや執筆、勉強、そして友達と遊んだりできたらなと思う。

 

バイトいやいや月間は終わった。春期講習はつづく (ともあれフィナーレ)。

 

マジでトンズラ5秒前 (バイトいやいや月間⑮)

 

3/27 (月)

 

起きたら13時前だった。

例によって夜更かししてしまったからだが、それにしてもひどい。

授業は15:40からで、予習のことも考えると遅くとも14時半には家を出る必要があった。準備 (身だしなみetc) と昼飯にそれぞれ30分かかるとして、13時半には動き出さないといけない。ということはゆっくりしてられるのは残り30分。ここまで考えて、ぼくはぐったりとベッドに倒れた (いや、元から寝転んでいた)。

こんなふうに現実が差し迫ってきたとき、果たしてどんな行動を取るか。……ぼくはこれまで繰り返してきた如く、現実逃避をした。今回の場合は枕元に置いてあったスマホを手に取り、YouTubeを開いた。

次に時計を見たとき、時刻は14時になっていた。こうなったら15分で準備することにして、とりあえず何か食べないと——と思いつつ、引き続きYouTubeを見た。

次に時計を見たとき、時刻は14時半になっていた。ぼくは真剣にトンズラしてしまおうかと検討し始めた。今から塾に行こうと思ったら、昼飯どころか顔を洗う時間もない。寝不足&空腹&寝起きのひどい状態で、夜まで乗り越えられるとは思えない。昨夜午前四時まで起きてしまっていた時点で、こうなることは決まっていたのだ。今更どうすることもできない——と。

だが、ここでトンズラしてしまったらほんとうのクズになってしまうな、とも思った。慌てふためく塾長や社員の方、いつまでも先生が入ってくるのを待つ生徒たちの顔が脳裡に浮かび、今年二十四になる人間として、さすがにそれはやっちゃいけないだろと思った。が、理屈では分かっていても、どうしても行きたくないのだ。逡巡しているあいだも時は過ぎていく。14:35、14:40、14:45……ぼくはベッドから起き出した。

家を出たのは14:55だった。ちょうど電車が行ってしまう時刻だったので、いくらかでも精神を整えようと思い、駅前のコンビニで煙草を吸った。くらっとした。やはり空腹のときに煙草は吸うものではない。駅中の売店で果汁グミを買い、口に放り込みながら電車内で板書案をなぞる。

悪いことは重なるもので、こういう日に限って電車が止まる。どうせなら1時間とか止まってくれればいいのに、線路内立ち入りの確認とかで7、8分だけ止まる。これでは遅刻の言い訳にもならない。

塾の最寄りに着いたとき、すでに15:20を回っていた。扉が開くと同時に走り、どうにか半頃に出社。10分で確認作業を済ませ、授業にのぞんだ。予習不足というよりは精神面で準備ができておらず、頭も半ば止まっていて、ぼろぼろだった。

2コマぶっ続けで授業した後、この濁った頭をどうにかしようと思い、コートも着ずに塾の外を散歩した。寒かった。俺は何をやっているんだろう、と思った。

その後の1コマは前2コマの至らなさを取り返そうと励み、どうにか最低限のことはやった。が、肉体的にというよりは精神的に疲れ果て、塾長から口酸っぱくいわれている保護者への電話もせずにさっさと退社した。逃げるように退社した。

明日も同じ時間から授業。現実逃避の気持ちから今夜も夜更かししてしまいそうだけど、せめて朝早く起きるようにはしたいと思う。

 

とんずらとは、逃げることをいう俗語。犯罪を犯した者が逃げる場合などに特に用いられる。以下を組み合わせた合成語である。

・とん - 遁(とん)、逃げることを意味する。遁走など。

・ずら - ずらかる、逃げ出すことを意味する俗語。

(Wikipedia「とんずら」)

 

バイトいやいや月間はあとちょっとだけ続く。果たして、最後まで遁走せずにいられるか。

 

バイトいやいや月間⑪⑫⑬⑭

 

3/20 (月) 春分の日

 

「きょうは塾ないよ」「ほんとですか!?」ぼくは歓喜に打ち震えた。塾が無い!「うん。祝日だからね」「ということは、もちろんぼくは行かなくていいですよね」「もちろんだよ……なーんてね」「え?」「そんなわけないじゃないか。祝日だろうと塾はあるよ」「どっちやねーん!」

という悪夢で目が覚めた。寝る前から「もしかして明日塾ないんじゃないか?」と期待していたので、それが夢に出てしまったらしい。

実際のところはどうなのだろう。ぼくは無意識のうちに祝日だろうと大雨警報が出ようと塾はあるものと考えていたが、おとといA校で社員が話していたのを耳に挟んだ限りは、どうやらA校は休みのようだ。それではきょうぼくが行くB校は? やっぱりA校が休みなのだからB校も休みだろうか? うーん……

A校の塾長にラインで聞こうかと思ったが、嫌いな塾長に借りを作るようでいやだし、そもそもほかの校舎のことは知らないかもしれないので無難にB校の塾長にメールを送ることにした (B校はヘルプで行っているためラインは知らない)。

が、一向に返事が来ない。もし授業があるとしたら、15時には家を出ないといけない。果たしてどうするか。悩んだ末、校舎に直接電話してみることにした。といっても塾という職場の性質上、あまり早くに電話しても誰も出社していないだろうことは予想できたので、14時になるのを待ってからコールする。プルルルル……出ない。しかし大学時代の友達で塾に就職したKはふだん14時半に出社すると言っていたし、単にまだ誰も来ていないだけかもしれない。15時に再びコールする。……出ない。16時……出ない。16時半……出ない。このあたりでようやくきょうが休みだと確信することができた。

あるかもしれないと思っていたバイトがなかった。そのことがわかってぼくは喜んだか? ……確かに喜びはしたが、その前にほとほと疲れ切っていた。というのはこの日ぼくは朝からずっと祈り続けていたからで、特に校舎に電話しているときは「出るな……誰も出るな……」と心臓が張り裂けんばかりだった。最初から100%あるとわかっていたら諦めもつくが、1%でも「きょうバイトないのでは?」と思ってしまうと途端に行きたくなくなる。これは泳げない子どもが霧雨の日に「きょうプールありませんように」と祈ったりすることと似ている。あるいはもっと普遍的なのは、大雨の日に祈る「きょう学校ありませんように」か。

とにかく最初からあるとわかっていれば観念するんだけど、少しでも「ないのでは?」と期待してしまうとものすごく行きたく/やりたくなくなる。「神様、どうか学校がありませんように」とふだん信仰に疎いくせに急に祈りだしてしまう。少なくともぼくは突然祈りのことばを唱え始める。

というわけで、春分の日、祝日である3/20もぼくは朝から祈り続け、結果めでたく塾はなかったものの、そのとき既に祈り疲れていたのであった。揺れ動く心理に疲弊し切っていたのであった。というわけでこの日はせっかく降って湧いた休みだったにもかかわらず、ものすごく疲れた。もちろん何もできず、どこにも出掛けられなかった。

 

 

3/21 (火)

 

B校でのバイト。いつも通り。恙なし。

 

 

3/23 (木)

 

A校でのバイト。授業後、小○のテスト採点を頼まれる。(時間外労働だろこれ) と思いながらかえって採点しやすい悲惨な解答用紙を採点。「ほんとはデータ入力までやってほしかったんだけど、もうミーティングしたいからそこに置いといて」と塾長に嫌味を言われた後 (チッ)、初めて顔を合わせる社員の方と挨拶してからミーティング開始。内容は今度始まる春期講習について。「みなさんお忙しいと思うんでさっと終わらせます」ということばとは裏腹に、特にこれといった連絡事項もないのに塾長はムダに話を引き延ばし、けっきょく30分近くかかった。帰りの電車で優先席に座っていた酔っ払いがゲロる。扉にもたれて本を読んでいたぼくはさりげなく次の駅で移動。けっこうケポケポやってたので隣に座ってたひとはたまったもんじゃないと思うんだけど、次の駅に停まるまで立ち上がらなかった。なんていうか、こういうところってほんと日本人だよなと思う。

23時過ぎに帰宅してのち、親が用意してくれていた晩ご飯を食べ、さっと洗い物をし、さっと風呂に入った。この日は24:30にキックオフだった。ずっと前から楽しみにしていたワールドカップ2次予選、日本対UAEの一戦である。私的MVPは前線で的となり、いかんなくキープ力を発揮していた大迫。次点はビッグセーブで流れを譲らなかった川島。今野と久保もよかった。吉田も見違えていた。酒井宏もさすがマルセイユで活躍するだけあるなと思った。

 

 

3/24 (金)

 

大学の友達で親友 (とぼくは思っている) のSと登山。この楽しみがあったからやってこれた。近々レポを書きます。

 

 

3/25 (土)

 

朝、起きたときから筋肉痛だった。しかも昨日山から帰ってきて飯を作る元気もなくベッドに倒れたので空腹だった。が、特に食べたいものもなかったので文旦で間に合わせた。八朔とグレープフルーツのあいだみたいな柑橘類で、皮も比較的向きやすく、おいしい。最近の我が家は暇さえあれば文旦を剝いている。

さて、きょうからいよいよ春期講習だった。15時前に出社し、予習をした後19:30まで授業。塾長から生徒の保護者に電話するように言われる。この塾は保護者への電話を多くすればするほど向こうから信頼してもらえると考えているので、特に何も用がなくても生徒を帰した後に電話をするように口酸っぱく言われる。ふだんは適当にごまかして怠っていたぼくだが、今回、春期講習が終わるまでにすべての家庭に連絡するようにと命令されてしまったので、しかたなく2件だけ連絡した。しっかし、ぼくはほんとうに電話がへただ。その上「生徒のマイナス面は言うな。保護者を苛立たせるから」と塾長から釘を刺されているので、たとえば最近ちょっとうるさいとか、集中力が切れているからお宅でも話し合ってみてくれとかいうことも言えない。我ながら拙い電話であった。『ドラえもん』で行状がだらしないのび太を改心させるために、ドラえもんが自分の言動を客観視させる道具でのび太を青ざめさせる話があったが、もしそれで自分の電話のようすを見させられたらぼくはきっと顔を赤らめる。電話力だけでなく、コミュ力も足りないなあ、と思った。あと社会経験も。

本来、春期講習のあいだはずっと同じ先生がそのクラスを担当しなければならないのだけど、事前に26日 (日) は無理だと言っていたので明日はぼくのクラスはほかの先生がやってくれることになっていた。代講してくれるおっさんの先生に授業範囲を説明する。3分で済むことなのにいちいちわかりきっていることまで言ってくるので、打ち合わせが終わりC先生が別室に消えた途端「チッ」と舌打ちして「鬱陶しい……」とこぼしていたら、誰もいないと思っていた背後にD先生がいた。D先生はまだ若い社員の方で、ぼくはこの校舎でゆいいつ好感を持っている。D先生は聞こえなかったふりをしてくれて、ぼくはほっと胸を撫で下ろした。ふだん猫をかぶっていることはバレてしまったかもしれないが、まあどうでもいいや。というか、もうすでにバレてしまっているかもしれなかった。いまこの文章を書いていて思い出したのだが、この前も塾長に「マスクってどうしても外せない? 無理にとは言わないけど」と嫌味な言い方をされ、「すみません、花粉症なんで無理です」と言って最初から最後まで着けっぱなしでいたことがあった。たぶん、ぼくが多少生意気なやつだというのは向こうも気づいているだろう。まあ実際、ぼくは多少生意気である。教育実習のときはある教師に誰もいない保健室に連れて行かれ、「おまえは生意気だから一回社会に出てへし折られろ」と脅された。(そしてそのことを最終日の飲み会での挨拶で暴露し、当人を慌てさせた)

……と、ここまで書いて、書いてきた内容とは逆に、「もうちょっと大人にならないとなあ」と思った。反抗したくなっても内心で「くだらね」と思いつつ「はい!」と従える大人にならないと。

ここのところあまりに疲れてブログに書けていなかった分を一気に書いた。少しすっきりした。さあ、あとは読了したのに書けていない本の感想と登山レポ、小説を書こう。

 

バイトいやいや月間は少しずつ終わりが見えてきた。(つづく)

 

バイトいやいや月間⑩

 

3/18 (土)

 

晩夜更かししてしまったので昼頃目覚めた。父が買ってきてくれたカツ丼を食す。バイトは18:30からだった。すげえ行きたくなかった。行きたくなかったけど行かなしゃあないので16時過ぎから予習を始めた。こんなにちゃんと予習したのは久しぶりだった。バイトに行きたくない原因に予習不足、つまりちゃんと授業できるかどうか不安だというのが毎回あるので、ちゃんと予習したら少しはバイト行きたくなさがマシになるかと思ったのだ。実際、マシになった。ほんの少しだけ。

18時に出社し、小○理科、中○国英、中○英と4コマ授業した。授業後、塾長から頼まれたテスト採点&データ入力を (時間外労働だろこれ) と思いながらやっつけ、さっさと退社。機会があれば行ってみようと思っていたラーメン屋に行った。暖簾をくぐる段になって心配になり、思わず財布を確かめる。用紙の記入漏れで先月の給料がまだ入っておらず、今月の給料日もまだだったので、こんなに働いているにもかかわらずぼくはとってもボンビーだった。食券を買ったら421円しか残らなかった。ちなみに口座には115円しか入っていない。松本さん、今がチャンスです!!!!!!!!!!*1 (やけくそ)

 

最寄り駅で降りようとしたら袖を摑まれた。幼馴染のSさんだった。偶然にも帰りが一緒だったらしい。彼女とはこの前の日曜日に飲んだばかりだったが、会ったらなんだかんだで話すことはあるもので、けっきょく20分くらい立ち話していた。話は一向に終わる気配を見せなかったが、ちょうど出かけていた母が帰ってきたので引き合わせ、「見ない間にすっかり可愛らしいお嬢さんになって」「お母さんこそお若いままで」的やりとりの後に解散した。

家に帰ってから、しまった、と思った。次Sさんに会ったら聞こうと思っていたことがあったのに、すっかり忘れていた。しかしまあ、Sさんとは今月末にも遊ぶので、そのときに聞けばいいか。

 

きょう、『アドルフに告ぐ』をようやく読み終えた。正義と悪、に限らず何事もきちんと分類はできないのが人間で、ぼくのこれまでの経験上、すぐれた作品はすべからくそうしたこと、すなわち人間が一筋縄ではいかないということを感じさせてくれる。『アドルフに告ぐ』はまさにそうした作品だった。登場人物がそれぞれの理念、思惑に則って行動していて、こいつは悪役、というふうに単に割り切ることができない。人種、民族、宗教、戦争の問題をユダヤナチス、日本の相関関係から描き出してみせた手腕はほんとうに見事だった。今までろくに読んでこなかったのが悔やまれる。『ブッダ』とか『火の鳥』も読もうと思った。もちろん『BLACK JACK』も。

 

この「バイトいやいや月間」シリーズもとうとう⑩まで来てしまった。いったいいつまで書くつもりなのだろう、ぼくは。まだまだいやいや月間は続くし、バイトのたびに書いていたらきりがないのに……やれやれ。

けどまあ、いちど始めたことではあるし、どうせなら今月いっぱいは書いてみようかなと思っている。どうしても愚痴っぽくなってしまうので申し訳ないが、きっと誰も読んじゃあいない。

 

というわけで、バイトいやいや月間はまだまだ続く。(はよ終われ)

 

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バイトいやいや月間⑨

 

3/16 (木)

 

ルフコントロールが下手すぎる。

バイトがある日はそれだけで鬱になってほかのことが何もできないということはバイトいやいや月間④で既に書いた。で、そうした現状を打開すべく自分なりに反省して対策も打ち出したわけだが、けっきょく実行に移せたのは直後の一日だけだった。

というわけで今日も、起きたときから鬱鬱としていた。……いや、正確にいえば昨夜寝るときから鬱鬱としていた。ムダに就寝を引き延ばし、けっきょく五時前まで起きていた。寝たらあしたが来てしまう。いやだいやだいやだ——そう思って見たくもないYouTubeを見てしまう。

もうちと上手にセルフコントロールできないものか……

 

きょうはA校での勤務だったが、塾長がいなかったのでメンタル的にピンフだった。社員の方との雑談で、ぼくが今月ヘルプで行っているB校の塾長の話になる。このブログでも何度か書いたとおり、B校の塾長は若くてハンサムで感じのいい人なのだが、人によってはかなり厳しいという評判らしい。全然そんな印象はなかったので驚く。ぼくはバイト (しかもヘルプ) だから厳しくされていないだけなのだろうか。なんにせよ社会人は大変だなと思った。

雑談をした社員の方もまだ若くしかもけっこうなイケメンで、なおかつとても感じがよかった。大学院の話になったので、ぼくからも「大学では何をされていたんですか」と水を向けてみたところ、「授業中に酒を飲むということをしてた」と返ってきてさらに好感を持った。その適当な感じをもっとだしてほしい (無理か)。その社員から生徒成績のデータ入力方法を教わった。バイトもこんなんやるんか、すげえな塾講と思った。

 

バイトいやいや月間はまだまだ続く。

 

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バイトいやいや月間⑧

 

3/14 (火)

 

いった、書くことがない。

きょうは昼下がりから母の友人が来るということで、ぼくは遠慮して外出した。といっても行くところがなかったので近場のカフェで本を読んでいた。小林秀雄の作品集を読んでいたのだが、すぐに眠くなってきて、途中からは『アドルフに告ぐ』を読んでいた。『スローターハウス5』を読んで大戦下のドイツのことをもっと知りたいと思い、『夜と霧』を読んでホロコーストのことをもっと知りたいと思ったのだった。ほんで手塚治虫もろくに読んだことがなかったのでちょうどいいと思って読み始めたのだ。全五巻のうち第三巻まで読んだが、おもしろい。なんていうか、横山光輝の『三国志』とか『項羽と劉邦』的なおもしろさがある。ダイナミックな筋と効果的な構成。手塚治虫はインテリだったんだなと思った。

さて、バイトはきょうもB校だった。B校の塾長は若くてハンサムで感じがいいので、今回も2コマのところを1コマにしてくれた。どういうことかは説明が面倒くさいのでバイトいやいや月間③を読んでください。

というわけでぼくは1時間だけ授業をして退社した。久しぶりに仕事が休みだった母が豚の角煮を作ってくれていた。秩父錦の熱燗でいただいた。非常においしかった。

 

毎回こんな感じやったらええのにと思った。バイトいやいや月間はまだまだ続く。

 

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